ファントム、見守る17
「――額縁の本来の所有者である、ユダヤ人一族に代々口伝でのみ伝えられてきた、『詩篇』ではないか、と推測される」
あくまでMI6の見解よ、とセレスティーナは付け加えたが、その可能性が高いことを灰島も瀬尾も理解した。
「なるほどね、それでそれを知っているのは三枝センセだけ、かもしれないってことか……」
瀬尾が出した結論に、セレスティーナも頷く。
「アルケナは三枝を殺せない。彼を脅し協力させ、『詩篇』を聞き出すしか方法がないのよ」
彼女の説明で、三枝を巡る状況は理解できた。が、まだ分からないことがある。
「……三枝先生は、どうして佐々木君にあの絵を模写させてるのかしら?」
ユキの問いには、セレスティーナも両肩をすくめ「さあ?」としか答えない。だから、代わりに瀬尾が答えた。
「なにか、考えがあるのかもな。まぁこれまでの話だと、額が奪われても隠してる美術品までは奪われないってところで安心はしてるんだろうけど」
それにしても、なんの目的があって模写をさせているのか、答えは三枝しか持っていないだろう。
「もう一つ、聞きたいわ、セレスティーナ」
「何かしら? お嬢ちゃん」
セレスティーナに揶揄されても、ユキは気にすることなく質問した。
「アルケナもMI6も、どうして三枝先生を捕まえて自白剤を使わないの? お得意でしょ?」
嫌味を込めたユキのセリフだが、セレスティーナはそれを一笑した。
「フフッ、自白剤を使ったことのないお嬢ちゃんらしい考えだわ。自白剤はね、意識を混濁させて真実を吐き出させる薬。それを打てば、確かに三枝は『詩篇』を口にするかもしれないけれど、それは確かなものでないと解読には使えない。混濁した状態で正確に詠唱できると思う?」
鼻で笑われ、ユキはムッとした表情を見せたが、セレスティーナは気にもしない。
「でもアルケナは分からないわ。今のところ紳士的なコンタクトをしてるようだけど……」
相手は美術品をただの資産と考え売り払い、その資金でテロを起こすような連中だ。いつまでも三枝の答えを待つ、なんてことはできないだろう。
「だから、私が自ら彼の護衛をすることにしたのよ」
そのセリフだけ聞けば、まるで正義の味方。だが、その真意を知っているから瀬尾は「はっ!」と笑った。
「横からかっさらうつもりの人間が何を言ってるんだか」
「失礼ね。元々、ミスター三枝の資産でもないわ。それにワシントン原則があるのを知ってるでしょう?」
1998年にワシントンD.C.で開催された「ホロコースト時代の資産に関する会議」で、ナチスによって没収された美術品の返還を促進することをガイドラインとした、『ワシントン原則』が採択された。
この原則は法的拘束力はないけれど、道義的・文化的責任に基づく国際的な合意として広く認識されている。
「イギリスは、この美術品でイスラエル、あるいはアメリカに恩を売りたい、ということか」
灰島の出した結論に、セレスティーナはにこりと笑った。
「正解よ、ファントム。世界情勢もきな臭いから、少しでもイギリスの地位を上げたいらしいのだけど……」
セレスティーナは立ち上がり、灰島のシャツを掴みカウンター越しに引き寄せる。
「私にはそんなことはどうでもいいの。私は私のためにこのミッションを成功させる。だから、協力しなさい」
「……俺に何のメリットが?」
「私に借りがあるでしょう?」
「貸しか思いつかんな」
「なら、今貸すわ」
セレスティーナの白い指が、灰島のシャツの襟を掴む力が強くなる。サファイアの瞳が、至近距離で彼の黒い瞳を射抜いた。
「貸し、その一。アルケナの狙いは文化祭当日。衆人環視の中、混乱に乗じて全てを奪う計画よ」
灰島は無言のまま、彼女の次の言葉を待つ。
「貸し、その二。彼らの実行部隊のリーダーは元SASの傭兵、『マッド・ドッグ』。快楽殺人者よ。奴らは目的のためなら、生徒を人質に取ることも、殺すことも躊躇しない」
その名前に、瀬尾が息を呑んだ。コクチョウのリストにも載っている、最も危険な男の一人だ。
「これが最後の貸し」




