◆90◆
前にも借りたスポーツタイプのツー・シーターを運転し、海岸沿いに二三五号線を二十分ほど走っている。目的地は宮古島の南東の端に細長く二キロほど突き出した、東平安名崎という場所だ。
近くには保良という名の小さな漁港がある。その傍を通り過ぎ、岬の先端にある駐車場まで行く。桃花は助手席に座り、風に帽子が飛ばされないよう押さえていて、何も言わない。俺としては朝から鬱々としていたものが、少し晴れている気がした。
海と空は青く、若い美女を脇に座らせてオープンカーを走らせるのは良い気分だ。まあ、こいつが何を考えているか、腹の中は分からないけど。
俺を誘い出してGNペイントに売り渡そうと言うなら、面白い。そんなことができるならやってみろ、という気分だった。
「落ち着いてるのね」と、俺の顔を見た桃花が言った。
「何か気にしなければならないことがあるのか?」
「心配じゃないの?」
「相手は取引したいと言うんだろう。仕事の話だ」
車は白い灯台の側にある駐車場に滑り込んだ。待っていたのはレンタカーの前に立つ、二人の男である。
「あそこよ。側まで行って」
五メートルほど離れた場所に車を停めた。俺が降りると、桃花も自分でドアを開けて降りる。
「岡田さんを連れて来たわ」
近寄ってきたのは俺より少し背の低い痩せ形の男と、ごつい身体付きで鼻が潰れた、格闘技でもやっていそうな男の、二人組だ。
「やあ、これはご足労頂きまして、どうも」と、慇懃無礼を絵に描いたような笑みを浮かべ、話しかけてきたのは痩せた男の方だ。なんか安い。町金の取り立てに来る奴みたいだ。
「今、名刺を持ち合わせないんで、交換はできないよ。何しろ休暇中でね」
馬鹿馬鹿しくなり、俺がぶっきらぼうにそう言うと、ガタイのでかい方が肩を怒らせ前に出ようとする。それをもう一人が片腕で制した。
「岡田さん。この片岡はね、大学のアメフト部で暴力事件を起こした前歴があるのに、どういうわけかうちの会社に紛れ込んだ奴なんだ。気が短くて、口より手の方が先に出る困った癖があるんで、僕も苦労しているのさ。こいつをあんまりイライラさせると、僕だって止め切れないかも知れないよ」
「そんな奴を雇っているなんて、GNペイントも落ちぶれたもんだな」
俺がそう嘲ると、痩せ男のこめかみが引き攣る。脅しが通用しなかったことが、よほど気に食わないようだ。稼業者にしても、随分沸点が低い。でかい方は戸惑っている顔である。あれ、最初に桃花から聞いていたのと違う。もう少しマシな相手かと見込んでいたが……俺が男だからか?
「少し痛めつけてからでないと、素直になれないようだね」
おいおい、有名企業の社員を名乗っているのに、中味は半グレか暴力団の三下レベルなのか? てっきり取引を持ち掛けてくると思っていたのに、当てが外れた。おまけに話もしないで直ぐ腕力かよ!
でかいのを俺にけしかけた男は、桃花の方に歩み寄って腕を掴もうとする。桃花は逃げて、俺の後ろに身を避けた。
「やれやれ」
俺はベルトのホルスターから、太さ三センチ、長さが十二センチの黒い筒を取り出す。どん亀謹製、高機能カーボン素材の特殊警棒である。一振りすると、長さが四十センチほどにまで伸びた。
どん亀プログラムに従って意識を切り替えると、俺の方が世界よりほんの少し速くなる。
「そんなオモチャで!」と、唸るような声を上げながら、片岡と呼ばれた男が襲いかかって来た。
「ガッ」
上背に任せて覆い被さろうとした男の、首を警棒で突く。この棒は頑丈だが非常に軽いので、叩くより突く方が有効だった。ただし付加してあるスタン機能を使えば、軽く叩くだけで相手を制圧することもできる。
「グッ」
二撃目を入れた俺が片岡を沈めると、痩せ男の顔が青くなった。そう言えばこいつ、自分ではまだ名乗っていない。
「で、こいつは片岡で、お前は何て言うんだっけ?」
おい、片岡が腕力担当で、お前は口先だけかも知れないが、裏家業なら肝を据えろよ。貫目も何も無いペラッペラだ。目がキョドってる。
「こ、こっちはもう、お前の女を押さえているんだ。僕に手を出すと、後悔するぞ!」
「女?」
俺は背後にいる桃花を振り返った。「えっ?」という顔をしている。
「どういう意味だ?」
俺はピクリとも動かない片岡を踏みつけ、後退りしようとしている名無しの男に警棒を突き付けた。
「ひっ、やめろぉ。お前の女だ。ビーチで掠って、い、今頃は船の中だ」
「クソッ!」
今度はスタンのパワーを上げ、目の前の身体に突き込む。男はくの字になって吹き飛び、地面に落ちると動かなくなった。こんな奴に構ってる場合じゃなさそうだ。
ポケットのスマホを掴んで、俺は山城智音を呼び出す。数回の呼び出し音の後、少し焦った声が返ってきた。
「申し訳ありません。テンダー・ボート二隻がビーチを急襲、友人と泳いでいた鈴佳さんが連れ去られました。……はい、連れて行かれたのは鈴佳さんだけです。……私たちは離れた場所から監視していたので迎撃が間に合わず、阻止することができませんでした」
「白昼堂々とビーチに突入して、拉致して行ったのか!」
ほんの十分ほど前のことで、鮮やかな手口だったと言うから本命はそっちか。
「あれはウーラムのヨットが積んでいる、七メートル級の硬式ゴムボートです。SNSにアップロードされた写真を見ましたから、間違いありません。……あれの船底はFRPですが船体はゴムチューブなので軽く、浅い浜辺でも進入できて……予測できたはずなのに、失態です」
俺は顔を上げ、桃花をにらんだ。結果として、俺はうまうまとおびき出されたってことだ。
「何も知らなかったわ。もう一人いた別の男に、ここまで連れ出せば良いと言われただけ。片岡って奴とは今日が初めて。あんなのが来ると知ってたら、事前にそう言う」
表情が少し強張っている。
「そうか」
監視していたはずのどん亀からも警告は無かったし、奴らがこの女に余計な情報を与えるとも思えない。嘘じゃないだろう。
目の前に倒れているこの二人組はお粗末だったが単なる囮で、プロが関わったのはビーチの方か。
こいつらが捕まっても構わない使い捨てということであれば、この体たらくも不思議ではなかった。
痩せた男は日本人らしいしゃべり方だったが、在日の構成員だろうか。フロント会社が配下の人間を迷彩として、大企業の子会社に籍を置かせることも無い訳ではない。あるいは向こうから送り込まれた中華マフィアか? とにかく日本では大元をたどり難い人間だろう。
この仕込みが誰の仕業か分からんが、俺はまんまとはめられてしまった訳だ。
冷たい怒りが腹の底に生まれるのを、感じた。




