第六章 再会
「では頼んだぞ」
「御意」
オクタポーダ十六世の下知に三人の侍女が応える。侍女の傍らにはそれぞれひとりずつ、薄物を頭から被った女性が佇んでいた。
「そなたたちの肩にオクタリアの命運がかかっていると言っても過言ではない。くれぐれも粗相のないように心してかかるように」
「はい」
「畏まりました」
「……」
三人のうち一番小柄な女性は返答をしなかった。
身体が小刻みに震えている。
返答できないのだ。
女王は侍女に言う。
「しかと見届けよ」
「はっ」
六人は深い礼をして女王の御前を辞した。
一列になって通路を進む先に扉代わりの帷が並んでいる。
先頭を進む背の高い女性がまず最初の部屋に入って行った。
侍女は帳の手前で壁を背にして不動の姿勢をとった。
次に先頭となった女性は歩みを進め、続いて現れた帳を掻き分ける。
入りしなにちらりと後に続いてくる女性を見た。
―頑張って―
目だけで語り掛け、意を決したように顔を上げて帳の中に向かって声を掛けた。
「失礼致します」
中から微かに応えの声がする。女性は帳を掻き分け、室内に足を踏み入れた。
最後に残された女性は立ち止まったままだった。侍女が進むように促す。渋々といった様子で重い足を引きずるように運ぶ。
次の扉の前を通り過ぎ、一番奥の帳の前で足を止める。顔を部屋の方へ向けるが、開いた唇から声は発せらない。
「…姫さま…」
侍女が代わりに口上を述べる。
「お休みのところを失礼致します。しばしお時間をいただけますでしょうか」
少しの間を置いてから中から応えがあった。侍女が衣を担いだ女性をそっと押し出す。
女性は俯いたまま観念したように重い足取りで室内に足を踏み入れた。
寝台にふんぞり帰って寝転んでいたキンタは突然の来訪者に慌てて部屋着の前を整える。
ちょっと待って、と言おうとしてかろうじて思い止まる。ここはトリトニアの自室ではないのだ。
「はい…どうぞ…」
言いながら立ち上がり、一応髪も撫で付ける。
キンタが招じ入れるまでもなく、来訪者は己の足で入室してきた。
(ちょっと不躾じゃないか?何の用なんだ?)
どうぞとは言ったが、こちらが開けるまで待つべきじゃないか?と少々眉を顰めた。
入室してきたのは女性のようだった。頭からすっぽり布を被っている。
侍女か?何かもてなしの品でも持ってきたのだろうか。
しかし女性は何も手にしてはいないようだ。
大体客人に顔を見せないとは何事だ。
自国では常日頃奔放な振る舞いばかりしているくせに、妙に礼節が気になってしまう。ユズなら絶対こんな無作法はしないのだろうなと、彼女の挙措に感化されている。
「…ご用件は何でしょう?…」
不満はとりあえず胸に収めてキンタは尋ねた。
女性は答えない。
「…どうしました?」
重ねて問うが、態度は変わらない。
とにかく顔だけでもあげろよと女性を観察して、キンタは気づいた。
被り物の下から長い髪が覗いている。見えないようにしているが、被り物の下に身につけているものは一国の王子に対するべき服装ではない。裾を引き摺るような長い夜着。しかもどうやら素材は薄い。肌が透けて見えるほどに。
(!!!)
以前一平に聞かされた話を思い出した。
オクタリアにはトリトニアの常識では考えられないような風習がある、と。
かつて一平は親善使節としてオクタリアを訪問したことがある。今の女王の即位祝いのために滞在した折に、とんでもないもてなしを受けた、と。
遠方ゆえ一泊の逗留を許され、提供された部屋で休もうとした途端、己の休むべき寝台の中に女性が忍んでいるのに気がついたのだと。
当時一平は妻のパールを亡くしたばかり。オスカー王が密かに傷心旅行がわりに一人旅を目論んでくれたのだが、舞踏会で女性のエスコートを固辞したにも拘らず、オクタリアは床に侍る女性をもてなしとして供してきたのである。
当然一平は女性を拒絶し、あろうことかオクタリアの王城から姿をくらましてしまったのだが、それはまた別の話である。彼にも彼の事情があったことだけを記しておく。
(やられた…)
油断していた。忘れていた。こにに足を向ける前に釘を刺されていたはずだったのに。それに、いくら王子だとはいえ若輩者の自分にこのようなお鉢が回ってくるとはよもや思わず、軽く考えていた。一平で一度失敗しているので、トリトニアにはそういう手段を仕掛けては来ないだろうと高を括ってもいたのだ。
一平から話を聞いた時には勿体ないことを…と、頭の隅で考えたことも事実である。しかし王子とは言え自分はまだ十五歳になったばかり。あまりにも豪胆でかつ寛容な一平の人柄に憧れているこの身には畏れ多くも不似合いなもてなしだ。自分は父の後を継いで赤の剣の守人になれるかどうかも危うい、王族の血を引くだけの青二歳なのだから。
キンタの部屋に入って来た女性は何も言わず、最前から突っ立ったままだが、キンタが察したようなことが目的でやって来たことはほぼ間違いがない。
(どうする?…)
そうして見ると女性の方もかなり若いように見受けられた。俯いているので顔は見えないが、挙措が若い。すらりとした体つきに張り詰めた若さがあるのが服の上からでもわかるほど、女性の着ているものは軽やかで薄かった。
何でそんなことまで見えてしまうんだろうと、キンタは意外に落ち着き払っている自分に驚いていた。こんな場面は生まれて初めてだし、女性の相手は面倒臭いと思っていたキンタは、軽そうに見えてその実女の子のことをあまり知らないというのに。
女性の髪はプラチナブランドだった。この国では珍しくはないが、キンタにとっては今ではごく親密で懐かしい香りの漂って来そうな髪の色だった。飾りの一つもつけずに下ろした長い髪は足元まで緩やかなカーブを描いている。ユズの髪も下ろせばこのくらいになるのだろうかと、キンタはふと考えた。
「…第三王女のユリ・ファブリーズと申します。…今宵、キンタ王子さまの夜伽を申しつかりました。…一生懸命務めさせていただきますので…どうぞ…よろしくお願い申し上げます…」
第三王女と名乗った女性は顔を上げずに言った。細くか弱い声が、無理やり覚えさせられたのだろうお定まりの口上をたどたどしく述べ上げた。
その声を聞いた時もキンタはユズに似ている、と思った。
そしてそう思う自分を嘲笑った。
(全く…女という女が皆ユズに見えるっていうのか!?こういう女をユズと重ねるなんて、彼女に対する冒涜じゃないか)
冷めた目で女性を眺めながら、キンタはあることに気づいた。夜伽に現れた女性は口上を述べたきりその場を動かない。それきり言葉も発さない。
いや、発せないのだ。
動けないのだ。
よく見ると彼女は小刻みに震えている。胸の前で合わせた手は硬く握りしめられて口元に当てられているが、がたがたと揺れている。
(怯えている!?)
自分からやって来ておいて何たることだ、とキンタは思った。
思ってから思い直した。この行動は彼女の本意ではないのだと。
親に命ぜられていやいや―泣く泣くか!?―ここに来たのだ。
そんな女を抱けというのか。ここの女王は?
生娘の息女を与えられたとて何が嬉しかろう。それでこちらの得るものは罪悪感だけではないか。
むらむらと怒りが湧き上がる。
「帰れよ」
「え!?」
思わず女性が顔を上げる。
「あ!!」
初めて互いの顔を見て、二人は同時に声を上げた。
―ユズ!!―
―ロック!!―
間違いない。その顔は昨日森の端で別れてきた愛する女の顔だった。初めて愛しいと思い、その腕に抱き、口づけを交わしたかわいい女性。髪を頭頂で括ってもいないし、薄化粧が施されて昨日よりも大人びて見えるが、紛れもなくそれはユズのくるくるとよく動く大きな瞳であり、見るものをほっとさせる愛嬌のある鼻であり、真摯な言葉を紡ぎ出す可憐な唇だった。




