第百九十五話:【暗躍する影:冷徹なる卒業試験】
第百九十五話:【暗躍する影:冷徹なる卒業試験】
一行が獣人国近郊の活気ある宿場町へと足を運んでいたのには、明確な目的があった。
先日結ばれた同盟の条項に基づき、獣人国側から「約束していた禁忌のスキル書の封印が解除できたため、直接お渡ししたい」との連絡が入ったからだ。
王都バルバロイを離れ、指定された受け渡し場所であるこの町へ向かう道中、一行は旅程を順調に消化していた。
市場の喧騒と獣人たちの力強い活気が混ざり合うその場所で、サキモリは周囲の空間に漂う微かな「ノイズ」を観測していた。
人間との対等同盟――それは、弱肉強食を是としてきた獣人国の一部保守派にとっては、到底受け入れがたい「構造の歪み」であった。
同盟を破棄させるための最も効率的な手段は、同盟の象徴としてサキモリに同行している第二王女ミャオを暗殺すること。
そして、その罪を人間に着せることにある。
「ミャオさん。スキル書の受け渡しまで少し時間があります。歩きましょうか」
サキモリは物資を調達しに行くかのような淡々とした口調で、ミャオを人通りの少ない裏路地へと誘った。
ルミナたちは別の区画で別の用件を済ませており、現在、ミャオの傍にいるのはサキモリ一人だけである。
路地の奥、行き止まりに差し掛かった瞬間、周囲の温度が数度下がったかのような殺気が空間を支配した。
屋根の上、曲がり角、そして背後。
気配の構造を読み解けば、刺客の数は十二。
全員が獣人国でも名の通った手練れであり、ミャオよりも数段高いレベルにあることは明白だった。
「な、なんだニャ、こいつら……。サキモリ、囲まれてるニャ!」
ミャオが反射的に拳を構え、震える視線でサキモリに助けを求める。
しかし、サキモリは愛槍を抜くことも、魔力を練ることもなく、ただ静かに彼女から一歩距離を置いた。
「ミャオさん。これはあなたの『卒業試験』です。一人で対処してください。私は一切、手を出しません」
「……え? 何を言ってるんだニャ? 相手はこんなに大勢で、しかもあたしより……」
「構造を理解し、洗礼を乗り越えてきたはずです。あなたがこの場所で散るか、それとも次の領域へ進むか。私はただ、その結果を記録するに過ぎません」
サキモリの声は冷たく、突き放すような響きを持っていた。
絶望に染まるミャオの瞳を正面から受け止めることなく、サキモリはその場から陽炎のように姿を消した。
宿場町の喧騒から隔絶された路地裏で、ミャオはたった一人、刺客たちの冷酷な笑い声の中に残された。
「……師匠。あたしを見捨てるのかニャ……?」
震える声は届かない。
ミャオは、これまで経験したことのない孤独と、圧倒的な死の予感に包み込まれた。
一方、姿を消したサキモリは、建物の屋上、ミャオからは決して見えない死角に潜んでいた。
その瞳は、眼下で繰り広げられようとしている惨劇を冷静に観測し続けている。
(……もし、今の彼女がこの状況を打開できない程度であれば、獣人国の未来という『戦力』に彼女は不要です。その時は――戦いからは遠ざけ、普通のお姫様として生涯を過ごせるよう、獣人王グレンの元へ返却させていただきます)
サキモリの内心は、表に出した冷徹な言葉とは裏腹に、張り裂けんばかりの葛藤と苦渋に満ちていた。
もし彼女が致命的な一撃を受けそうになれば、彼は己の「観測者」という立場を捨て、己の命さえ顧みず、世界を滅ぼしてでも彼女を救い出すだろう。
師匠として、そして彼女を守る者として。
サキモリは自らの舌を噛み切ってでも詫びなければならないほどの覚悟を抱き、過保護なまでの執念で、その愛弟子の戦いを見守り始めた。
(第百九十六話へ続く)




