第百二十五話:【異物の承認】
第百二十五話:【異物の承認】
「魔法が使えぬのなら、その首、叩き切ってくれるわ!」
地面に這いつくばっていた精霊の一人が、屈辱に顔を歪めて跳躍した。
彼らは魔導の民であるが、その身体能力もまた人を超越している。魔力を失ってもなお、その手には実体化した「木の枝の剣」が握られ、サキモリの喉笛目掛けて一直線に突き出された。
「サキモリ様!」
エレンが叫び、アリサが盾を突き出そうとした瞬間。
「――そこまでにしなさい。誇り高き森の末裔たちが、これ以上無様に醜態を晒すものではありません」
森の全方位から、低く、重厚な地鳴りのような声が響き渡った。
その声に含まれる圧倒的な「密度」に、飛びかかっていた精霊は空中で金縛りにあったように硬直。そのまま力なく地面へと着地し、震えながら平伏した。
「上位精霊さま……! しかし、この人間は……!」
「黙りなさい。彼が『人間』に見えるのであれば、お前の眼は腐っている」
木々の隙間から、半透明の巨大な鹿のような姿をした上位精霊が、静かに姿を現した。
その存在感だけで、先ほどまでの「魔法ネットワーク」とは比較にならないほどの重圧が空間を満たす。
サキモリは、その神聖な威圧感を正面から受けながらも、眉一つ動かさなかった。
二十年間、死神が常に背後に立っていたような戦場を生き抜いた彼にとって、上位存在の威圧感は「計測すべき環境変数」に過ぎない。
「……上位精霊殿とお呼びすればいいでしょうか。お騒がせしてすみません。私には、あなた方と争う意図はありません」
サキモリは、出力10%の脆弱な身体を晒したまま、一歩前に出た。
「我々に敵意はありません。ただ、この世界の構造、そしてこの森がどのような論理で成立しているのか、その成り立ちを知りたいだけです」
「構造……なりたち、だと? 我らの神秘を、ただの知識として欲すると申すか」
上位精霊の双眸が、鋭くサキモリを射抜く。
魔力を持たず、加護も持たない。そんな「持たざる者」が、数千年の神秘をハッキングして無力化した上で、あまつさえその根源を教えろと説いているのだ。
これは精霊族にとって、神の領域に対する傲慢な不敬に等しい。
「知識ではありません。私はただ、無駄な衝突を避けるための『地図』が欲しいだけです。先ほどのECMによるネットワーク遮断も、自衛のための最適解でした。理解できないものを恐れるより、理解した上で共存する方が、お互いに効率的はなずです。」
サキモリの口調はどこまでも淡々としていた。
熱意も、媚びも、恐怖もない。
ただ「この方が合理的だ」と、事務的な提案をしているに過ぎない。
その異質さに、アリサやエレン、ルミナですら息を呑んだ。
高位の存在に対し、「効率」や「論理」という近代の物差しで交渉を迫るその姿は、英雄のそれよりも、はるかに恐ろしく、そして頼もしいものに見えた。
長い沈黙が森を支配した。
やがて、上位精霊は小さく鼻を鳴らした。
「……面白い。数多の種族を観測してきたが、これほどまでに『神秘』を冷徹な論理として扱う個体は初めてだ」
上位精霊の視線が、サキモリを「人間種」というカテゴリから外していく。
彼らは理解したのだ。この男は、自分たちの常識という盤面の外側から、全く別のルールを持ち込んでゲームを破壊する「未知の幾何学」なのだと。
「よかろう。お前たちがただの略奪者か、あるいは理を書き換える特異点か。森の深部にて、門番がその資格を問うだろう。……道を開けなさい」
上位精霊の命令により、精霊の斥候たちが不承不承ながらに左右へ分かれた。
彼らの瞳に宿る色は、もはや侮蔑ではない。正体の見えない化け物を見るような、深い警戒と畏怖であった。
一行は「招かれざる客」から、上位精霊たちが注視すべき「監視対象の特異点」へと格上げされたのだ。
「行きましょう。ルミナ先生、同期の準備を。ここからは、より高密度な演算が必要になりそうです」
サキモリの号令に、三人が力強く頷く。
霧が完全に消え去り、むせ返るような緑に満ちた真実の原生林が、一行を深部へと導いていく。
その先には、精霊の王へと続く最後の門が待ち構えていた。
(第百二十六話へ続く)




