第九十七話
台所で食器を洗い終わった林がやってきて、三人のくつろぎ具合を見て可笑しそうに笑った。テレビを見ていた緒方は何やらメモを取っていて、その後ろで神埼と大塚はちょっかいを出し合っている。やや、大塚は劣勢で、ヒーヒー言っていた。緒方は、敵わないと悟るのです、と助けを求められるたびに呟いていてテレビに夢中だ。同級生のこんな友人たちが自分にできるなんて不思議で、今でもどこか信じられない。物心ついたときから母親の介護は当たり前で、自分の日常の一つだった。家に帰れば母親を手伝うものだと思っていたので何の疑問も持たなかった。周りの大人からよく褒められていたし、中には大変で可哀想ねと言われたことがある。何が可哀想なのか林にはわからない。父親のことだろうか。中学の頃、父親のことで反抗したことがある。気づいたらいなかったし、一度そのことで大喧嘩をした母親には、なんとなく聞きづらい。せめて父親の顔が見たいと秘かに写真等を探したが見つからなかった。祖父にそれとなく聞いてみたけれど、知らなくていいと怒鳴られそれ以降、話していない。別に父親と一緒にいたい訳ではないし、会いたいとも思わないけれど。顔くらいは見てみたい。学校から帰ってきて母親の様子を台所で見ながら、晩御飯を作る。その後ご飯を一緒に食べて時間が来たら寝る準備を手伝い、自分も眠くなったら目覚ましをかけて、そのままそこで寝ていた。夜中ごろ起きて新聞配達へ行く準備をして、母親を起こさないように静かに家を出る。それが今までの自分の日常で、何度も繰り返している。勉強はいつの間にかしなくなった。授業を聞いてもよくわからないし、試験は基本的な暗記問題を解いて赤点を免れていた。友人と遊んだのはいつだっただろう。もう本当に思い出せないほど前のことで、声をかけてもらった記憶すらない。元々影が薄く、いても気づかれないことが多かった。昔を思い出すのは好きではないし、過去や人と比べても環境が変われば生活スタイルも変わるので、自分の状態を考える参考にならなかった。人のことはあんまり気にならない体質のようで自分の生活を振り返って考えることはなかった。体が成長して母親の動く手伝いを本格的にできるようになるために、地元の大きな病院で介護の実習を受講しようと決め、学校が休みの土日に病院へ通った。クラスメイトとはあまり話さないし、唯一何かと自分を気遣う緒方と、緒方に似ている大塚と一緒にいることが多くなった。二人は明るく人が寄ってくるタイプで何事も率先して人を巻き込んで成し遂げていた。いつも注目されていてクラスの中心的存在だった。そんな目立つ二人となぜかいつも一緒にいる自分は、周りから奇妙な目で見られていたらしい。緒方と大塚に近づきたいけど、近づけない一部の集団から二人のいない所でよく呼び出されていた。暗くて特徴もなくて成績も悪い自分が人気者二人のそばにいることが気にくわないのだろうなと林はぼんやり思っていたが、そもそも学校に興味がなかったので何を言われてもどうでもよかった。相手が気の済むまで話を聞いているふりをしていたら、さらに怒らせて大変だった時期がある。自分の根も葉もない噂が広がって学校や同世代たちへの興味がどんどん冷めていった。介護をしていて嫌だったことはない。自分にとって普通のありふれた日常で、話が合わない同世代と過ごすより介護の講座で知り合った親世代の人たちと過ごすことがとてもしっくり来て学校のことは気にならなかった。でも、母親はそうは思わなかったらしい。友人のいない自分をとても心配して、林の介護を拒むようになってしまった。「これくらい自分でできるから。友達はできたの?」きっと自分の介護のせいで林の学校での人間関係がうまくいっていないと思っているのだろう。たびたびその事で母親と口論になっていた。友人は同世代でなくてもいいと思っていたが、それはうまくいかない同世代との関係に目を瞑って、人に歩み寄ろうとしなかった自分の臆病さを母親は見抜いたのだなと思う。今思えば、介護の講座で知り合った人たちは自分を子供として見ていて、友人としては見ていなかったのだとわかる。知らぬ間に人と関わることを避けていた。自分の弱さを母親の介護をすることで見ないようにしていた。父親がいなくて生活が大変だから。自分は親の介護をしないといけないから。上手くいかない同世代との人間関係から逃げていた。勉強もなんとなくやる気が起きなくて緒方からの説得に応じなかったのは、できない自分から逃げていたのかもしれない。学校の同世代の人たちと同じフィールドに立ちたくなかった。自分は違う所で生きているのだと思いたかった。「緒方、明日から、勉強教えてくれるか?大塚は神埼といて楽しそうだし。ずっと説得してくれていたのに、一度も勉強しようとしなかったから。お前に教えてもらいたい」メモしたノートを真剣に見つめながら考え込んでいた緒方に話しかけてみる。急に林の方を見た緒方の顔がみるみる明るくなり、口が大きく開いていく。両手を左右に広げて上を向いて歓喜の声をあげている。その一連の動作がスローモーションのようにゆったりとしていて面白い。ぼんやりと見ていた林の手を緒方はがっしりと掴んだ。「林くん。。!!!わ、私は嬉しさで小躍りしていますよ!!勿論です。明日から、一緒に勉強しましょう。大丈夫。基礎から丁寧にやっていけば、学問はしっかり身につきます。地道な作業ですが、一緒にやっていきましょう」先程まで真剣に見ていたノートを投げ出しキラキラした目で林を見つめている。あまりのはしゃぎように林は苦笑した。緒方が自分のことをこんなに思ってくれているとは思わなかったし、気づけば神埼と大塚も嬉しそうに自分を見ている。同世代の誰かが自分を思ってくれている。とても不思議な感覚で照れ臭い。「洗い物終わったのか?だったら神埼の応戦をしてくれ!!反射神経がよくて困るんだよ!!」泣きついてくる大塚に、狡いよ!!と神埼は文句を言っている。別々の部屋に寝ることになっていたが、どうやらこの居間に四人で寝ることになりそうだ。明日も新聞配達があるから夜中に起きて出ていくけれど、帰ってきたらまた会える。母親に電話をしてみたら、一度荷物を取りにきて、当分帰ってこなくていいと言われてしまった。「緒方、神埼。俺も大塚同様、しばらく世話になるわ。母親の機嫌が悪いんだ」屈託なく笑う林を見て、目の前の同世代の友人たちは、嬉しそうに一緒にいられる喜びを体全体で表現していた。
皆様、おはようございます(*^^*)いかがお過ごしでしょうか?
春キャベツ!!美味しいです。煮込んでトロトロ~。ベーコントロトロ~。
ではでは、これからも素敵な時間をお過ごしくださいね(*^^*)




