ファントム、見守る10
その夜。 美術教師、三枝 誠は、書斎で一人頭を抱えていた。 彼の目の前には古い家族写真。その隣には、彼が若い頃、情熱を注いでいた美術品修復に関する専門書が、山と積まれている。
(……やはり、あんなものを学校に持ち込むべきではなかった)
彼の後悔を嘲笑うかのように、静かな部屋にスマートフォンの着信音が鳴り響いた。 非通知設定。 三枝の顔がこわばる。震える手で彼はその電話に出た。
「……もしもし」
『――三枝 誠先生、お久しぶりです』
電話の向こうから聞こえてきたのは、抑揚のない、ねっとりとした男の声だった。
「……もう、かけてくるなと言ったはずです」
『つれないですね。我々は、あなたのお祖父様の古い友人ですよ。これでも気にかけているのですよ、あなたが残された遺品の処理に困っているのでは、と。金額は前回の1.2倍で──』
「断ったはずだ!」
三枝は相手の言葉を最後まで聞かず、叫んだ。
『おや、まだ足りませんか? それでは2億、これでいかがでしょう? かなり破格な金額です。これであなたの悩みもすべてなくなるのだから、日本語で何と言いましたか? あぁ、一石二鳥、であってますか?』
まるで甘い悪魔の囁き。 だが、三枝は震える声を振り絞って答えた。
「……あれは、金に換えられるものでは、ない……!」
『ほう』
電話の向こうの男の声の温度が、数度下がった。
『そうですか。それは残念です。……ですが先生。美術品というものは、時に持ち主を選ぶ。相応しくない持ち主は、不幸に見舞われるものですから』
男はそこで一度言葉を切ると、楽しむように続ける。
『……あなたの、可愛い生徒さんたちも――ね』
そのあまりにも卑劣な脅迫の言葉。 三枝は何も言い返せないまま、電話は一方的に切られた。 彼はその場に崩れ落ち、声を殺して嗚咽を漏らした。
翌朝は、全校生徒が集まる朝礼から始まった。 退屈な校長の話が終わり、生徒たちの集中力が切れかかった、その時だった。 校長が少し興奮したように、一人の女性を壇上へと招き入れた。
体育館がどよめく。 壇上に現れたのは、プラチナブロンドの長い髪を優雅に揺らす、モデルのような長身の外国人女性だった。 その圧倒的な美貌とスタイルに、誰もが目を奪われる。
「皆さん、ご紹介します。本日より、短期の交換教師として、皆さんの英語会話授業を担当してくださる、セレス・ウォルコット先生です!」
彼女はマイクを受け取ると、完璧な、そしてどこか蠱惑的な日本語で微笑んだ。
「セレスと呼んでください。日本の素晴らしい文化に触れられることを、楽しみにしていますね」
男子生徒たちが、一斉に色めき立つ。その中で、一人の女子生徒だけが、目を見開き動けなくなっていた。
セレスはサファイアのような瞳で、体育館の生徒たちをゆっくりと見渡した。 そして、その視線が後方に立つユキの姿を捉えたその瞬間、ぴたりと止まり、真紅の唇で微笑んだ。




