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コードネーム・ファントムの新たな日常2~少女と名画、そして英国の魔女~  作者: 桜瀬ひな


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ファントム、保護者になる8

 テーブルに置かれたパンフレット。その表紙には屈託のない笑顔を向ける子どもの姿。制服は今時で、チェックのリボンに紺のブレザー、スカートも落ち着いたチェック柄で、年頃の女の子なら着たいと思うようなそれ。


「あ、ここ、私の学校じゃん」


 玲奈の発言に、「え?」とユキは返すが、マスターは「ほっほっほっ」と笑う。


「えぇ、そこの高等部には玲奈もいます。そこも安心要素の一つとして選びました」


 マスターの言葉に、灰島の眉がピクリと動く。


「実はここの理事長は、私の将棋仲間でしてね。ユキくんの状況も汲んでくれまして、環境は申し分ないかと。そんなわけで、佐伯君に推薦しておきました」


 この状況の理由を聞いて、「マジか」と思わず声を漏らしたのは瀬尾だった。


「どんだけ弱み握られてんだよ、うちの長官は」


 後に、瀬尾がそうこぼしたが、灰島もそれには同意するしかない。


「明日までというのは性急ですが、とりあえず一晩考えてみてください。嫌なら辞めても構いません。学校は絶対行かなければならない場所でもありませんから」


 マスターのどこまでもユキの意志を尊重する優しい言葉。 ユキは、テーブルの上に置かれた一枚のパンフレットを、ただじっと見つめていた。 自分の全く知らなかった、新しい世界への扉。鍵は開いている、後はその扉を開くか、開かないか──。


「――あ!」


 張り詰めた沈黙を破ったのは、玲奈の明るい声だった。


「そうだ! ユキちゃん、大事なこと忘れてた!」


「……なに?」


 驚くユキの前で、玲奈はニカっと笑う。


「学校に通うってなったら、いつまでもこのお店の二階に住んでるわけにはいかないよね? 中学なら未成年。ちゃんとおうちと保護者がいるじゃない?」


 玲奈のその言葉に、ユキも灰島もはっとした顔になる。


「うーん、正論だねぇ」


 瀬尾が、ニヤニヤしながら口を挟んだ。


「で、その『保護者様』は誰がやんの? この店のマスターが突然『実は、私の隠し子でしてな』なんて、言い出したら笑えるけど」


 こほん、とマスターがわざとらしく咳払いをして、瀬尾の不謹慎な冗談を黙らせる。 だがその瀬尾の言葉によって、部屋にいた全員の視線が自然と一人の男へと集まっていた。


「……ちょっと、待て。俺が?」


「パパ就任、おめでとうございます」


 灰島が、心底嫌そうな顔で呻く向かいで、瀬尾は心底楽しそうな顔で頭を下げる。


「黙れ。いや、警護はできる。だが『保護者』というのは話が別だ。そもそも俺と彼女に血縁関係は……」


「だーかーらー!」


 歯切れの悪い灰島に、玲奈はどこか楽しそうに声を上げた。


「大人は考えすぎなのよ!」


 彼女は仁王立ちになると、ビシッと灰島を指差した。


「灰島さんが、ユキちゃんの『保護者』になる。それが一番安全で、合理的。これは、決定!」


「おい、勝手に……」


「でも!」


 玲奈は灰島の反論を遮った。


「お年頃の女の子と、三十路過ぎの男の人が、一つ屋根の下で暮らすのは、さすがにマズイでしょ! 色々と!」


 そのあまりにも現実的な言葉に、灰島はぐっと言葉を詰まらせる。


「それは問題だらけだねぇ」と、楽しそうな瀬尾には灰島から冷たい視線が注がれる。けれど、玲奈は、にぱっと太陽のように笑い、最高の解決策を提示した。


「それでね! うちのアパートなんだけど、ちょうど灰島さんのお隣の部屋が空いたんだって! 昨日おばあちゃんから聞いたの!」


「……え?」


 ユキが、驚いたように声を上げる。


「古い部屋だけど、日当たりはいいし、私の部屋もすぐ近く。何より灰島さんの隣なら、世界一安全だよ! ね!?」


 玲奈は興奮気味にそう言うと、灰島の顔を覗き込んだ。 灰島は何も言わずに、ただ静かにユキの顔を見ている。その沈黙が肯定を意味していることを、この場にいる誰もが理解していた。


 学校。 そして、自分だけの部屋。 そのどちらにも信頼できる仲間たちが、すぐそばにいる。


「大家さんの許可が下りれば、いくらでもセキュリティは強化できるしね」


 後押しする瀬尾の声に、玲奈が「許す!」と叫んで笑う。


 ユキは、もう一度パンフレットに目を落とした。 そこに写る楽しそうに笑う制服姿の少女たちの姿が、もう自分とは無関係な遠い世界の出来事だとは思えなかった。


 彼女は顔を上げると、そこにいてくれる全員の顔を見た。 そして、ほんの少しだけ照れくさそうに、しかしはっきりと頷いた。


「……うん。私、そこに住みたい。……学校も行きたい、です」


 それは、彼女が自らの意志で未来を選択した最初の、そして最も力強い一歩だった。


 ——その選択が、彼女の世界を大きく変えることになるとは、この時まだ誰も知らない。


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