◆62◆
のけ反って倒れたのは、橘光一だった。
走り寄ったが、直ぐにもう手遅れだと分かった。仰向けに倒れた身体の下から、赤い血が地面に漏れ出し、生えた草の間に吸い込まれていく。
声も出さずしばらく痙攣していた光一は、やがて動かなくなった。唇に触れてみたが、もう息をしていない。
遮る間も無い抜き撃ちだった。ランドグレンに銃口を向けた光一の胸を、手練の技で撃ち抜いたのは護衛の一人である。その手にはまだ黒い拳銃があり、目は周囲を警戒していた。
まあ、責めることはできないな。護衛対象の上司が、今にも撃たれると見えた場合、当然の判断だ。
『拙いことになったな、ハンス』
『うむ』
ランドグレンは冷静だ。撃った護衛の男の方が、蒼い顔をしている。さすがに合衆国でも、人を撃ち殺すというのは、日常の出来事では無いのだろう。
『ほぼ、即死だ。手の打ちようが無かった』
『そうだな』
顔をしかめて俺の言葉に同意する。弾丸で人が打ち倒され、死んでゆくのを何度も見てきた眼だ。
『それでだが』
『ん?』
念のため、少しでもこちらが有利になるよう、追い討ちを掛けておこう。
『あいつの銃には十中八九、弾丸が込められて無いだろう』
『何だと!』
ランドグレンと護衛たちの間に緊張が走る。
『あの銃を見ろ。主にクレー射撃に使う、上下二連の散弾銃だ。わかるか?』
『ああ』
『殺すと脅しながら俺に向けた銃を、なかなか撃たないので疑問に思った。さっき撃たれる時も反撃しなかったろう。それで確信した。日本の射撃場では、撃つ直前まで装填しないのが基本ルールになっている』
『暴発を避けるため、合衆国でも同じだ。散弾銃は危ないからな。つまりこの男は、空の銃を私に向けたと言うことか! おい!』
ランドグレンに声を掛けられた護衛の一人が、光一の散弾銃を拾い上げ、調べた。
『ボス、装填されてません!』
『クソッ!』
結果としては、殺さなくてもいい人間を殺してしまったことになる。装填されていなかったとは言え、銃口をランドグレンに向けた橘光一が一番悪いのだ。だが、余計に面倒なことになってしまった。
『英次、この男は何者なんだ? さっきは君に銃を向けていたようだが』
『俺の昔の職場のことは、調べて知っているだろう。Kリケンというその会社の、今は販売部長の役職に就いている、橘光一という男だ。東京でジェニファーと俺が会っているのを見掛け、トライデントと関わっていることを知ったようだ。ホテルから跡を付けてきたらしく、この前の会食の後にも現れた。今回はあなたの情報を俺から引き出そうと、銃で脅してきた。昔の部下だから、脅せば何とかなると思ったんだろう。俺も甘く見られたものだ』
どこまで本当のことを言っている、という疑いの目でランドグレンは俺をにらんだ。まあ、嘘は言ってないぞ。説明不足の点はあるかもしれないが。おや、今追求するのは諦めたか。
『そうか。ところでさっき英次も言った通り、いろいろと拙いことになっている』
『例えば、銃の問題か?』
『そうだ。日本国内で使用する許可は受けてない』
使用どころか、持ち込むこと自体が違法だったはずだ。
『その銃で、人間一人射殺したということになると?』
『今後の取引に差し支えが出る』
『なるほど』
合衆国から持ち込み所持していた拳銃で、トライデントの人間が日本の会社員を射殺した。これが公になれば、とんでもないスキャンダルだ。正当防衛を主張しても、マスコミは容赦しないだろう。弾が装填されていなかったことを声高に言い立て、橘光一は自業自得の馬鹿者ではなく、悲劇の主人公に祭り上げられるのが目に見えるようだった。
『私の社内での立場も悪くなるから、君のためにも良くない』
ほー、そう来たか。
『で、どうしたい?』
『さっきの銃声を聞いた人間はどの位いると思う?』
『我々以外なら、鈴佳と山城さんかな。だが、ここから家まで四・五百メーターはある。あの二人だって、気付いていない可能性は強い。あとは遠過ぎて、聞こえるはずが無いな』
『では、この男は我々と出会わなかったのだ』
『なるほど……ハンス』
『何だ?』
『これは貸しだぞ』
『分かった』
『では、屍体の後始末はこちらでやろう』
『できるのか?』
『ああ、亀甲博士にたのんで跡形も残らないよう、処理して貰う。直ぐに来てもらうから、屍体は動かさなくていい』
『むむむ、なるほど』
ランドグレンの表情が強張った。あえて火中の栗を拾おうとする俺が、対価に何を求めるのかと考えているのだろう。
俺は犬たちを呼び集めると言い、彼らを残して林に分け入った。
ランドグレンの護衛が持っていた拳銃は『H&K mk23』という設定です。
前の◆61◆の「後書き」に書いたように、前話文末の銃声を「ズッキューン!」から「ターン!」に書き直しました。
YouTube等で調べますと、屋内の射撃練習場のような閉鎖空間では「ダーン!」、屋外の射撃場等の開放空間では「ターン!」と聞こえるようです。護衛ですので、当然「+P」程度の強装弾を使用してると思います。
2020.06.15. 07:05 野乃




