第六話
マンションの扉を開ける。もう辺りは暗い。今日のオペは大いに神経を消耗した。人の命に関わるものだ。細心の注意を払う。オペは毎度の事、当たり前のように神経を磨り減らされる。医者になりたい、と自分で選んだことだ。それも覚悟の上だった。オペが終わって、ほっとして、それから充実感がやってきて、しばらくしたら何もなくなる。あんなに心も体も熱くなり、必死でたどり着いた充実感なのに。集中した後はそんなものなのだろうか。部屋に入ると、明かりがぼんやり点いている。机の上でコロッケが湯気をたてていた。そうだ。自分はこのコロッケが食べたかった。緒方は、自分の席の上に置かれたコロッケを見つめた。やっと心があたたかくなる。感情が湧いてくる。失敗してはならないと気を詰めて、息を潜めて。心の動揺は手先を狂わせる。一生懸命手を尽くしても、あっさりと亡くなっていく命もある。感情なんていらない。いっそ、機械になったほうがいい。機械なら、苦しむこともなく、正確にオペができる。机の上のコロッケを一口食べると、急に眠気が襲ってきた。そういえば、自分は少し疲れていたのかもしれない。そんな心の余裕はなかった。コロッケにソースをかける。神埼は醤油をかける。自分はソースが好きなので、神埼にソースをねだって買ってもらう。神埼はいつも笑っていた。「帰ってきたんだな。おかえり。」こんなに遅くまで、待っていてくれたのだろうか。それとも眠れなかったのだろうか。どっちでもいい。彼がいる。自分をおかえりと言って出迎えてくれる。それだけでいい。それだけがこんなにも愛おしい。緒方が遅くなるとき、神埼は眠れたらベットのなかで眠っていて、眠れなかったら、こうして緒方を待っている。緒方にとって、神埼がいてくれればどちらでもよかった。寝ている神埼の寝顔を見ながら、愛しい気持ちを味わうのもいい。起きている神埼とのんびり過ごすのもいい。どちらにしろ、神埼がいると自分は安心する。家に帰ってきた、と実感する。「コロッケ、作ってくださったのですね。ありがとうございます。とっても美味しいです。」そんな気持ちを抱えながら、神埼に声をかけた。眠くないのだろうか。目はキラキラと輝いていた。「ま、お前のおねだりだからな。あ!またソースかけて。醤油も旨いんだぞ。」神埼は屈託なく笑っている。ソース、ちゃんと買ってきたからな。それ全部かけてもいいし。コロッケを食べる緒方を見ながら、また笑った。神埼は純粋だと思う。そして、自分よりも断然強い。そんな神埼が緒方はとても愛おしい。彼に出会えてよかった。彼がいてくれてよかった。この温かさを彼にどう伝えようか。いつも考えている。神埼が自分の価値を否定し、存在自体を批判していることはなんとなく、感じている。それは神埼のなかでは無意識なのだろう。時々、それは痛々しいほどで、見ていて辛いのだがそれも神埼そのものなのだ。傷つきやすく、繊細で優しいから相手の一番大切なものに気づいて、それを守ろうとすることができる。それが神埼の優しさであり、脆さでもある。彼がたまらなく愛しい。ずっとそばにいたい。この気持ちをどう神埼に伝えようか。この愛をどう感じさせようか。緒方は秘かにずっと考えている。




