第四十三話:エレンの覚醒、高純度個体の狙撃
第四十三話:エレンの覚醒、高純度個体の狙撃
『粘液の穴』の深層へと進むにつれ、洞窟の壁面は青白い発光苔に覆われ、湿度はさらに上昇していた。
辺りに漂うのは、濃厚な魔力の残り香と、無数のスライムが這い回る湿った音。
サキモリは立ち止まり、インベントリの収穫量を確認した。
「……効率は悪くありません。ですが、このペースではインベントリの容量を『凡庸な粘液』だけで埋めてしまう懸念があります」
「贅沢な悩みね。普通の冒険者なら、一匹倒すだけで嫌気がさす量よ」
ルミナが杖の先で足元のスライムを小突きながら呆れる。
だが、サキモリの視点はすでに「物流の最適化」へと移っていた。
「……物流において、容積あたりの付加価値を高めることは鉄則です。エレン殿、貴女の『千里眼』と索敵能力で、この群れの中から一際魔力密度の高い個体……いわば『ハイオク仕様』のスライムを選別することは可能でしょうか」
その問いに、エレンの瞳が微かに揺れた。
「ハイオク……。意味は分かりかねますが、サキモリ様が『より良いもの』を求めていらっしゃることは理解しました」
エレンは静かに弓を構え、瞳を閉じる。
彼女の意識が、物理的な暗闇を超えて洞窟の奥深くへと浸透していく。
かつては敵を殺すための探知であったその能力が、今、サキモリの「理想の素材」を探し出すためだけに研ぎ澄まされていく。
「……視えました。一キロ先、大空洞の北西。群れの中心に、一際濃い、琥珀色の魔力を蓄えた個体が三匹」
「一キロ……。この複雑な地形の洞窟で、よくもまあ見つけ出すものだな」
アリサが感心したように呟く。
だが、エレンの「覚醒」はそこで終わらなかった。
「……サキモリ様。あの子たちは、私が確実に仕留めます。他の不純物には、指一本触れさせません」
エレンの背後に、どろりとした熱を帯びた魔力が立ち上る。
彼女にとって、サキモリに褒められること、期待に応えることは、この世界の何よりも優先される「至福」だ。
その歪なまでの執着が、狙撃という技術を未知の領域へと押し上げていた。
エレンは目を見開いた。その紅い双眸は、岩壁すら透過して獲物を捉えている。
「――射抜きます」
ヒュンッ、と空気を切り裂く鋭い音。
放たれた魔法の矢は、洞窟の入り組んだ通路を、まるで意思を持っているかのように自律して曲がり、加速した。
一キロ先のターゲットに向かって。
大空洞の中央。無数のスライムがひしめき合う中で、一際大きく、透明度の高い「一級品」の核だけが、ピンポイントで撃ち抜かれた。
倒すことが目的ではない。核への衝撃を最小限に抑え、体液の劣化を防ぎつつ、その個体を「保全」するための精密狙撃。
「……命中しました。三匹とも、完璧な状態で固定してあります」
「素晴らしい。一キロ先の素材を、周囲の雑魚に傷一つつけずに選別するとは。エレン殿、貴女の能力はまさに『高精度抽出機』ですね」
サキモリが静かに、しかし心底感心したように称賛の言葉を口にする。
その瞬間、エレンの頬が火照るように赤らんだ。
「……抽出機……。ふふ、光栄です、サキモリ様。私は、貴方様のためだけに磨かれた道具。貴方様が望むなら、地の果ての資源であっても、この矢で貫いて捧げましょう」
エレンの瞳に宿る光が、陶酔したような危うさを帯びる。
だがサキモリは、その熱情を「高いプロ意識」として淡々と受け入れ、回収作業へと移った。
「……急ぎましょう。エレン殿が選別した『特級原油』、一滴も無駄にはできません。アリサ殿、移動中の周囲の排除をお願いします」
「了解した。……ふっ、うちの狙撃手殿はサキモリ殿に褒められると、底知れない冴えを見せるな。……良かろう。我ら不沈の四角形が進む道、この盾で毅然と切り拓いてみせよう」
アリサは凛とした微笑を浮かべ、重厚な盾を構え直した。
その姿は、荒々しい戦士ではなく、仲間を守護することに誇りを持つ高潔な騎士そのものであった。
エレンは自らの胸に手を当て、サキモリの言葉を何度も反芻している。
(抽出機……。サキモリ様の喉を潤し、体を満たすお薬に、私の矢が貢献できる……。ああ、これ以上の幸せがあるでしょうか……)
一人の管理者の称賛が、ヤンデレ気味な少女を、世界最強の「資源ハンター」へと変貌させていた。
『粘液の穴』の資源回収効率は、今、理論上の限界を突破しようとしていた。
第四十三話:完




