第百四十話:【古の観測者、古龍ニドヘグ】
第百四十話:【古の観測者、古龍ニドヘグ】
紺碧の巨岩が、崩落に似た震動と共に「生命」へと姿を変える。
その質量は山そのもの。
数万年という悠久の歳月を体現するその古龍が、ただゆっくりと、侵入者の方へと頭を向けた。
カチリ、と。
世界という名の歯車が噛み合うような音を立てて、古龍の瞼が開く。
「……ッ、がはっ……!?」
その瞬間、九〇%の出力を安定させ、神域の入り口に立っていたはずのサキモリの膝が、凄まじい衝撃と共に地面を叩いた。
攻撃ではない。重力魔法ですらない。
ただ「振り向き、目を開け、視線を向ける」という一連の所作に伴う、圧倒的なまでの存在の情報量。
それが、サキモリという個体の許容量を瞬時にパンクさせたのだ。
「サキモリ様!?」
「サキモリ殿ッ!」
背後で、同じように地に伏したヒロインたちが悲鳴を上げる。
だが、サキモリは言葉を返せなかった。
彼の戦術眼は、かつてない異常を検知し続けていたからだ。
極致を超えた「所作」
サキモリは震える瞳で、古龍ニドヘグを凝視する。
戦いを知る者として、彼は理解してしまった。
目の前の怪物は、強大な魔力を持っているから強いのではない。
その重心の安定感は、かつての故郷――日本列島という大地そのものが意志を持って座しているかのような、絶対的な不動。
目を開け、視線をこちらへ向ける。
その一ミリの無駄も、コンマ一秒の迷いもない動作。
それは武を極めたサキモリが、一生をかけて到達したいと願った「究極の理」を、呼吸するように当然の事として体現していた。
(……理不尽だ。この存在は、私が積み上げてきた研鑽の、その遥か先を歩いている……)
サキモリの脳内FCS(火器管制システム)は、弱点を、対抗手段を、あるいは撤退の勝機を必死に演算し続けている。
だが、弾き出される答えは常に「No(解なし)」。
これまでどんな窮地でも「論理」で打開してきた。
だが、この竜という存在には、論理を差し込む「隙」という概念自体が存在しなかった。
「……っ。観測、不能……。これは……論理の通じる相手ではない……」
サキモリが絞り出したのは、敗北の宣言にも似た絶望の独白。
その時。
古龍ニドヘグが、わずかに喉を鳴らした。
――ゴ、ォォォオオオオオン。
それは咆哮というよりも、世界を定義する「言霊」。
物理振動としての破壊力を超え、サキモリが心の中に築き上げていた「どんな状況にも打開策がある」という不退転の前提を、ただの紙細工のように無慈悲に粉砕した。
これまでサキモリを支えてきた「九〇%の安定」が、竜の吐息一つで「ゼロ」に還される。
論理が通じない。
仕組みが通用しない。
初めて「正解」のない暗闇に放り出されたサキモリの前に、古の王が、その言葉を告げようとしていた。
(第百四十一話へ続く)




