ファントム、見守る5
翌日、ユキに話しかける生徒もおらず、彼女も誰にも話しかけなかった。それを少し寂しいとも思ったが、ホッとする気持ちもあった。
このまま、学生生活を送るのか? それになんの意味があるのだろう? 学ぶべきことなど、どこにもないのに……。
「神崎さん、俺もね、見たよ」
誰も話しかけないのに、隣の佐々木だけがそう声をかけてきた。
「……え?」
「ペルセウス座流星群。本当に綺麗だった。そのおかげで寝不足になったけど」
「……そう」
あまりにも屈託のない笑顔に、ここ数日ずっとこわばっていたユキの頬の筋肉が、ほんの少しだけ緩んでしまう。
「……あ、そうだ」
佐々木が、何かを思い出したように言った。
「俺ね、あの時の夜空、描いたんだ」
意味が分からず首を傾げれば、今度ははにかむように笑う。
「俺、美術部なんだ。部活、決めてないんでしょ? 俺もまだまだ下手だけど、良かったら見に来ない?」
こんな無垢な誘いを、ユキは断る言葉を知らなかった。
美術室は、絵の具と油の匂いがした。 壁という壁に、描きかけのキャンバスが立てかけられていた。その色彩の洪水と創造の混沌は、ユキがこれまで生きてきた無菌室のようなラボとは、正反対の世界だった。
「これ」
佐々木が指差したのは、部屋の隅に置かれた一枚の大きなキャンバス。そこに描かれていたのは吸い込まれそうなほど、深い藍色の夜空とそこに散らばる無数の星々だった。その静かな迫力に、ユキは思わず息を飲む。
「凄いわ、吸い込まれそう……」
何の忖度もないユキの賞賛に、佐々木はやはりはにかむように笑う。別段、イケメンなわけでも、不細工なわけでもない。ふんわりとした空気をまとい、捉えどころのない印象は、どこかミステリアスにも感じる。
「ありがとう、これまでで一番うれしい誉め言葉だよ」
あまりにまっすぐな返しに、ユキの方が照れてしまって目をそらした。その先には──。
「あの絵は?」
イーゼルに掛けられた2枚の絵。それはまるで同じもののように見えたが、片方には額があつらえてあった。
「あれは文化祭に展示する作品だよ」
そう言いながら、彼は二枚の絵を見せた。
「今回のテーマは『巨匠への挑戦』なんだ。どこまで本物に近づけるか、そこに挑戦しようってね」
「へぇ……、でも、この絵って有名なの?」
ユキはその絵をマジマジと見つめたが、どこにもサインはないし、見たことのない絵だった。周りの部員たちの作品は、ゴッホだったりモネだったり、世界的に有名な絵ばかりだというのに。
「ううん、全然」
佐々木はあっさりと首を振った。
「俺も今回初めて見たんだ。これは顧問の三枝先生の個人的な所蔵品なんだって」
「……先生の?」
「うん。先生が言うには、作者不明の『名もなき貴族』っていう肖像画らしいんだけど……」
彼は少し言葉を選びながら続けた。
「技術的には、正直そこまで凄い絵じゃないらしいよ? でも先生、この絵にすごく思い入れがあるみたいでさ。だから、俺にこの絵に『挑戦』してみてほしいって」
その言葉に、ユキは改めて二枚の絵を見比べた。 額縁に入っている方が本物。その隣でまだ描きかけなのが、佐々木の模写。
「……」




