◆61◆
早朝、家の中に盗聴器が仕掛けられている可能性があったので、俺は犬たちを散歩に連れ出した。鈴佳は家で朝食の用意だ。
遠目でランドグレンの護衛たちが使っているキャンピングカーを眺めながら、石垣に囲まれた敷地を出て雑木林の中に入る。
六頭の犬たちからリードを外して解放した。見られているとは思わないが、念のためスマホを取り出して耳に当てる。リードは背負ったザックの中だ。
「オハヨウゴザイマス、ますたー」
「昨日の晩はご苦労様、と言いたいが、何で最初から厳しい条件を出したんだ? 様子を見るはずじゃあなかったのか?」
「とらいでんと側カラ、交渉ノ経過ヲりあるたいむデもにたーサレテイルコトガ判明シタノデ、方針ヲ変更シマシタ。がーどタチヲ無力化シテモ、ソノ事実ガとらいでんと本社ニ察知サレテハ、敵対行動ト判断サレカネマセン」
ランドグレンを「改造」したことが、相手側にバレちゃあ拙いのはわかる。あの護衛たちを、何とか引き離さなくちゃあならないってことか。
「護衛たちがランドグレンをモニターし、トライデント社が本国でランドグレンと護衛の両方をモニターしている。随分と厳重なセキュリティだな。ひょっとすると、彼がナンバー・ワンの首をすげ替えると言ったのも、向こうの首脳部に知られているのか?」
「イエ、電池ノ容量ノ関係デショウ、交渉ガ始マルマデ、作動サセルノヲ控エテイタヨウデス。盗聴器ノ発見ガ遅レタノモ、ソノタメデス」
まあ、キャンピングカーまでの短距離とは言え、あのコイン大の盗聴器から電波を飛ばすとすれば、そうなるか。確かダイニングからリビングに移動する途中で、彼はゲスト・ルームに寄った。あの時にケースから取り出し、スイッチ・オンしたということだ。
「で、どうするんだ?」
「丁度良イ囮ガ、近クマデ来テイマス。アレヲ利用シマショウ」
「囮?」
その時、後ろの方から複数の足音が近づいて来た。俺は犬たちに「隠れろ!」と指示する。
あっという間に樹間に姿を消す犬たち。それからしばらくして、四人の護衛を引き連れたランドグレンが現れた。その中に智音の姿は無い。多分鈴佳と一緒に家だろう。
『おや、ハンス、朝の散歩ですか? 良い習慣だ』
『ボス、犬たちがいません!』
ランドグレンの前を歩いていた護衛の一人が振り返って、そう警告した。俺が犬を放したと見て、危険だと判断したのだ。まあ、散々脅したからな。
『英次?』
『犬たちは先の方にいる。これ以上進まなければ出会うことは無いが、まあ今、リードを付けて来よう』
俺はそう告げて、手振りで彼らに止まっているように伝え、奥のブッシュの中に分け入った。
更に歩いて行くと今度は、ガサガサとブッシュを漕ぐ気配がする。秋の色濃い藪の中から姿を現したのは、猟銃を手にし、緑と茶の迷彩服をまとった男であった。
「おやこれは橘さん、ここは私有地ですよ。それに猟も許可していません」
橘光一は鼻で笑って、銃を俺に突きつけた。
「いやあ、イノシシが出て畑を荒らしてるって聞いたんでね、駆除しに来たのさ」
「あなたにこの地区での狩猟許可が出るとは思えませんが」
装薬のある猟銃を使用して害獣の駆除をするには、第一種猟銃による狩猟免許を持つだけでなく、都道府県に狩猟者登録を申請し認可を受けなければならない。単に銃の所持許可を持っているだけでは駄目なのだ。
そして通常、銃によるイノシシや鹿の狩猟を行う人間は、誤射されることを避けるためオレンジ色のハンティング・ウェアを選択する。派手で目立つと思われがちだが、これらの動物は色盲のため、青色以外は認識できないとされているからだ。
これらのことから、たとえ光一が銃砲所持許可証を持っていたとしても、その銃はクレー射撃場以外では使えないはずだと推測できる。今ここでケースから出して持ち歩いていること自体が、違法ということだ。
「だいたい、よくこの場所が分かりましたねえ」
今住んでいるこの土地は、Kリケンに勤務していた頃の住所とは当然違う。転居したのも退職後のことだから、会社の誰も知っているはずがなかった。友達のいなかった俺は、年賀状など出していないしね。
「お前のお姉さんが親切に教えてくれたよ。元の会社の上司だと言ったらね」
チッ! まったくろくでもない。絶縁しているはずなのに、余計なことを! 俺は少し腹を立てた。
「それで、何のためにこんな山奥まで、わざわざやって来たんですか?」
「この前は随分な真似をしてくれたじゃないか! 俺がお前に舐められたまま、黙って忘れるとでも思ってたのか!」
「おや、自分で勝手にひっくり返ったんじゃなかったんですか?」
「なにぃ!」
光一の顔が赤くなった。銃を突きつければ俺が萎縮すると思ったのに、平気なので引っ込みが付かなくなったのだろう。まったく馬鹿な奴だ。あの時、無かったことにしてやったことを感謝すべきなのに、逆恨みでヤクザまがいのお礼参りか?
「いや違いますか。素手では敵わないから、鉄砲を持ち出してきた。そういうことですか? でも、良いのかな? それを人に突きつけた時点で、懲役ですよ」
「お前がここで死ねば、誰が警察に通報すると言うんだ!」
「あー言っちゃった。殺人予告だ。脅迫罪って知ってます? それだけで二年以下の懲役ですよ……それとも殺人未遂? だとすれば、五年以上の懲役かなあ」
「だから、お前は俺がここで殺す! 死人に口なしだ!」
怒鳴りながらも撃つ決心がまだつかないらしく、銃の先があちこちにぶれている。装填されていれば何時暴発するか分からないから、かえって危ない。どうやって取り押さえよう?
その時、俺がやって来た方の茂みが動いて、ランドグレンと護衛たちが姿を現した。
『英次! 叫んでいる声がしたが、何かあったのか?』
あっ! 馬鹿! やめろ!!
光一が俺に呼びかけたランドグレンの方に銃口を向けた。
ターン! 雑木林の中に、銃声が鳴り渡る。
<修正いたしました>
複数の方のご指摘を受け、YouTube等を参考に検討しました結果、本文末の銃声を「ズッキューン!」から、「ターン!」に書き直します。
あの、本当に「ズッキューン!」は受け狙いではありません。野乃の脳内では、そのように聞こえたのです。しかし、林の中でいくら近い距離であっても、そのように聞こえるものではないようです。
取材不足(?)と、深く反省しており、お詫びと共に書き直させて頂きます。
2020.06.15. 05:57 野乃