第百九十一話:【数式の檻:魔弓の洗礼】
第百九十一話:【数式の檻:魔弓の洗礼】
早朝の森は、静謐な空気に包まれていた。
しかし、エレンが弓を手に取った瞬間、その空間の「構造」は一変する。
「今日は魔弓術の精密演算と、多層展開の訓練をいたしますわ」
エレンが告げると、サキモリはいつものように穏やかな、しかしどこか底の知れない笑みを浮かべて頷いた。
「こちらはそれでかまいませんよ」
その短い返答は、エレンの規格外の攻撃をすべて受け止める、あるいは回避するという絶対的な自信の現れでもあった。
それを見たミャオが、負けじと胸を張って叫ぶ。
「あたしもやるニャ! サキモリができるなら、あたしにできないはずがないニャ!」
エレンの目的は、単に矢を射ることではない。
目標が何人いようと、何百手先まで回避先を読み、網の目のように魔法を張り巡らせて追い詰める「戦術眼」と「精密操作」の極致にある。
サキモリとミャオが並んで立っていると、エレンは静かに魔力を練り始めた。
彼女が放つのは、一本の矢が空中で数十に枝分かれし、着弾点に爆裂魔法を設置する「地雷矢」である。
エレンは流れるような動作で次々と矢を放ち、周囲一キロメートル以上の範囲にある木々の隙間や草木の合間に、見えない罠を無数に設置していった。
その範囲内には、瞑想中のアリサや荷物整理をするルミナもいたが、彼女たちは眉一つ動かさない。
自分たちが狙われていないことを、そしてエレンの演算が自分たちを傷つけるはずがないことを、絶対の前提として信じているからだ。
「いきますわ」
エレンの澄んだ声が合図だった。
直後、空を焼き尽くすような火炎の魔法矢が、サキモリとミャオへ向けて放たれた。
それは「避けても地雷、避けなければ直撃」という、すべての回避先を事前に潰された詰みの盤面。
サキモリは、エレンが組んだ何百手の数式を瞬時に解体し、そのさらに先を読み取る。
視覚の死角、あるいは数式の「針の穴」のような極小の隙間を見定め、縮地によってギリギリの回避を繰り返していく。
「……サキモリ! 待つニャ! あたしを置いていくなニャア!」
一緒によけるミャオは悲鳴を上げた。
サキモリのように完璧な回避は不可能に近い。
掠める炎の熱、爆発の爆風。
ミャオの自慢の毛並みは徐々に焦げ、肌には火傷が刻まれていく。
「痛いニャ! 熱いニャ! 死ぬニャ!」
ミャオの火傷が酷くなるたび、遠くで荷物を整理していたルミナが、事前に繋いでいた「光の魔法糸」を通して治癒魔法を送り込む。
痛みと傷が瞬時に癒えるが、休む暇などない。
直後にはまた新たな炎の矢が降り注ぎ、逃げた先で設置済みの地雷が爆発する。
治る、しかし直後に焼かれる。
死ぬことは許されず、しかし苦痛だけはリアルに刻まれる無限の熱地獄。
「あんたたち……やっぱり、根っからおかしいニャ! どこまでが修行で、どこからが虐めなのか教えるニャ!」
涙目で叫びながらも、ミャオは決してその場から逃げ出そうとはしなかった。
焦げた匂いを漂わせながら、彼女はサキモリの超常的な動きと、エレンの冷徹なまでに正確な「数式の檻」の間で、必死に生き残るための「構造」を学ぼうと足掻き続けていた。
(第百九十二話へ続く)




