第五章 悩み
「馳走になった。随分と大漁だったのだな。なかなか戻ってこないと思っていたが、こういうわけだったんだな」
一平にそう言われ、キンタはヒヤッとした。
後ろ髪を引かれる思いだったが、探しに来られる前に戻れてよかったと胸を撫で下ろす。
伴侶になってほしい人ができたことをどう伝えようか、キンタは頭を悩ませていた。こんな状況になるなど、一日前には思いもよらなかった。つくづく王族には生まれたくなかったと、キンタは思う。
隣にいる一平を見る。
彼は一介の戦士だった。地上人とのあいのこで身分も地位もなかったのに、今では国の三大柱の一人である。それまでの道のりの険しさは想像するに難くない。
しかも彼は守人になりたくてなったわけではないのだ。富や権力などには全く興味のない、野心などまるでない爽やかすぎる男だ。それなのに、トリトン神にそれと認められた。登用されて僅か二年で今の地位に就いた。
パールと一緒になりたいがために、彼は精進したのだという。王女を攫って逃げてしまってもよかったのに、彼はそうしなかった。パールの生まれ持った全てを失わせることなく包み込んで守る道を選んだ。
―偉大だ。…偉大過ぎる…―
わざわざ、めちゃくちゃ面倒臭い国の頂の世界へ飛び込むなんて、キンタからすれば気狂い沙汰だ。自分はどうやったらこのしがらみから抜け出せるのかばかりを考えているというのに。
それでもキンタは一平のようになりたい。一目会った時から男惚れし続けてきた。どこから見ても格好いいのだから仕方がない。
一平に相談してみようか、とも思う。
でも、それもちょっと躊躇われた。
他人に頼るより前にまず自分で何とかしないと。
それは最低限の矜持だろうと、キンタは思い直した。
父のオスカーは剽軽だ。
何を考えているのかわからない得体の知れないところはあるが、気さくで話しやすく、偉ぶらない茶目っ気のある人物だ。持って行き方次第では、キンタの希望を了承してくれるだろう。
むしろ厳しく節度を重んじるのは母の方だ。
傍目には淑やかで美しく品のある王妃ではあるが、勘は鋭く、人の気持ちを見抜くのが上手い。母には嘘を吐き通せたことがない。
赤の剣の守人にはなりたくない。
そう告げても、大丈夫なものなのだろうか。
王位継承権を自ら手放すことはできるのだろうか。
市井の娘を娶ることは可能だと思う。なぜなら、キンタの母はそもそも王族ではなかったからだ。
でも母は成人とほぼ時を同じくして父の妃となった。父の即位に伴い、共に赤の剣を守る立場となった。
ユズにはそのような苦労をかけたくない。
大変なのに決まっているのだ。
ユズはキンタが他国の王子であることを知らない。
そう。それも問題のひとつだ。生国が違うのだ。トリトニアに連れて来てしまえは苦労の元となる。
あの子は消極的だった。線が細く、繊細で思いやり深い…。トリトニアの王宮など水に合わなくて、キンタの元に来たことを後悔するようになるのではないだろうか。
いや、その前にまず懺悔だ。
自分はユズに本当の自分を隠している。王子であることを告げてもユズの気持ちは変わらないだろうか。
―怖い―
突然恋に落ち、相思相愛となったことで浮き足立っていたが、問題は山積みなのだ。
少し頭が冷えると、次から次へと悩みが浮かんでくる。
頭を悩ませながらキンタは眠りに就いた。
何の解決策も見出せないままに、翌日オクタリアの女王との謁見が始まり、手斧部門の審議会に出席し、模範試合に引っ張り出され、宴会でもてなしを供されていた。
夜遅くまで続いた宴会もようやっとお開きとなり、一行はそれぞれの客室へ案内された。
オクタリアの宮殿は華やかだった。ゲストルームもきちんと整えられており、色とりどりの壁布が掛けられ、意匠を凝らした調度品が飾られていた。腰掛けと卓の一対と、大きめの寝台が設置されている。VIPなので個室だ。一平もナシアスも他の武人たちも、それぞれ一室を充てられている。
「あーあ、つっかれたな〜」
誰も聞く人はいないが、思わず口から出てしまう。
今回の任務はいわば外交だ。王子とて、下手は打てない。
外交で矢面に立つのは実を言うと初めてだ。成人して一年余り、国内では色々な場所に出向いて王族の務めを果たしていたが、諸外国と渡り合うにはまだ経験が足りない。そのためオスカーは補佐の意味を込めて一平を同行させたのだった。言ってみれば研修である。
役目は恙なく終えていた。一平たちも武道会のあれこれを講義という形でオクタリアの人々に伝授し終えている。
明日は模擬武術大会が行われる。
それに参加し、また観戦しながら視察をし、問題があれば忌憚なく意見を聞かせてもらいたいと、オクタリア側から申し入れられている。
今日は模範試合だったが、明日は一応ちゃんとしたトーナメントである。無様な成績を残すわけにはいかないので、ここはさっさと睡眠をとって体調を整えておくべきだろう。
キンタは寝ることにした。
正装を解いて部屋着に着替える。ここ数日は野営だったので久しぶりだ。
(野営か…)
記憶が蘇る。
ユズの面影だ。
今頃どうしているだろう。少しはオレのことを思い出してくれているだろうか。
一人用とは思えないサイズの寝台を眺め、ここに彼女がいてくれたら、と思う。
まさか独り寝が寂しいわけじゃない。恋人ができると常に一緒にいたくなるのだ。
―だめだよ!ここにいてよ。すぐ帰るなんて言わないでよ―
不意に姉の呼び声が思い起こされた。
行方知れずの旅から戻り、送り届けてくれた一平が辞去の旨を口にした時に放った言葉だ。
あの頃すでに、姉は義兄のことをそういう気持ちで見ていたのか。
わかっていたことではあったが、今になってあの剣幕の意味に得心がいったのだった。




