第二百六話:【聖女の眼差し:相反する合理】
第二百六話:【聖女の眼差し:相反する合理】
大帝国クリスタの心臓部、聖都。
その中心に聳える白亜の城へと足を踏み入れたサキモリたちの耳に届くのは、整然とした近衛兵の靴音だけだった。
しかし、サキモリの「観測」の目は、壁に飾られた豪華なタペストリーの裏側、あるいは兵士たちの磨き上げられた鎧の下に隠された、深刻な「疲弊」を見逃さない。
案内されたのは、天井の高い謁見の間。
そこに座していたのは、窓から差し込む陽光を反射し、眩いばかりに輝く金色の髪を持つ女性――クリスタ王女であった。
人間国連合では「聖女」と仰がれ、その聡明さと、たとえ路傍の石に等しい民であっても見捨てぬ慈愛の心を持つことで知られている。
サキモリは、王女の前に進み出ると、儀礼的な挨拶もそこそこに、調合ストレージから取り出した一束の羊皮紙を差し出した。
それは、道中で彼が収集し、精査した帝国の最新戦況データと内政の分析結果である。
「王女殿下。結論から申し上げます。現在、帝国が直面している外敵との紛争に対し、私たちが直接剣を振るうことは、構造的に見て『焼け石に水』に過ぎません」
その一言に、謁見の間を埋める貴族たちの間に、凍りつくような沈黙と、それに続く不快なざわめきが広がった。
伝説の勇者として招かれた男が、開口一番「戦わない」と断言したのだ。
「無礼な! 帝国がどれほどの対価を払って貴様らを招いたと思っている!」
「戦力外通告か? 臆したのか、勇者!」
野次が飛ぶ中、サキモリは眉一つ動かさない。
彼の視線は、ただ真っ直ぐに王女だけを射抜いていた。
「……続けてください、サキモリ殿。あなたの言う『構造的な無意味さ』の根拠を」
王女の声は、鈴を転がすように清らかだが、その奥には揺るぎない意志の強さが宿っていた。
サキモリは淡々と、しかし容赦のない論理で、帝国の現状を解体していく。
「前線の戦闘規模は、もはや個人の武勇で制御できる閾値を越えています。たとえ私が千の敵を斬ったとしても、後方で十万の民が飢えて死ねば、国家というシステムは内側から崩壊する。
今の帝国に必要なのは、新たな『剣』ではなく、止まりかけた『血流』を循環させるための再設計です」
サキモリの言葉は、徹頭徹尾ひりつくような冷徹さに満ちていた。
しかし、王女はそれを否定しなかった。
彼女の瞳には、表面上の穏やかさの裏で、激しい期待の火が灯っていた。
(この方は、見込んだ通りの御方かもしれません……)
王女は、サキモリがただの効率主義者ではないことを見抜いていた。
彼は「効率」という冷たい言葉を使いながらも、その実、結果を出すために己の感情すらも削ぎ落とし、最善の正解を導き出そうとする「献身者」なのだ。
自分には、民を想うあまり捨てきれない情がある。
だが、この男なら――私にはできない、非情なまでに正しい改善を、この病んだ国に施せるかもしれない。
王女は心のうちで、サキモリを帝国の再建を共に行う、唯一無二のパートナーだと認めた。
だが、納得していないのは周囲の貴族たちだ。
彼らにとって、サキモリの言葉はただの「戦いからの逃避」にしか聞こえない。
不信感と侮蔑の視線が、針のようにサキモリへと突き刺さる。
「殿下、このような口先だけの男に、帝国の命運を語らせるなど――」
宰相が制止の声を上げようとしたその時、サキモリは静かに、しかしよく通る声で遮った。
「理解は、言葉よりも体験によって促進されます。不信を抱く皆様に、まずは形を示しましょう。
殿下、この場で調理をしてもよろしいでしょうか」
その唐突な申し出に、謁見の間は再び静まり返った。
勇者が王の前で料理を作る。
前代未聞の事態に、王女と宰相は一瞬顔を見合わせたが、サキモリの瞳に宿る、一片の揺らぎもない確信に押されるように、深く頷いた。
「面白いですわ。サキモリ殿、あなたの見せる『形』、しっかりと見届けますわ。……準備を!」
王女の鋭い指示が飛ぶ。
豪華絢爛な謁見の間は、瞬く間に「救国」という名の調理場へと変貌していった。
サキモリが手にしたのは、道中でミャオが呆れ、誰もが顧みなかった「雑草」と「泥のついた木の実」。
果たして、これらが帝国の飢えを、そして人々の心をどう変えるのか。
物語は、戦場から食卓へ。
帝国を揺るがす「ゼロコストの晩餐」が、今、始まろうとしていた。
(第二百七話へ続く)




