ファントム、協力する11
初めて驚愕に目を見開いたマッド・ドッグは、「てめぇ……、何者だ」と問い詰める。
その問いに答える代わりに、三枝は自らの顔に手をかけ、精巧なマスクをゆっくりと引き剥がした。その下から現れたのは、灰島の氷のように冷徹な無表情だった。
「――授業を、始めようか。マッド・ドッグ」
そう言って、灰島はナイフを持つマッド・ドッグに対し、武器を持つことなく素手で構えた。
「OK、殺す」
マッド・ドッグの唇が三日月のように吊り上がった次の瞬間、彼の巨体が爆発した。床を濡らす水を蹴散らし、一直線に灰島へと突進する。その速度は、大男のものとは思えない、まさに肉食獣の踏み込みであった。
灰島は動かない。ただ、その瞳で迫りくるナイフの切っ先、マッド・ドッグの肩の動き、重心の全てを正確に把握していた。
――速い。だが、直線的すぎる。情報通り。
マッド・ドッグのナイフが灰島の眼球を抉ろうと迫った、そのコンマ数秒前、灰島の身体がふっと霞のように消えた。彼は濡れた床をすべるように移動し、最小限の動きで攻撃を回避。マッド・ドッグの死角である背後へと回り込んでいた。
「――!?」
空を切ったマッド・ドッグは驚愕に目を見開いた。しかし、元SASの百戦錬磨のプロである彼は、即座に体勢を立て直し、振り返りざまに逆手に持ったナイフを背後の灰島へと突き出した。常人では反応すらできない神速のカウンター。
戦場で幾度となく敵の命を奪ってきた一撃、だが、灰島はその軌道を読んでいた。
ナイフが灰島の脇腹を狙って突き出された瞬間、灰島はわずかに腰をひねり、刃先を紙一重で避ける。回避と同時に、伸びきったマッド・ドッグのナイフを持つ腕を、左手で掴む。その勢いを殺さず、自らの身体を独楽のように回転させ、逆の右肘を無防備な顎へと、骨ごと砕く勢いで叩き込んだ。
ゴッ、と骨と肉が軋む鈍い衝撃音。 常人ならば脳が揺れ、意識を刈り取られる一撃。 しかし、マッド・ドッグは倒れない。
彼は打たれた衝撃のまま、逆に灰島の腕を鷲掴みにし、その腹部へと渾身の膝蹴りを突き上げた。
「──っ」
体を浮かせ、多少なり力を逃がしたが、それでも灰島の息が一瞬詰まる。それでもすぐに次の攻撃に備えたが、先ほどの顎への攻撃が効いているのであろう、マッド・ドッグは自分の顎をさすり、数回頭を振ると強い殺意を湛えた目で、灰島を見た。
灰島は彼より先に動き、マッド・ドッグの足元の水たまりを力強く蹴り上げた。水飛沫がマッド・ドッグの顔面に炸裂し、一瞬だけ視界を奪う。
灰島は、その隙を逃さない。
すぐそばにあったアグリッパの石膏像の首を掴むと、遠心力も加えて渾身の力でマッド・ドッグにぶつける。マッド・ドッグは頭を、目をかばうように腕でガードするが、石膏像は木っ端みじんに砕ける。さらに視界を奪われた時、彼の腕に灰島の蹴りがヒットした。
「ぐ、ぁっ……!」
鈍い、骨の軋む音。
マッド・ドッグの腕からナイフが滑り落ち、床に水音を立てて転がった。
武器を失い、片腕を破壊されても、マッド・ドッグの戦意は衰えない。
「……上等だ、オラァ!」
彼は残った左腕で、灰島に殴りかかる。 だが、すでに勝敗は決していた。
灰島は、マッド・ドッグの大振りのパンチを受け流す。その動きは滑らかで、マッド・ドッグの猛攻をいなし、その隙を突いて正確な一撃を叩き込む。対するマッド・ドッグは炎のような動きで、すべてをなぎ倒し破壊する圧倒的なパワーで灰島を追い詰めようとしていた。




