第百二十三話:【逆位相の咆哮】
第百二十三話:【逆位相の咆哮】
「聞こえますか、この忌々しい『歌』?ですね。――相手は、出力を上げましたね」
サキモリの言葉と同時に、森の空気が物理的な圧力を持って膨れ上がった。
精霊族の守護者が放つ認識阻害の極致。
それはもはや霧という形態を捨て、脳髄に直接響く高音の「歌」へと変貌していた。
「あ、う……頭が、割れそうですわ……! サキモリ様……!」
「サキモリ殿、アイギスの光が、押し戻される……!」
エレンが耳を押さえてうずくまり、アリサの構える聖盾がミシミシと悲鳴を上げる。
数千年の間、数多の英雄や魔族を廃人へと追い込んできた「絶対不可侵の結界」。
だが、サキモリはその音の奔流の中で、獲物を狙う鷹のような鋭い目で空中を睨みつけていた。
「ルミナ先生、私の手首を掴んでください。意識の並列処理を開始します」
「……おじさん、了解。いつでもいけるよ」
ルミナがサキモリの腕に触れる。
エルフの聖女が持つ膨大な魔力が、サキモリの脳内に「燃料」として流れ込む。
サキモリは、頭の中に展開されたレーダーチャートを見つめていた。
敵の放つ「歌」を音響エネルギーの波形(サイン波)として視覚化し、その全ての山と谷を瞬時に計測していく。
「アリサ殿、盾を三センチ左へ。仰角をコンマ五度下げてください。エレンさん、アンテナ(矢)の先端を、私の指さす一点へ固定です」
「は、はいっ!」
二人が死に物狂いで指示に従う。
サキモリの指先が、空中に見えない図形を描くように動いた。
「ルミナ先生、魔力を『放出』してください。ただし、そのままではありません。私の脳が描く波形に合わせて、細かく、高速に断続させてください」
サキモリが命じたのは、近代戦術における「ECM(電子妨害)」のファンタジー的再現だった。
敵が放つ「歌(波)」に対し、全く逆の形をした「波」をぶつけ、物理的に打ち消し合う。
いわゆる『アクティブ・ノイズキャンセリング』の原理である。
「逆位相……出力開始!」
ルミナの放つ純粋な魔力が、アリサの盾を反射板として、エレンの矢の先端から放射された。
それは音もなく、光もなく、ただ「透明な衝撃」となって霧の海へと突き抜けていった。
その瞬間、奇跡が起きた。
「……えっ? 音が、消えた……?」
エレンが驚きに目を見開いた。
先ほどまで脳を焼き切るような轟音で鳴り響いていた精霊の歌が、サキモリたちの周囲数メートルだけ、パチリとスイッチを切ったように消失したのだ。
それだけではない。
「歌」が消えた場所から順に、視界を塞いでいた真っ白な霧が、まるで見えない巨大な円柱に押し返されるように、円形に、物理的に消去されていく。
「これが……私の魔力? いいえ、違う。おじさんの『理』が、私の力を書き換えて、世界をねじ伏せてるんだ……」
ルミナは、自身の掌から流れる魔力が「魔法」という既存の概念を超え、精密な「波形」として世界を上書きしていく感触に、震える声で呟いた。
「神秘など、法則性の集合体に過ぎません。解読してしまえば、ただの論理エラーで無力化できます」
サキモリが冷徹に告げた瞬間。
「「――なっ……!?」」
霧が完全に吹き飛んだ数メートル先。
そこには、自分たちの魔法が「消された」ことに、文字通り腰を抜かしてへたり込んでいる精霊の斥候たちの姿があった。
数千年間、誰も立ち入らせなかった聖域の門番たちが、今、初めて「外敵」の姿を、そしてその「恐怖」を、剥き出しの現実の中で直視したのだ。
「中継器を特定しました。アリサ殿、エレンさん。……次は、こちらから『対話』の時間です」
サキモリの冷たい視線が、狼狽える精霊たちを捕らえた。
絶対防御の霧は、もはや存在しない。
(第百二十四話へ続く)




