◆27◆
俺の知性というやつは頼りない。
どん亀が何か俺の頭脳とか中枢神経系とかに改造を加えているらしいが、知的には強化しているわけでも、劣化させているわけでもないはずだ、多分。
かっての俺の学力は、日本の四流大学の入学資格を獲得し、四年かけて卒業できたというだけのレベルであった。
ところが今は地球上の五千二百三十一種の言語を理解(?)でき、ちょっとした訓練を厭わなければ、流暢に話したり、書いたりもできるらしい。
ネットで得られるたいていの知識は、望めばどん亀が即座に調べ、『心的通話』経由で教えてくれる。これってカンニングし放題じゃないか!
計数能力だって、表計算ソフトの何兆倍の更に何京倍かも分からない能力の持ち主が、手助けしてくれるから、スパコンも裸足で逃げ出すほどだ。
俺の五感が感じたものは、『心的通話』経由でどん亀がアーカイブしてくれる。『完全記憶』どころじゃない。これを聞いた時は、「どんだけメモリィ積んでるんだよう!」と、叫び出しそうになった。
でも俺自身が賢くなったわけでは、ない。
俺にとっての『どん亀問題』即ち、「何を目的として、どん亀が俺に関わり続けているのか?」という問いに挑戦するには、俺はあまりにも馬鹿で間抜けで、根性無しの腑抜け野郎だ。
何しろどん亀のやつは、世界中の軍事力を敵に廻しても余裕で勝てるし、科学技術の面では、神のごとく人類を超越している。しかも過去の実績をみると、自分の文明と全く異質な『超能力』のような現象でも、関心を持てば利用できるまで研究し、自分の一部として取り入れてしまう柔軟さを具えた存在だ。
俺が敵う相手じゃない。
俺にできることと言えば、どん亀の機嫌を損なわないように立ち回り、そこから可能な限り多くの『甘い汁』を吸い取ることだけだ。それはつまり、どん亀という神の『道化』を演ずることに外ならない。
何でもお見通しの『どん亀という神』、その道化を務めるという苦行には、然るべき対価が与えられるべきだ。お互いの得るものの均衝がとれない関係は継続性に欠け、本来の目的を果たす前に破綻する可能性が強い。だから俺自身が『十分だ』と感じる報奨を、どん亀が俺に与えようと努力するのは必然だった。
何言ってるか分からないって? うん、俺も分からん。
このヘンテコだと自分でも思う考えは、気がついた時には俺の心のどこかに挿入されていた。
意識の裏側とでも言うべき、あることは分かっているけどその場所は特定できない位置で、それが俺本来の考えではないことに気付いていながら、忌避感も恐怖も不安も感じないでいる。
「まあ、多くの人間は、自分が必ず死を迎えることを承知していながら、毎日を平気で過ごしているじゃないか」
俺はそう呟いて、書斎の金庫から二千万の現金と、銀行印と通帳と、実印と土地家屋の権利証とを取り出し、キャリーケースに入れた。金庫に残っているのは百万の札束一つと、三十四枚の一トロイオンス金貨だけ。大分空きができた。
鈴佳は廊下を挟んで北側、十畳の洋室に入れた。セミダブルのベッドが置かれたこの部屋は、誠次叔父が中学生の鈴佳の部屋にする考えだったのだと思う。
壁紙は白だが、バラの花の透しが入っているし、大きな姿見の付いた一畳分のクローゼットまである。学習机風のデスクと椅子とは別に、小さなテーブルとスツールのセットが置かれているのは、友人を家に呼んだ時への配慮じゃないかと推察できた。
でも、校区の中学校へ通うには、先ず下の県道まで(自家用車か歩きかで)下りて、そこを通るスクールバスに拾って貰わねばならない。バスに乗っている時間だけで片道三十分だぞ。そんな家へ友達が遊びに来ると、叔父は本当に考えていたのだろうか?
もし鈴佳が、叔父があの部屋に込めた『思い』を悟ったら、あいつはどう感じるのかな? 俺が鈴佳の立場だったら……そう、『キモイ』かな……。
でも俺は鈴佳じゃないし、叔父の屈折した思いに共感はしなくても同情はする。叔父は別に、鈴佳に何の実害を与えたわけでもないから。無論、鈴佳には共感も同情も無しだ。
俺はキャリーケースを持ってクローゼットに入り、隠し階段で地下壕に下りた。ケースごと金庫室に入れる。
この金庫室の六面は特殊合金の構造パネルでできている。複層構造で、一層と二層のパネルの接ぎ面は位置ズレするよう組み立てられていた。パネル同士は溶接ではなく、金属融着処理とかいう技術での接着である。床面に対しては固定していないそうだが、内装の防火断熱パネルも含めると何トンもある物を動かせるわけがない。扉のロックもインテリジェンス化されており、鍵は俺自身だった。
セキュリティ満載のこの金庫室に収納してあるのは、今のところこのキャリーケース一個だけであった。でも、どん亀のことだから、その内もっとヤバい物が詰め込まれるのだろう。
「納屋ノ裏ニ犬小屋トけーじノ設置ヲ許可願イマス」
突然、どん亀が話しかけてきた。
「おいおい、鈴佳を犬小屋に住ませるって話を本気にしたのか?」
「アノ女ハ嫌イデスガ、ソウデハアリマセン。先ホド発注サレタ番犬型ぼっとガ完成シマシタ。今ナラ以前カラ飼ッテイタコトニデキマス」
「ふーん、仕事が早いな。でも、急にどうしたんだ?」
「アノ女ハ信用デキマセン。大型犬ガ見張ッテイルト脅セバ、行動ヲ制約デキルデショウ」
俺も信用できるとは思っていなかった。でも、そこまで必要だろうか?
「番犬型ぼっとノ利用価値ハ、他ニモアリマス。アノ女以外ノ人間ニ対スル威嚇トシテモ使用可能デス」
「一匹だけか?」
「どーべるまんニ偽装シタ六頭ヲ稼働シマシタ。黒ガ四匹、茶ガ二匹デス。犬小屋ト、どっぐらん兼用ノけーじハ、今夜ノ内ニ完成サセテオキマス」
「犬の登録はどうする? 鑑札が無いと罰金だぞ」
「生後九十日ヲ経過シタ日カラ三十日以内ガ原則デスガ、成犬ニナッテカラ譲渡サレタ場合ナド、大人ノ犬ヲ登録スルコトモ、珍シクアリマセン」
「でも、一度に六匹も登録するのは目立たないか? それに、変に調べられてボットだとバレちゃ、困るだろう」
「獣医師ガ精密検査スレバ別デスガ、市役所ノ職員ニ、目視デ見分ケラレル可能性ハ、アリマセン」
「じゃあ、その内いつか、ということにするか」
次の日の朝、耳と尻尾をカットした六頭のドーベルマンが、スマートな姿を昨夜のうちに急造されたケージの中に現した。犬小屋の前の六個の餌皿はステンレス製で、木で作ったエサ台に載せてある。芸が細かいことに、納屋の奥にはドッグフードの大袋まで積み重ねてあった。