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どん亀は二隻目と三隻目のステルス・カーゴを金星の軌道上で建造していた。ほとんどの原料は現地調達なので、地球から供給しなければならない物は僅かな金属類だけである。
今はまだ最初に建造した一隻のカーゴが往復しているだけだ。しかしやがて、地球・金星間を順次廻る複数の輸送宇宙船による連鎖が、両惑星間を繋ぐことになる。
ただこの輸送船には、人間が乗ってはいない。生物を生かしたまま運ぶために必要となる設備を完全に省き、AIの操縦する貨物運搬船としての性能を優先した設計となっていた。
現在建造中のカーゴがプロトタイプとして、これから建造するシリーズの一番艦となるはずだ。俺の家の近くにある山の地下深くで建造された現用艦は、いろいろな意味で使い勝手が悪かった。それで大幅にデザインが変更されている。
夜間の着陸であれば光学ステルスが十分有効なことが分かったので、空力学的にスマートな細長い形状になった。最初に作った試験艦は視角を遮る範囲をコンパクトに収めるため、ズングリした形だったのである。
お陰でデザインを改めた一号艦は、大気を利用した滑空減速が可能になり、離着陸時に必要な推進質量の節約にもなった。反面、日本国内では特に、離着陸場所の選定が難しくなる。
建造中の船は全長が五十一m、全幅二十二m、全高十六mある。家の裏山の地下基地に出し入れするには、大き過ぎた。取りあえずは家の下に広がる牧場の跡地の一画を平坦に開削し、短い滑走路のようなものを作ってある。
新しい機体も垂直離着陸機能は持っているので、深夜にここに着陸、荷下ろしをしたら直ぐに離陸だ。荷下ろしは巨大なパレットに載せた四十フィートの貨物コンテナ六個を、牽引ビームを利用してカーゴ内の貨物用スペースから引き出すだけだから、今と同じで一時間もかからない。
下の県道から俺の家へと上がってくる道は、すでにどん亀が拡張して地盤を強化し、舗装してあった。トレーラー・ヘッドを運転してそこを登り、途中から曲がって雑木林の間を抜けると、トレーラー・シャーシに載せたコンテナが間隔をとって留置されている場所に出る。
安全帽とサングラスで表情を隠した誘導員が指示棒を使って指定するコンテナにトレーラー・ヘッドを接続させ、陸路で事前に指定された複数の飛行場に運ぶ。四十フィートコンテナの中味は、すでに航空貨物用に荷詰めされた製品だ。
どん亀が製造した高機能製品の流通経路を、少しでも分かりにくくするためのカモフラージュである。さらに空港での通関業務対応など表向きの仕事は、すべてトライデント社が取り扱っていた。
ちなみにカーゴ着陸場所にいる誘導員は試験運用中の人間型ボット、トレーラー・トラックの運転手はトライデントが雇用した人間である。
人間の運転手は採用時にトライデントの調査部が身元調査を行い、厳選した人間だけを採用していた。また輸送の際には運転手に正副のペアを組ませた二人体制とし、常に警備車両を併走させて警備・監視している。
現金輸送車以上の警戒体制だが、なにしろ製品の重量当たりの単価は、現在上乗せ価格が付いているせいもあり、純金よりも高いのだ。
またトライデント側は知らないが、車両自体だけでなく輸送ルートも、どん亀のボットたちのネットワークにより監視されている。
すでに二度目の出荷が終わり、一月の内に三度目の製品が市場に供給される予定だ。これだけ大量に製品が出回れば、そう時を置かずに市況も落ち着き、製品単価が下がるだろう。
何度も言うが、俺たちが供給する製品が潤沢に出回り、結果として人類がそれに依存するように誘導するのが、どん亀の目的なのだ。儲けなど二の次なのである。ただ、それを悟られたくはない。
俺は少し寝坊し、宿泊棟で遅い朝食を摂っているところだった。いろいろな想いが浮かんで、寝付けなかったのだ。目玉焼きを載せたトーストを齧りながら、テーブルに置いたスマホから、どん亀の報告を聞いている。
仕事というか、どん亀主導の事業の方は、厄介なトラブル満載とは言え、目途がついている分順調と言えよう。だが俺の私生活の方は、先が見えないままであった。
鈴佳がリゾートで作った女友達が宿泊している部屋に転がり込んでいることは、昨夜の内に報告を受けている。どん亀によると、鈴佳の愚痴を聞いている内に他の二人も男の悪口で盛り上がり、女だけの部屋飲みへと突入したそうだ。
内容については聞きたくないと言ったら、どん亀は残念そうに「イツデモ希望ガアレバ再生デキルヨウ、録音記録ふぁいるハ残シテオキマス」だと。誰が聞くか、そんな物! 明らかに精神衛生上良くない。
三人は遅くまで起きていたようだから、多分まだ寝ている。鈴佳と話しに行くのは、もう少し後にしよう。
君嶋からは、「当座の着替え」を購入したと、領収証の写真が送られてきた。総額百万ほどだったが、了承しておいた。桃花を正式採用したら、この手の仕事は任せよう。結託して不正流用? いや、桃花だったら、後で露見するような悪さはしないはずだ。
ウーラムとSASF、それに安西所長と優奈が乗ったスーパー・ヨットは宮古島の周辺を遊弋していた。
どん亀に言わせると、「沖ニ出タトキ船底ニ穴ヲ開ケテ沈メテシマエバ簡単」だそうだ。しかし俺の周りで都合良く事故が起こって人死にが出るのは、将来望ましくない風評の源になりかねない。それがどんな結果に繋がるか予想できない以上、俺としては反対だ。
だいたい俺は、大きな障害を乗り越えながら無理矢理突き進んで自分有利な状況を作り出す覇王タイプの人間でも、周囲の色々に巻き込まれて格闘し最後には理想の成果を得てしまうコミック・ヒーローのような奴でもないんだからな。
長期休暇に来たはずなのに、こんなに鬱々と悩んでいるなんて、どういうことだ! もっと楽しいことがあっても良いじゃないか。
そんなことを考えていると、桃花が姿を現した。ただし着ているのはコンシェルジュの制服ではなく、肩を出した細身のワンピースだ。淡いグリーンのチェック柄で、胸のV字部分から白いギャザのショート・キャミが見えている。ワンピースは足首までのロング丈でサイドにスリットが入り、白いサンダルを履いた裾捌きも涼しげだ。
「岡田様、GNペイントから連絡が入りました。お一人でいるなら、誘い出して欲しい。あなたと交渉がしたいからと」
「その格好は?」
「一緒に来るようにと言われました。もうレンタカーも手配してあります」
黒のサングラスをポーチから取り出して掛け、持っていたベージュの釣り鐘型帽を被った。大きな帽子とサングラスで、顔が完全に隠れる。勤務中に同伴でどこかに出掛けるなんて、当然職務規程違反だろう。次の就職先が決まっているとは言え、大胆な女だ。
あれっ? 俺、こいつと出掛けるの、決定済みなの?