ファントム、保護者になる10
マスターからの的確な「指導」の後、灰島はまるで新しい作戦計画を練り直すかのように、キッチンの隅で今度は栄養学の専門書と一週間の献立カレンダーを睨みつけていた。
勿論、モーニングの合間に、だ。
そして昼時の喧騒が過ぎ去り、午後の柔らかな光が店の中に満ちていく。 カウンターの中では、マスターが静かに食器を磨いている。 客席のテーブルでは、ユキが玲奈の学校の宿題である、数学の応用問題を見てやっていた。
「だからね、たとえばサインは円の上を滑る点が、縦にどれだけ動いたかを示すのよ。コサインは横の動き。ほとんどはこの二つで表現できるの。そしてタンジェントは、サインをコサインで割ったもの。つまり、縦の動きが横の動きに対してどれだけ急かってるか。坂道の角度、光の屈折、狙撃の軌道の全部、タンジェントで語れるのよ」
「……ユキちゃん、完全意味不明です」
それを見ながら笑う瀬尾だが、その指はノートパソコンのキーボードを叩き続けている。
これも今ではいつもの風景だ。
そして、夕方。 昨日の彼が現れたのと、ほぼ同じ時刻。 チリンとアンティークな扉のベルが鳴った。
「あ、陣内さん、こんばんは」
玲奈が、ごく自然にそう言って手を振る。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
玲奈に頷き、マスターの言葉に誘われカウンターに座る。
「いつものブレンドよろしいですか?」
「あぁ」
常連のような会話だが、陣内の視線はユキに向けられていた。
「で、どうする?」
「行くわ、学校」
即座に返ってくる言葉に、陣内はフッと笑い、ユキの向かいに座る玲奈も「うんうん!」と満面の笑みだ。
「じゃ、これは長官からのプレゼントだ」
どさっとテーブルに置かれた紙袋から、チェックの生地が覗く。
「あ、制服?」
中学時代、自分も着ていたのだからすぐにわかるのだろう。玲奈が答えを言うと、陣内も「そうだ」と短く答える。
「あと、これがユキのマイナンバーカード。勿論、戸籍も用意した。もうすでに役場の資料は書き直されている」
テーブルに置かれたのは、彼女の顔写真入りのマイナンバーカード、そして1枚の戸籍謄本。
彼女の名前。生年月日。そして、『続柄』の欄には、『養子』という二文字。 そのすぐ上。『戸主』の欄に書かれていたのは――。
『灰島』




