ファントム、依頼される1
その日のマスターはご機嫌だった。いや、基本的にはいつだって笑顔を欠かすことのないマスターだが、今日はそれに輪がかかっていた。
今日が土曜日だから、とかそういう問題ではないだろう。
「少し出てきます」
そう言ってスキップでも踏みそうな足取りで、セグレトを出て行った。
「……誰かに会うのかな?」
玲奈の質問に、瀬尾が「そうだねぇ」とキーボードを叩きながら答える。
「女、とか?」
「瀬尾さんじゃあるまいし」
間髪入れないユキの台詞に、「あれ? 俺の評価、どうなってんの?」と返すが、誰の賛同も得られなかった。
小一時間ほどして、帰ってきたマスターは、まさに満面の笑み。そして、彼の手にはしっかりと小さな麻袋が握られていた。
そして、マスターがそれをカウンターにそっと置く。
「マスター、それは……?」
灰島にそう聞かれ、マスターは意味深な笑みを浮かべ、手に持った麻袋をくるりと回し、そのラベルを見せた。
『月の涙』
「マスター、これ……まさか」
灰島がそのラベルに、豆の放つ芳醇な香りに目を見開く。
「ええ。コロンビアの霧深い山奥で年に一度、満月の夜にだけ収穫されるという、幻の珈琲豆です。一杯淹れるのに、三万円は下らないでしょうな」
マスターはまるで我が子のように、その袋を愛おしげに撫でている。
「三万!?」
玲奈と瀬尾の声が綺麗にハモった。
「今夜はこの奇跡の味を、皆さんで分かち合いましょう」
その言葉に、全員がゴクリと喉を鳴らした。
マスターはみんなの反応に満足したのか、笑顔で豆を店の奥にある特別な保管庫に仕舞った。そこは温度と湿度が完璧に管理された金庫のような場所だ。
「さ、閉店まで頑張りましょう!」
こうして、一同はそわそわしながら閉店を待つ身となった。




