第三十六話
目が覚めるとすぐそこに緒方がいる。目を閉じて穏やかに眠っている。学校へ行く時間にはまだまだ余裕があるから、神埼は眠っている緒方の寝顔を見ていた。怒ったり、笑ったり、拗ねたり、にやけたり。普段は忙しい顔も今は静かになっていて。穏やかに眠る緒方の顔を見ていた。自分のことを包み込んでしまう。拒否しても当たり前のようにそばにいる。我慢したら我が儘を言えと言われる。自分に厳しくすると優しくしろと叱られる。触れたら温かくて、心が溶かされていく。こんな奴が隣にいるなんて。昨日は遅く帰ったから、簡単なものを作ろうと思ったのに。パスタを茹でて、レトルトのミートソースをかけようとしたら、もっと美味しいものを食べて欲しくて。玉ねぎとニンジンを細かく切って入れた。簡単でごめんな、と言ったら笑顔で頭を撫でられた。明日は朝から寒いようですよ。と言って労るように見つめている。緒方がいると、自分の景色が変わっていく。何もなかったのに、こんなにも自分を大切にしようと思ってしまう。いつの間にか気づいたら、してほしいことを伝えていた。自分のしたいようにさせていた。緒方は人にも甘いが自分に何より甘い。食べたいものは食べたいと伝えるし、眠いときはどこまでも寝ている。寒いから電気毛布を点けようと言って、ぬくぬくになった布団ににこにこしながら入っていく。幸せそうに笑っていた。緒方、お前を見ていると自分を大切にするってどうすればいいかわかる気がするよ。自分を労り、食べたいものを食べられて感謝すること。こうやって一緒にいられること。手を繋げること。いつも緒方は嬉しそうに楽しそうにしていた。感謝なんてずっとしてなかったし、楽しいなんて思ってなかったな。そんなしみじみとした思いで神埼は緒方の鼻を摘まんだ。寝ている緒方の方を向いてその様子をじっと見る。ありがとうって言いたいけど、そう言ったら緒方は優しく笑うから。なんとなく、言いたくない。自分は素直ではないなと苦笑しながら、神埼は緒方から手を離し布団の奥に潜り込んだ。準備するにはもう少し時間がある。目が覚めた。光が射し込んでいて今日はとてもいい天気のようだ。反対側に寝返りをうって、はたと気がつく。時計を探そうともぞもぞしていると、隣にあった温もりがない。急に目が冴えてがばっと体を起こした。「緒方。。?」何処へ行ったんだろう。時計を見るとまだ時間に余裕がある。こんなに緒方が早く起きることは今までになかった。いつも二人ギリギリに起きて、パンを焼くかご飯をお腹にかき入れるか。緒方は朝が苦手そうだったから、いつもからかっていたのに。神埼は急に不安になって、布団から飛び出した。部屋の中をきょろきょろと見回す。どこにいるんだろう。緒方の姿を確認しないと落ち着かない。すると、台所からジューっと美味しそうな音がした。その次に美味しそうな匂いがする。まさか。。台所へとおそるおそる行ってみると緒方がいた。卵を焼いているのだろうか。フライパンにそのまま入れている。あれは目玉焼きだ。冷蔵庫にベーコンがあったから、ベーコンを焼いて卵をのせているのだろう。緒方の横にレタスが綺麗に洗われている。何でだろう。涙が出てきた。緒方は朝が苦手だったはずだ。普段は敬語なのに朝だけは敬語ではない。寒いのが好きではなく布団から出ることを強く拒んでいた。朝があと3時間あればいいのに。起きるたびに言っていた。なのに、どうして。朝食を作っている緒方の背中が大きくて、頼もしくて。霞んでいてよく見えない。ああ、自分は愛されているのだな。。自分のなかで自然に湧いてきた感情を神埼は噛み締める。大切にされている。守られている。昔はそのどれもが嘘っぽくて自分に無理矢理思い込ませていたけれど。今はこんなに自然なことになっていた。不意に緒方が振り返った。起きてきた自分を見て驚いている。早いですね。と笑っていた。「おはようございます。神埼くん。今日はやはり寒いようですよ。温かくして行きましょうね。」緒方の傍に駆け寄る。手元を覗きこんで、美味しそうだなと伝えると、嬉しそうに笑う。何度も言うと安っぽくなる気がするから。一言にこの想いを込める。ありがとうな。緒方。神埼は緒方にそっと寄り添った。




