第百八十八話:【常識人の受難】
第百八十八話:【常識人の受難】
獣人国カーマインの第二王女として、ミャオはそれなりの修羅場を潜り抜けてきた自負があった。
弱肉強食、適者生存。
それが彼女の生きてきた世界の「構造」であり、常識だった。
しかし、サキモリの旅に同行してわずか数日、彼女の誇り高き猫耳は、理解不能な現実の連続に激しくぴこぴこと痙攣し続けていた。
「……サキモリ。あんたたち、一体何をやってるんだニャ?」
ミャオは、野営地に突如として出現した「光り輝く工場」を指差し、呆然と呟いた。
そこには、同盟交渉の成果として獣人国から提供された、国宝級の材料が山積みにされていた。
獣人国で最も高価とされる万能薬草、猛毒すら無力化する極稀な解毒草、そして深淵の魔力を含んだ魔法薬の原液。
本来であれば、熟練の調合師が一生をかけて数本完成させるかどうかという至宝の数々である。
それが今、アリサの展開する概念盾『アイギス』の多層空間の中で、ベルトコンベアのような光のレーンに乗せられ、無機質に流されていた。
「ミャオさん、おはようございます。今は在庫の補填中です。旅の基本は資源管理ですから」
サキモリは、膨大な数式が浮かび上がるコンソールを操作しながら、淡々と答えた。
その背後では、エレンが淡い紫色の魔力を指先から放ち、レーン上の材料一つ一つに「効能極大化」の付与を高速で刻み込んでいる。
「エレン、第三レーンの薬草、魔力の浸透率が0.02%低いです。調整を」
「あら、失礼。演算を並列化しすぎて、少し出力がブレましたわね」
エレンは事もなげに言い放ち、一瞬で魔力を最適化した。
その隣では、ルミナが慈愛に満ちた微笑みを浮かべたまま、空中に展開された巨大な魔力の掌で材料を均一に粉砕し、不純物を分子レベルで選別・除去している。
「よしよし、いい子たちだね。綺麗に混ざって、素敵なポーションになるんだよぉ」
ルミナの放つ魔力操作は、もはや精密機器のそれを遥かに凌駕していた。
そうして加工された最高級の原液が、最終的にサキモリの元へと流れ込む。
サキモリが「熟練度10」に到達した調合スキルを発動させ、容量3トンを誇る異次元ストレージへと、完成した最高級ポーションを秒間数百本のペースで「流し込んで」いく。
「ちょ、ちょっと待つニャ! そのポーション、一本で城が建つって言われてる秘薬だニャ! なんでそんなに雑に、大量に作ってるんだニャ!?」
ミャオの叫びに、サキモリは不思議そうに首を傾げた。
「希少価値というのは、供給不足が生む幻想に過ぎません。私たちの活動に必要な分を計算すれば、この生産ラインを24時間稼働させるのが最も合理的です」
「24時間!? 寝ないのかニャ!?」
「作成したポーション自体を消費すれば、精神の摩耗はともかく、肉体と魔力は即座に全快します。つまり、材料がある限り私たちは無限に稼働できる構造になっています」
サキモリの言葉通り、四人は一切の疲労を見せず、機械的な正確さで作業を続けていた。
ミャオが驚愕して眺めている間も、ポーションの滝がストレージに吸い込まれていく。
やがて、わずかな休憩時間が訪れた。
といっても、工場ラインは止まることなく、サキモリが片手でコンソールを操作しながらの食事である。
「お腹空いたニャ……」
気疲れで力なく座り込むミャオの前に、皿が差し出された。
そこに乗っていたのは、野営の焚き火で焼かれたとは思えないほど、神々しい光沢を放つ肉塊だった。
「これ、何の肉だニャ?」
「レッサードラゴンの心臓に近い希少部位です。火属性の魔力適性が高いので、エレンさんの魔術で細胞を破壊せずに一気に熱を通しました。栄養価と味の構造が、現在の私たちに最適化されています」
サキモリはそう言いながら、一国の軍隊の装備と同等の価値の魔獣の肉を、まるで近所のスーパーで買った鶏肉でも食べるかのような手軽さで口に運ぶ。
エレンも優雅にナイフを使い、
「少し焼きすぎましたかしら」
と、レッサードラゴンの肉をディナーとして雑に咀嚼していた。
「ドラゴン……ランチにドラゴン……」
ミャオは震える手で肉を口にした。
その瞬間、爆発的な旨味と、全身を駆け巡る魔力が彼女の感覚を麻痺させる。
あまりの美味さと、それを「雑な食事」として処理する四人の異常性のギャップに、ミャオの脳内回路がショートしかけていた。
夜が更け、ミャオは疲労困憊して毛布に包まった。
しかし、目を閉じる間際に見えたのは、暗闇の中で青白く発光し続け、規則的な駆動音を立ててポーションを生産し続ける「サキモリ工場」の影だった。
そして翌朝。
ミャオが太陽の眩しさに目を覚ますと、そこには昨日と全く同じ、寸分の乱れもなく稼働し続ける四人の姿があった。
「おはよう、ミャオちゃん。よく眠れた?」
ルミナが昨日と変わらぬ聖母の微笑みで声をかけてくる。
彼女の手元では、今もなお数千本のポーションが錬成され続けている。
「……まだやってるのかニャ」
「はい。目標の備蓄量まであと一万本ですので、昼までには終わります」
サキモリが平然と答える。
ミャオは、翡翠色の猫耳を力なく垂らし、両手で顔を覆った。
「……あんたたち、色々とおかしいニャ! 道理も、経済も、生物の限界も、全部ぶち壊してるニャ! あたしの知ってる世界と違うニャ……!」
彼女のこれまでの人生で培ってきた「常識」という名の構造が、サキモリたちの圧倒的な合理性と非日常によって、音を立てて崩壊していく。
「ミャオさん。構造というのは、常に更新されるものです。慣れてしまえば、これもまた一つの『日常』ですよ」
サキモリの静かな声が、崩壊したミャオの常識の跡地に、新しい、そしてあまりにも異常な世界の定義を書き込んでいった。
(第百八十九話へ続く)




