第三十話:境界線の朝陽、槍の行方
第三十話:境界線の朝陽、槍の行方
1.硝煙の終わり、静寂の始まり
王都を震撼させた爆音と光の奔流が去り、世界には耳が痛くなるほどの静寂が戻っていた。
空を覆っていた黒き空母の影は、もはや欠片も残っていない。
ドッペルゲンガーの霧散と共に、因果の歪みによって具現化していた鋼鉄の爆撃機も、大地を焼いたナパームの焔も、まるで白昼夢であったかのように消滅していった。
ただ、荷電粒子砲が空間ごと焼き切った数キロに及ぶ直線上の大地だけが、ガラス状に結晶化し、淡い光を放ちながら熱を帯びている。
それが、この地で起きた「物理の超越」の唯一の証明であった。
「……ハァ、……ハァ、……」
全身の毛穴という毛穴から、過負荷による熱気が白い湯気となって立ち昇っている。
右腕の軍服は消失し、むき出しになった皮膚は赤黒く変色していたが、不沈の再生能力が細胞を一つ、また一つと強引に繋ぎ直していく。
アリサは溢れ出す涙を拭うこともせず、力強く頷いた。
「サキモリ殿。我々は、一人も欠けることなく、この国を守り抜いたのだ!」
その報告を聞いたサキモリの瞳に、わずかな安らぎが宿る。
一万人の命を消費して掴んだかつての勝利。
それと比較して、なんと非効率で、なんと温かい結末だろうか。
彼は重い瞼を閉じ、三人の温もりに身を委ねた。
2.回収という名の「非効率」
それから数時間が経過し、王都の空には穏やかな夕陽が差し込み始めていた。
ようやく自立歩行が可能になったサキモリは、腰を摩りながら、遠く爆心地の方向を見つめた。
「……さて。一つ、極めて深刻な懸念事項があります」
サキモリが無機質な声で切り出すと、ルミナが怪訝そうに眉をひそめた。
「なによ、改まって。魔王軍の増援でも来るわけ?」
「いえ。……投擲した『境界の記録』の現在地についてです。射出速度と質量、および弾道計算から推測するに、現在あの槍は……ここから北北東へ約三・八キロメートル。ドッペルゲンガーの中枢があった焼け野原のど真ん中に突き刺さっているはずです」
サキモリは、気の遠くなるような距離を指差して、深々と溜息をついた。
「現在の私の残存体力、および周辺の地質の変化を鑑みるに、あれを手作業で回収しに行くのは……極めて非効率的な工程と言わざるを得ません。……予備の槍を新調した方が、時間対効果に優れるかと」
「何言ってんのよ、このバカおじさん!!」
ルミナがサキモリの耳を引っ張った。
「あれはただの槍じゃないでしょ! 私たちの魔力を繋いだ、世界に一本しかない商売道具じゃない! 拾いに行くに決まってるでしょ、ほら、歩く!」
「……そうですわね。わたくしも、あの槍の軌跡には芸術的な価値を感じております。放置するなど、わたくしの美学が許しませんわ」
エレンがクスクスと笑いながらサキモリの背中を押し、アリサもまた快活に笑い声を上げた。
「ははは! 安心しろ、サキモリ殿。回収の道中、騎士たちが護衛に付こう。戦勝のお祭り気分を味わいながらの散歩と思えば、非効率どころか最高に有意義な時間だ!」
「……。判定不能な論理ですね。……やれやれ」
不満げな言葉とは裏腹に、サキモリの足取りはどこか軽かった。
3.不沈の先にある日常
赤く染まった平原を、四人の影がゆっくりと進んでいく。
爆心地の中央、ガラス状に固まった地面に、一本の灰色の槍が深く突き刺さっていた。
それは役目を終えた後の沈黙を守り、夕陽を浴びて鈍く光っている。
サキモリは槍の柄を掴むと、静かに引き抜いた。
掌に伝わる感触。
かつては孤独を埋めるための冷たい鉄の棒だった。
だが、今のこの槍には、三人の魔力が通り抜けた後の、微かな「余熱」が残っている。
「……不本意ながら、予備の槍を新調する必要はなさそうです」
サキモリは槍の汚れを布で拭い、いつものように淡々と、だがどこか慈しむように言葉を紡いだ。
「この騒がしい日常を維持するために、まだこの槍には働いてもらわねばなりませんから。……次回のメンテナンス費用は、アリサ殿、公国の国庫から支給をお願いしますよ」
「ああ、望むところだ。いくらでも請求してくれ!」
アリサが力強く笑い、ルミナが「おじさん、今夜は王都で一番高い料理を奢らせるからね!」と腕を組む。
エレンは「わたくしも、最高のワインを期待しておりますわ」と、いたずらっぽく微笑んだ。
かつてのサキモリなら、勝利の代償として感情も記憶も使い果たし、一人でまた次の戦場へと向かっていただろう。
だが今、彼の側には槍を拾うのを手伝い、あるいは茶化し、共に帰るべき「場所」がある。
夕陽が沈み、境界線には穏やかな夜の帳が降りようとしていた。
不沈の男、サキモリ。
彼が守り続ける境界線は、もはや孤独な防波堤ではない。
それは、彼を「人間」へと繋ぎ止める、賑やかで、非合理的で、この上なく愛おしい絆の形そのものであった。
第六章 完




