第百二十七話:【外部メモリの同期】
第百二十七話:【外部メモリの同期】
「……っ、見えてはいます。けれど、狙えませんわ……!」
狙撃地点に立つエレンの指先が、わずかに震えていた。
彼女の『魔法視野』は、五キロ先の標的を確かに捉えている。
しかし、視認できることと、そこに矢を届かせることは全く別の問題だった。
標的との間にあるのは、不規則にうねる魔力の乱気流と、絶え間なく変化する風の壁。
狙いを定めようとすればするほど、エレンの脳内には「外れる予測」が情報の洪水となって溢れ出し、彼女の決断力を削り取っていく。
「ノイズに呑まれていますね。エレンさん、思考を止めてください。君が計算する必要はありません」
背後からサキモリの静かな声が響く。
彼はルミナの肩に手を置き、冷徹な口調で指示を飛ばした。
「ルミナ先生、同期の術式を切り替えてください。供給する魔力を媒体にして、私の脳内にある『弾道予測イメージ』を、直接エレンさんの網膜に投影します。彼女の脳を私の外部メモリとして一時的に上書きしてください」
「おじさん、それ本気!? 人間の脳にそんな高密度のデータを流し込んだら……」
「彼女なら耐えられます。私が保証します」
ルミナは覚悟を決め、杖を握り直した。
「……わかったわ。バックアップと中継は私が引き受ける! 『精神感応・視覚同期』、展開!」
その瞬間、エレンの世界が一変した。
【観測者の視界】
エレンの瞳から、迷いの色が消え失せる。
彼女の視界に、サキモリが二十年間の凄惨な夜戦で培った『闇を透かす視線』が宿ったのだ。
かつて、近代兵器の雨の中で一筋の勝機を見出し続けてきた男の知覚。
それは、荒れ狂う乱気流を「回避すべき障害」ではなく、単なる「数値化されたベクトル」として処理していく。
「……あ、あぁ……」
エレンの喉から、震える吐息が漏れた。
揺れていた視界が、機械的な冷徹さを持って固定される。
網膜には、サキモリの脳が弾き出した「未来の着弾点」が、鮮やかな幾何学模様のレティクル(照準線)として投影されていた。
風を読み、魔力を測り、自転の偏差すらも組み込んだ、神の如き弾道予測。
震えていたお姫様の指は、今や精密機械のパーツのように微動だにせず、ただ最適の瞬間だけを待つ「引き金」へと豹変していた。
「エレンさん、私のカウントに合わせて。余計な感情は全てルミナ先生に預けてください。君は今、私の放つ『弾丸』そのものです」
サキモリの瞳と、エレンの瞳。
接続がピークに達した瞬間、二人の瞳は、この世界の理から外れた「冷徹な観測者」の色に染まった。
数キロ先の、絶望的なまでに遠い標的。
それが今、数秒間だけ、逃れられぬ運命のように完全にロックオンされた。
(第百二十八話へ続く)




