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◆87◆

「で、もう一度聞くけど、私の仕事は?」


 姿勢を正し、仕切り直す口調で桃花がそう聞いた。


「最近、保安警備(セキュリティ)の関係で東京にあった工場を移転した。移転先を秘密にしないと意味ないんだが、かと言って外部への窓口が無いと困る。それで都内のビルを一棟買い取って、事務所を開設することにした。今リフォームの最中だが、完成したら入居して、そこで仕事してくれ」


「今、入居って言った?」と聞き直してくる。


「二子玉川にある五階建ての古いビルだ。地下に駐車場がある。四階五階を居住用に、一階から三階までを事務所と倉庫に改装する。君の住むのは四階だ」


「で、岡田さんが五階ね。まあ、取りあえず一千万なら不満は無いわ」


 あざとく頷いて見せるが、それは曲解と言うもんだ。


「勘違いするな。君とは会社以外で関わるつもりは無い」


「じゃあ、オフィス・ラブ専用の愛人? そういう趣味なの?」


「いや、愛人とか、違うから」


「そう言えば、あの娘とは籍を入れてないって言ってたわね。じゃあ、不倫にはならないじゃない。つまらないな」


 絶対こいつ、俺をおちょくっている。こういう女に主従関係を叩き込むには、どうしたら良いんだ?


 そこに突然後ろから、不機嫌そうな女の声がかかる。


「ねえ、不倫にならないって、どういうこと?」


 このタイミングで鈴佳がビーチから戻ってきた。今日は生地の少ないピンクのビキニだ。


 このリゾートのショップは結構品揃えが良い。そこで鈴佳は水着を俺に買わせ、毎日違ったのを着てビーチに出かける。


 せっかく買った水着を着ないなんて、あり得ないそうだ。だけど俺は、いくら宮古島でも一月初旬に海に入る気にはなれない。結局鈴佳は一人でビーチに出て、似たような考えの若い連中と仲良くなった。


 もっとも鈴佳には火遊びをする気などないから、過度に馴れ馴れしい奴にはいい顔を見せない。「あんた、うちのダーリンより頼りになる?」って正面切って尋ねられ、まともに受け答えできるような男は、そもそも冬の海辺でナンパしようなんて考えたりしないだろう。


 昼間の内のことだし、ビーチには冬なのに海で泳ごうとする酔狂な本土人(ヤマトンチュー)を見張る監視人(ライフガード)も配置されている。万が一強引なアプローチをする奴がいたとしても、リゾートの評判を守ろうとする彼らが制止を掛けるはずだ。


 どん亀の警備システムからの報告により、鈴佳がビーチで過ごしている様子をすべて把握している俺には、鈴佳を束縛する理由なんかあるはずも無く、行ってこいよと手を振り、海に送り出していた。


 でも鈴佳にしてみれば、一人でビーチに行くのが面白いわけはない。単に意地を張って毎日海辺に出ているだけだ。それに薄々気付いていながら、馬鹿な俺は気付かないふりをして過ごしていたのである。


 弁解させて貰えば、休暇の最中なのに、このところやっぱり忙しかったんだ。


 製品の製造や出荷についてはどん亀に丸投げしているにしろ、交渉の最終窓口は俺で、リモートででも顔を見せないわけにはいかない。そこにSASF、ウーラム、GNペイントと、次から次へと新しい敵が登場して対処を求められる。おまけに米国政府(ステイツ)まで、動き出していた。


 これらの問題にどん亀が繰り出す対処方法だって、そのまま実行したらヤバいものばかりだ。トラブルを避けるためには、毎回修正をかける必要があった。


 あれやこれやで、凡庸な人間である俺には、鈴佳の心とまともに向き合っているだけのゆとりが無かったのである。



「ねぇ、不倫って、どういうことよ!」


 顔を引きつらせて鈴佳が叫んだ。


 桃花はというと……あ、こいつ面白がっている。


 完全に、第三者って顔だ。この修羅場を作ったのはこいつなのに。もしかして、わざとなのか? 鈴佳が聞いているのを、知ってて言ったのか?


 女は怖い、いや、怖い女だ。危険物に手を出すとこうなる。


 いやー、言葉が出ないわ。まいった。


 俺と桃花を交互ににらんでいた鈴佳は、クルッと身を翻(ひるがえ)すと肩を怒(いか)らせて出ていった。


「追い掛けなくて良いの?」


 薄く笑いを浮かべ、桃花がそう言った。どん亀のボットたちが追跡(トレース)しているので、鈴佳がどこにいるかは直ぐ分かる。だが、どう声を掛けたらいい?


 俺はある意味怪物で、本人の意思とは関わりなく鈴佳も似たようなものだ。だが鈴佳本人はそのことを知らないし、俺にはその事実を告げる決心がつかない。それをすれば多分間違いなく、鈴佳の今の幸せが壊れるからだ。


 自覚しない内に俺は鈴佳を失うことを怖れるようになっていた。クソッ、気付くのが遅い! でも俺にはこいつを「愛」だと鈴佳に告げることはできない。犠牲を強(し)いる「愛」なんて、俺は認めない。


 俺の葛藤(かっとう)を誤解したのか、桃花の笑みが濃くなった。


「さっきの続き、する?」


 スーッと頭が冷えた。


「いや、また今度にしよう」


「あら、残念。それじゃあ、あの条件は?」


 ちょっと眉を顰(ひそ)めたが、それ以上は何も表に出さない。こいつも若くて未熟なのに凄い女だ。


「変わらない。契約書を送らせるから、サインして送り返してくれ。こちらに届いたら三日以内に一期分を振り込む」


「それまでは?」


「ん? ああ、それまで君は自由だ。奴らに真実を告げようと嘘をつこうと。ただ契約が成立するためには、契約後に六角産業の利益に反する言動を行うことは認められない。契約前の続きだという弁明は通用しないぞ。だから、気を付けるんだな」


 正直なところ桃花に対しては上の空だった。こいつが何をしても、こいつの身体に付着したマイクロ・マシンが報告してくれる。裏切っても裏切らなくても俺、いやどん亀の手の内だ。


 それよりも鈴佳との関係をどうするか、至急結論を出さねばならない。俺はそのことばかり考えていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] そんなの簡単さ。 宇宙船が録音か合成してくれる
[一言] ああ〜 また不安定になる 仕事しているだけなのに 配下と言うか秘書は 歳上妻子持ちのおっさんを選ぼうw
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