第三十一話:『一点』の限界、三極の同時包囲
第三十一話:『一点』の限界、三極の同時包囲
1.詰みの盤面
平和の余韻は、冷徹な死の予感によって焼き切られた。
王都ガーランド。その外縁に広がる地平を、三つの巨影が塗り潰している。
北のバルバロイ国境、死霊騎士団を率いる伯爵・骸のアルド。
西のアルタ国境、魔獣の群れを統べる子爵夫人・双頭のイザベラ。
そして正面、魔導艦隊を並べるは――侯爵・重力のルードヴィヒ。
「……敵勢力、およそ二万四千。三方からの完全包囲ですね」
三十を越えた軍人の顔に、疲労の色は見えない。
サキモリは、眼下に広がる絶望的な戦列を、双眼鏡も使わずに見つめた。
魔族貴族連合。
彼らはサキモリという「不沈の個」を殺すことではなく、彼が守ろうとする「拠点の破壊」を目的として論理を組み立ててきた。
「私一人を相手にするなら、二十四時間でも戦い抜けます。ですが、相手は私と戦うつもりはないようです。……一方向でも迎撃すれば、残り二方向から王都は五分以内に消失します」
王都を包囲する魔力障壁が、重力魔法の直撃を受けてガラスのように砕け散った。
悲鳴が上がる。騎士たちが崩落する瓦礫に呑まれる。
サキモリの瞳に宿る光は、静かに、そして正確にこの戦場を「敗北」と断じていた。
2.穏やかな独走
「おじさん、何を呆っとしてるんだ! 早くあの槍で、ドカンと一発……!」
ルミナがサキモリの腕を掴む。
だが、サキモリはその手を優しく、包み込むようにして外した。
彼の瞳には、共に死線を潜り抜けてきたはずの情熱は一滴も残っていない。
そこにあるのは、整理のついた書類を眺めるような、静かな軍人の眼だ。
「……申し訳ありませんが、槍は使いません。一発撃って隙を晒せば、その瞬間に王都は灰になりますから。……これより、防衛任務を『殿による時間稼ぎ』に移行します。アリサ殿」
サキモリは、血の気の引いた顔で剣を握るアリサへ、いつになく物腰柔らかに告げた。
「全騎士団および市民の避難を急がせてください。私が前線で敵の目を引き付けます。私の生存能力に賭けて全軍の敵意を固定させれば、市民の脱出経路は確保できるはずです」
「な……何を言っているのですか、サキモリ殿! 貴方一人で、二万の軍勢の前に出るというのですか!?」
「私を殺すには、彼らは軍勢のすべてを私に注ぎ込む必要があります。……市民が国境を越えるまでの時間は、私が稼ぎます。大丈夫ですよ。それが最も効率的ですから」
サキモリは、明日の天気を語るような穏やかさで、自らの肉体を「時間」という単位で差し出した。
3.静かなる切断
「ふざけないで! あんた、また一人で勝手に終わらせるつもりでしょ!?」
ルミナの叫びも、サキモリは穏やかな微笑みを浮かべて聞き流す。
「ルミナ先生、エレン殿。……君たちの魔力は、避難民の足を一歩でも先へ進めるために使ってください。私に回すのは、少し勿体ないですから。……これ以上の問答は時間の浪費です。私は、私の命を使い切って、王都を逃がします。これが今の、最適解です」
サキモリは槍を一本握り締め、瓦礫の山を軽やかに飛び越えた。
一度も振り返らないその背中に、エレンが震える手で矢を番える。だが、射ることはできなかった。
「……私一人が盾になれば、全員が助かります。……これ以上の正解は、ありませんよね」
荒廃した戦場へ、ただ一人歩みを進める軍服の青年。
その足取りはどこまでも丁寧で、そして絶望的に孤独だった。
三人の少女が必死に築いてきた絆を、サキモリは「周囲を巻き込まない」という究極の配慮によって、今、静かに切り離そうとしていた。




