第十五話:解放の旗、不沈の進撃
第十五話:解放の旗、不沈の進撃
1.勝利の余韻と、埋まらない「溝」
クレイオス公国の王都に、数ヶ月ぶりに「朝」が訪れた。
魔王軍の黒い旗が引き裂かれ、代わりに掲げられたのは公国の紋章と、救援に駆けつけたアルタ・バルバロイ連合軍の旗印。街の至る所で、解放を喜ぶ民衆の声が地鳴りのように響いている。
「救国の聖女、エレン様万歳!」
「クレイオスに光が戻ったぞ!」
王宮前の広場では、エレンが父である領主や家臣たちに囲まれていた。銀髪をなびかせ、民の歓声に優雅に応える彼女の姿は、確かに国の再建を象徴する光り輝く希望そのものだった。
だが、その熱狂から数十メートル離れた石畳の上。
祝祭の喧騒を遮断したかのような、静謐で、どこか冷淡な空間があった。
サキモリは、壊れた荷車を背に座り込み、膝の上で再生槍を磨いていた。
彼にとって、監獄塔の陥落も街の解放も、単なる「防衛工程の完了」に過ぎない。
(……西側城壁の構造的欠陥、二箇所。連合軍の兵站維持能力、残三週間。次なる侵攻パターンの確率は――)
彼の脳内では、すでに次の「防衛」に向けた計算が始まっている。周囲の喜びに同調する回路は、彼には備わっていなかった。
その背中を、エレンはじっと見つめていた。
自分を称える声も、父の差し出した安逸な未来も、今の彼女の耳には届かない。彼女の魂に深く刻まれているのは、昨日の戦場で見せたサキモリの「孤独」だった。
一人で壁を登り、一人で敵陣を解体し、誰に感謝されることも求めず、ただ静かに「掃除」を終える背中。
それはあまりに気高く、そして、今にも崩れ落ちそうなほどに危うい「殉国者」の姿だった。
2.エレンの決意:騎士道から「弾幕」へ
夜、祝宴の明かりが王宮を照らす中、エレンは用意されたドレスを断り、戦装束のままサキモリの元へと歩み寄った。
「サキモリ様」
サキモリは視線だけを向け、小さく頷く。
エレンはその場に静かに膝をついた。
「わたくしは決めましたわ。領主の娘としての安逸な日々に戻るつもりはありません。……わたくしをあなたの軍列に加えていただけませんこと?」
エレンは顔を上げ、サキモリの無機質な瞳を真っ直ぐに見据えた。
「騎士としてではなく、あなたのための『弾幕』として。あなたの不沈を、わたくしの雨で支えたいのです」
彼女は理解していた。サキモリという男は、誰の手も借りずに世界を守り、そして一人で消えていく。だからこそ、自分という「構造」が彼の外側に存在することで、わずかでもその負担を肩代わりしたい。それが、彼女が見出した「守護」の形だった。
3.サキモリの「問い」
サキモリは、槍を置いた。
エレンの熱い眼差しに対し、彼は否定も肯定もしない。ただ、ひどく困ったような、割り切れない数式を前にしたような微かな困惑を顔に浮かべた。
サキモリにとって、エレンは守るべき価値のある「健やかな存在」だ。そんな彼女に、再び泥にまみれ、死を隣り合わせにする道を歩ませていいのか。
サキモリは、少し離れた場所にいたルミナを振り返った。
「……ルミナ先生」
彼の声は、いつになく静かだった。
「彼女には、平和な日常に戻る権利があります。……それなのに、再び戦場という『不確実な領域』に彼女を置くことは、正しい判断と言えるのでしょうか」
サキモリにとって、他者は「共に戦う戦力」ではない。どこまでも、自分が守り抜くべき対象だ。エレンという「守るべき構造」が、自分のすぐ側に増えることへの戸惑い。
彼はただ、管理ユニットであるルミナに、その「答え」を求めた。
4.ルミナの爆発と、賑やかな閉幕
「……おじさんの、バカーッ!!」
静寂を破ったのは、ルミナの怒声だった。
彼女はサキモリの元へ駆け寄ると、その脛を力いっぱい蹴飛ばした。
「なによ理屈ばっかり! エレンが自分の意志で言ってるのよ! 彼女がどこにいたいのか、あんたに決める権利なんてないわよ、この堅物!」
「……。ですが、維持能力の観点から言えば――」
「理屈なんて、管理者の私が全部引き受けてあげるわよ! あんたが一人で背負いきれないなら、私がもっとあんたを管理して、エレンも一緒に守ればいいんでしょ!」
ルミナの剣幕に、サキモリは初めて言葉を失い、軽く目を見開いた。
「……管理者がそう仰るなら。……検討します」
「検討しなくていいの! 決定よ!」
ルミナは呆然とするサキモリを置き去りにし、跪いたままのエレンの手を強引に取って立たせた。
「行くわよ、エレン! こんなおじさんの言うことなんて、真面目に聞くだけ損なんだから。これからは、もっと賑やかになるわよ!」
「……あ、ありがとうございます、ルミナ様!」
エレンはパッと顔を輝かせ、ルミナに引かれるままに歩き出す。
置いていかれたサキモリは、夜風に揺れる自分の槍を見つめ、小さく溜息をついた。
「……理解不能です。……これでは、防衛計画を根本から修正しなければならない」
独り言を漏らしながら、彼は慌てて二人の後を追った。
解放されたクレイオスの青空の下、三人の奇妙で、そして少しだけ賑やかな旅路が、新たな轍を刻んでいく。
第三章:完




