ファントム、協力する9
ヴァルチャーの笑いがぴたりと止まった。その瞳には、もはや知的な美術コレクターの光はなく、獲物を逃し、飢えたハゲタカのような目だった。
彼は無線機のスイッチを入れ、「――全チームに告ぐ。プランAは失敗。プランBに移行する」と告げる。
そして、彼は別の回線に切り替え、「『マッド・ドッグ』、聞こえるか」と呼びかけた。
無線からは、ノイズ混じりの獣のような声で、「……ああ、待ちくたびれたぜ」と返ってきた。
「お前の出番だ。校内に再侵入しろ。目的は、三枝誠の身柄確保。および、本物の『ロスチャイルド・フレーム』の回収だ」
その命令に対し、少し間が空いた。
「……どうした?」
『いや、それは了解した。一人、面白い奴を見かけた。そいつは殺してもいいよな?』
まるで遊びの提案でもするような彼に、ヴァルチャーは冷たく「好きにしろ」と言い放った。
「ああ、それと、三枝が抵抗するようなら、保険を確保しろ」
『……保険?』
「――目についた生徒でいい。一人、連れてこい。あの教師に、ゲームの本当の『ルール』を教えてやる」
その非情な指令と共に、最凶の「猟犬」が静まり返った学び舎へと放たれた。
グラウンドにはたくさんの生徒が避難していた。
「クラス単位で担任の居る場所に集まって!」
誰かが呼んだのだろう、遠くからサイレンも聞こえてくる。
「煙を吸って気分が悪くなった人は──」
けれど、幸いなことに階段で将棋倒しになることもなく、ほとんどの生徒がちゃんと避難できているように見えた。
「先生?」
立ち止まる三枝に、佐々木が声をかける。三枝は煙の立ち込める美術室を見上げた。ここから火は見えない。煙は上がっているが、この調子なら美術室に火は回っていないだろう。
「……まだ、逃げ遅れてる生徒がいるかもしれないから、僕は戻るよ」
「え? ダメですよ! 先生!?」
呼び止める佐々木を振り切って、三枝は小火の煙が立ち込める建物に向かって走り始めた。
階段を一気に駆け上がる。2階の化学室からは変わらず煙が出ているが、スプリンクラーが作動したおかげなのか火の手は見えない。三枝はそれを一瞥すると、そのまま3階へ向かった。
3階の廊下は、スプリンクラーから降り注ぐ水で、床が川のようになっていた。 火災報知器のベルのけたたましい音だけが、無人の校舎に不気味に響き渡っている。 三枝は迷うことなく美術室の扉を開けた。
中はひどい状態だった。床は水浸しで、壁に飾られた多くの生徒の作品も水に濡れていた。部屋の中央にあったガラスケースは無残にも破壊され、中にあったはずの『名もなき貴族』は跡形もなく消え失せていた。
「……」
三枝は、安堵と恐怖が入り混じる複雑な表情で息をのんだ。アルケナはまんまと、「本物」の札がかかった偽物の額縁に入った絵画を奪っていったのだ。
彼の視線が壁際に移ると、そこには「贋作」の札がかけられたもう一枚の『名もなき貴族』が無造作に立てかけられていた。それは佐々木が描いた完璧な模写であり、同時に本物の『ロスチャイルド・フレーム』でもあった。
「このまま……」
アルケナが騙されてくれるなら、それが一番いい。もしもバレたら──?
三枝が本物の額縁へと歩み寄ろうとした、その時だった。
開いたままの扉から、巨大な影がさっと差し込んだ。その影は音もなく美術室へと滑り込む。そこに立っていたのは、獣のような眼光を宿した大男――「マッド・ドッグ」だった。
その手には、濡れた床に不気味な光を反射させるコンバットナイフが握られていた。
「……見つけたぜ、先生」
マッド・ドッグは、楽しそうに喉を鳴らした。




