ファントム、見守る18
そう言って、セレスティーナは灰島にキスをした。
カタン、とマスターが静かにソーサーを置く音だけが、張り詰めた店内に響く。
唇が離れ、セレスティーナは満足げに微笑んだ。灰島は、鋼のような表情を崩さないまま、ただ静かに彼女を見据えている。
その沈黙を最初に破ったのは、玲奈の引きつったような声だった。
「え……え、え、えええええええっ!?」
顔をトマトのように真っ赤にした玲奈は、信じられないものを見た、というように灰島とセレスティーナを何度も交互に見比べ、口をパクパクさせている。まるで処理能力を超えたコンピューターのように、完全にフリーズしていた。
「ひゅー、羨ましいねぇ」
対照的に、面白くてたまらないといった様子で口笛を吹いたのは瀬尾だった。彼はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
「……何やってんのよ」
そして、ユキは呆れるようにそう言い、冷たい視線で灰島を見た。
「あら、ただの大人の挨拶よ」
そう言って、セレスティーナは灰島のシャツを手放すと、確信を持った目で彼を見た。
「これで交渉は成立、と思って──」
「断る」
灰島の即答に、セレスティーナの笑みが凍り付く。
「……正気なの? 私と組まなければ、あなたたちだけでは――」
「主導権の話だ」
灰島はセレスティーナの言葉を遮った。
「お前のやり方では、必ず生徒に被害が出る。だが、俺のやり方なら、誰一人傷つけずに終わらせられる。……お前が俺の指示に完全に従うというのなら、一時的に組んでやってもいい」
「なんですって? この私が、あなたの……」
「MI6のやり方でやりたければ、一人でやれ。だが、失敗すればお前のキャリアは完全に終わる。俺と組めば、手柄はお前にくれてやる。……選べ」
灰島の瞳には、揺るぎない自信と、全てを見通すような冷静さがあった。セレスティーナは数秒間、屈辱に唇を噛んだが、やがてふっと息を吐いて笑った。
「……面白いわ、ファントム。いいでしょう。乗ってあげる。ただし、約束は守ってもらうわよ」
「ああ。俺は貸しは返す主義だ」
「なら、これも一つオマケするわ」
コトッと、カウンターに置かれたのは透明な液体が入った小瓶。
「まだ指先に痺れがあるんじゃない?」
セレスティーナの言葉に、「え?」とユキが声をあげるが、灰島は欠片も反応しない。
「うちで開発したあの自白剤は、後遺症を限りなく小さくしてるけど、限界があるもの。どこぞの野良犬が中和剤を持ち出したのも知ってるけど、それでも完全じゃないんでしょう?」
「……まぁ、だろうね」と答えたのは、灰島ではなく野良犬の方。だから、灰島は彼をじろりと睨んだが、瀬尾は肩をすくめて笑う。
「怒るなよ、俺にしか分からん程度だ。いずれ治るかとも思ったが、マダムの好意を素直に受け取ってもいいんじゃないか?」
瀬尾の告げる真実に、クリスティーナも楽しそうに口角を上げた。
「本当に亡霊になられたんじゃ困るし、失敗されても困るから飲んで頂戴」
「誰に言ってる?」
「ふふっ、また来るわ、マスター」
「えぇ、いつでもお待ちしております」
マスターが恭しく頭を下げる。
こうして、史上最も危険で、歪な共同戦線が結ばれた。




