第二百六十六話:【顕現:護国の軍神】
第二百六十六話:【顕現:護国の軍神】
サキモリは、サキモリではなくなった。
外見が劇的に変化したわけではない。
だが、その背後には禍々しいほどに神々しい後光が差し、金色の瞳を持つ【防人】がそこにいた。
住吉三神――。
祖国たる島国を太古の昔より、四方を海に囲まれた大切な国を、たった一人で守り続けた神話の時代の軍神。
護国、そして救世の神が、今この異世界の深淵に顕現した。
百分の一の弱体化、レベル十一という脆弱な数値。
対するはレベル九千九百九十九、魔の頂点に立つ『怠惰』の魔王。
その絶望的な格差は、一億年に及ぶ神代を戦い抜いた最強の神の前では、段差ですらなく、ハンデにすらなり得ない。
「……っ!」
マヨの青く美しい魔人の肌が、本能的な警鐘を鳴らす。
空気がビリビリと細かく振動し、肌の水分を奪い去る。
それは単なる熱ではない、存在の格そのものが放つ圧倒的な圧力だ。
目の前にいるのは、魔神王にすら匹敵する同格の存在。
その事実が彼女を恐怖のどん底に突き落とした。
だが、そのどん底で彼女が感じたのは、八百年以上生きてきて五本の指に入るほどの純粋な喜びだった。
「あはは……あはははは! こんな、こんな人間がいるなんて! なんなんだいサキモリ、君は! レベル十一の君は、いったいどこまでボクを楽しませてくれるんだい!」
マヨは絶望の中で笑い、狂おしい喜びに包まれながら最強クラスの暴風魔法『ストームガスト』を放った。
それは竜巻などという生易しいものではない。
超圧縮され、触れるものすべてを分子レベルで分解する暴風の奔流。
そのすべてがサキモリを飲み込み、周囲の岩壁を削り、ドームを激震させる。
だが、暴風が吹き抜けた後。
そこには金色の瞳でマヨを静かに見据える、無傷のサキモリが立っていた。
「ははは……後悔はないよ。とても面白い観測だったねぇ……」
マヨは満足げにそう呟くと、静かに両手を下ろした。
刹那。
サキモリの姿が消失した。
それは縮地を超えた縮地。
彼がマヨの背後に瞬間移動したとき、攻撃も、回避も、移動も、すべての「理」が完了していた。
マヨの膨大な魔力はことごとく破壊され、四肢は痺れて動かず、力の源たる経絡はことごとく潰されていた。
文字通り、魔王は力なく地面に崩れ落ちる。
「本当さ……後悔はないよ。まさか神様に殺されるとはね」
冷たい床に横たわったマヨの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「殺しませんよ。私はマヨさんに聞きたいことも、教えてほしいことも、まだまだたくさんあるのですから」
マヨが倒れたまま視線を向けると、そこにはいつものサキモリが立っていた。
瞳の金光も、神々しい後光も消え去っている。
その手には飲み干した最高級ポーションの瓶が握られていたが、代償はあまりに大きく、彼の耳や目、口からは血が滴っていた。
「それに、私にはそれほどマヨさんが悪人には見えません。種族で区別するのは、私の好みではありませんから」
血まみれの顔で、サキモリはいつものように穏やかに微笑んだ。
「ははは……完敗だよ、サキモリ」
マヨは溢れ出す涙を拭おうともせず、乾いた声で、清々しく笑った。




