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コードネーム・ファントムの新たな日常2~少女と名画、そして英国の魔女~  作者: 桜瀬ひな


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ファントム、見守る13

 そこに立っていたのは、もはや教師の仮面を脱ぎ捨てた一人の「プロ」、黒いパンツスーツに身を包んだセレスティーナだった。彼女は驚きに固まる一同を見渡し、その真紅の唇に挑戦的な笑みを浮かべた。


「あら、このお店はお客に銃口を向けて迎えるのかしら?」


 彼女は一人だった。対して、こちらはコクチョウのエージェント二人、さらには忍者であるマスターに玲奈もいる。どう見ても、勝てる状況ではない。


「ふふっ、撃たないの?」


 カツンと、ヒールを鳴らし近づくが、彼女の言う通り、灰島も瀬尾も引き金を引くことができない。


「撃てないわよねぇ? だって、私、丸腰だもの。そんな人間相手に引き金を引けないことくらい、知ってるわ」


 セレスティーナはそう言うと、まるで自分の勝利を確信したかのように、美しく微笑んだ。

 言い返せない瀬尾は眉間に皺を寄せ、灰島も身動きが取れない。その中、最初に動いたのはマスターだった。


「申し訳ありません、本日は臨時休業でして」

「あら、折角会いに来たのにつれないわね。挨拶くらいさせて欲しいわ。ねぇ? ファントム」


 また一歩近づくセレスティーナに、灰島は冷たい視線を返すが、彼女は気にすることなく無防備なまま近づいてくる。


「どこを撃ちたい? 確実に仕留めるならここよ」


 自分の額を、人差し指で軽く叩きながら示すが、灰島が引き金を引くことはない。だから、セレスティーナは勝ち誇ったように微笑んだ。


「我々の負けですな。うちは喫茶店ですから、コーヒーでもいかがですか?」


「マスター!?」と瀬尾は声を上げるが、それをマスターは片手を上げて制した。


「彼女は一人でここに来たのです。丁重にもてなすのが礼儀でしょう」


 静かで絶対的な言葉に、灰島は何も言えず、瀬尾も唇を噛む。 セレスティーナは、そのシュールな光景を、心底楽しそうに見つめていた。


「……ふふっ。ええ、いただくわ」


 彼女は勝ち誇ったように微笑みながらそう言った。


「灰島くん」


 マスターが静かに促す。


「……聞こえましたかな? お客様に最高の一杯を」


 灰島はセレスティーナから一度も視線を外さぬまま、数秒間黙っていた。 その瞳には冷たい殺意の光が宿っている。 やがて彼はゆっくりと滑らかな動きで銃口を下げると、カウンターの下に隠し持っていたH&K P7M8を、音もなく元のホルスターへと戻した。 そして、彼は完璧な「店員」の顔でセレスティーナに向き直ると言った。


「どのようなものをお望みですか? 当店ではお客様の好みに合わせブレンドいたしますが……」


 あまりにも現実離れした光景。 セレスティーナはついに、堪えきれない、といった様子で声を上げて笑った。


「あはははは! 面白いわ、この店! 最高よ、あなたたち!」


 彼女はそう言うと、素直に瀬尾の隣、そして灰島の真向かいのカウンター席へと腰を下ろした。

 ユキと玲奈は、この異常な「お茶会」の意味を理解できないまま、ただ固唾を飲んで見守るしかなかった。

 灰島は完璧な店員の顔で、静かにセレスティーナの前にグラスとおしぼりを置いた。その淀みない一連の動作には、一切の感情の揺らぎもない。セレスティーナは面白そうに、その完璧な所作を眺めていた。


「さて、何にしようかしら?」


 彼女は足を組み、挑戦的な笑みを浮かべて言った。少し思案して彼女が注文したのは、普通のブレンドでもカプチーノでもなかった。


「アインシュペナーにするわ。エスプレッソはダブルで」


その専門的で通好みな注文に、瀬尾は小声で「気取った女だな」と悪態をつく。

 それはウィーン発祥の、深いエスプレッソの上に冷たいホイップクリームを浮かべた一杯。黒と白の鮮やかな対比、熱さと冷たさの共存が特徴だ。

『私という人間は、苦いエスプレッソが本性で、あなたに見せている甘い顔は、ただのクリームに過ぎないのよ』と、彼女らしい挑発的な言い回しでの注文だった。

 しかし、灰島は、その言葉を聞いても微動だにせず、まるで日常の一部であるかのように、ごく自然にその注文に応じた。


「……承知いたしました」


 灰島はそう言うと、手慣れた動作でポルタフィルターを外し、豆を均す。だが、その手つきにはどこか慎重さが宿っていた。まるで、音楽家が一音一音を選ぶように。豆は深煎り、艶やかで、指先に微かな油分が残る。タンパーで圧をかける瞬間、彼の眉間にわずかな皺が寄った。完璧な抽出のための、静かな集中。

 マシンが唸りを上げると、濃密なエスプレッソがゆっくりとグラスに落ちていく。琥珀色の液体は、まるで記憶の断片のように、ひとしずくずつ積み重なっていく。彼はその様子を見つめながら、冷蔵庫からホイップクリームを取り出す。スプーンを使わず、絞り袋で丁寧に──まるで絵画に最後の筆を入れるように──クリームを乗せる。

 黒と白、熱と冷。混じり合わない二つが織りなす一杯、それは灰島からセレスティーナへの無言の返答だった。

 完璧な一杯をセレスティーナの前に音もなく置くと、灰島は静かに言った。


「……ご注文の品です」


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