第四章 初恋
―素敵―
そう言ってくれた少女をまじまじと見る。
かわいい子だと思っていたが、よく見るとなかなか綺麗な顔立ちをしている。大人しそうだ。言葉遣いは丁寧で、育ちの良さを感じさせる。王子の自分の方がよっぽど庶民的だ。
「オレ…素敵?」
キンタは思わず尋ねていた。
「え…ええ…」
素直に思ったことを言っただけなのに、ただ一言に食いついて確認を求めてくるキンタにユズはたじたじとする。
ユズの返事に破顔し、キンタは身を乗り出した。さ
ユズの両の二の腕を掴み、嬉しそうに語りかける。
「ありがとう!ありがとう!嬉しいよ、オレ、そんなこと言われたの生まれて初めてでさ」
言いながら、その場をくるくると回り出した。掴んだ手を離さないのでユズも一緒に回ってしまう。ユズの身体が持ち上がり、海水をかき混ぜる。キンタはものすごく楽しそうだ。
「おおっと…」
回り過ぎたのかバランスを崩し、キンタはひっくり返る。もちろんユズも道連れだ。倒れたキンタの上に倒れ込んだ。
顔が真上にある。
「君こそ、素敵だ」
キンタは本気でそう思っていた。お礼のために同じ言葉を返したわけではない。素敵だと言われた途端、キンタの中で何かが弾けたのだ。急にこの少女の姿が輝いて見えた。キンタは恋に落ちた。
女なんてめんどくさい。
そう思っていたはずだった。
姉を見ていて、そう思った。義兄に対する独占欲や奔放な振る舞いを見せつけられるにつけ、振り回されるなんて真っ平だと思うようになった。女性が皆が皆こうなのではなく、キンタの姉が特別だったのだと、世間を知らないキンタには判断できなかったのだ。
それなのに…。
目の前の少女は姉と全く違っていた。
世間一般の姉に対する印象は、とにかく年齢に比して子どもっぽいということだった。ユズは落ち着いていて、全然子どもっぽくはない。よく躾けられていて、淑やかで女らしいイメージだ。
控えめな部分は姉にも通ずるところがあった。王女ゆえ場所柄を弁え、相手によって対応を使い分ける分別は持ち合わせていた。人の妻となり、成長した姉を思い出させるような話し方にも一目置くことができると思えた。
(あれ?お姉ちゃんに似てるかも!?)
思ってキンタは慌てて首を振った。
(そんなことあるもんか)
そしてまた、まじまじとユズの顔を見つめる。
居心地が悪そうに、ユズは目を伏せる。彼女とて、キンタに惹かれている自分を自覚していたが、いくら何でも急接近すぎる。これは気の迷いなのではないだろうかと、自分を疑ってかかっている。
キンタの手はまだユズの腕を掴んだままだった。
離して欲しいが離して欲しくもなくて、ユズは動けない。
恥じらっている様子のユズを見て、キンタははたと気づく。慌てて手を離す。
「ご…ごめん!…オレ…つい嬉しくて…」
ユズがブンブンと首を横に振る。謝られることなど何もされていない。
「そんなに…褒められたことがなかったの?」
キンタのこの喜びようは少々異常だと、ユズにも思えた。
「そういうわけでも…ないけどさ…。うちの親、オレには厳しくて…。周りが優秀なやつばっかりだから、ほんと、やりにくいんだよ」
「そうなの…。私もよ。私のお母さまはとてもやり手で…。子どもの私たちのへの要求も大きくて…。それでもお姉さまは何とかうまくこなしているのだけれど、私は不器用だし、気が小さいし、色々と叱られてばかりなの…」
言葉を選び選び、ユズは言った。
「実は縁談も持ち上がっていて、見も知らぬ方のところへ嫁がされそうなの」
「縁談!?」
自分の手斧で頭をかち割られたような衝撃がキンタを襲った。
(嫌だ…)
―やだって何が?―
キンタは自問自答する。
(ユズに縁談があるなんて嫌だ)
急に黙りこくってしまったので、ユズは呼び掛ける。
「ロック?」
「…君は…それでいいの?好きでもない男の所へ嫁に行って…それで…幸せなの?」
そんなことを気にかけてもらえるとはユズは思っていなかった。キンタはユズの目を見ないで話している。さっきまでの無邪気な様子はなりを潜めていた。
「…いやよ…いやに決まっているわ。そうでしょう?だって…」
答えたその先をユズは続けることができなかった。いきなりキンタに抱き締められたからだ。
「…ロ… ロック!?…」
「好きだ!!」
キンタは声を絞り出していた。
矢も盾もたまらず、キンタは動いた。こんなことをするのは無礼だとの配慮も思い浮かばなかった。
「こんな…会ったばかりで…信じられないかもしれないけど、オレは…オレは…オレは今君が好きになった。君が他の男の妻になると考えたらものすごく嫌だった。オレが、もらい受けたいって…」
ユズを抱く腕を緩め、ユズの反応を見る。ユズは…泣いていた。
「ユズ…」
涙の中から笑顔を作り、ユズは自らキンタの胸に顔を埋めた。
「…うれしい… 」
小さいが、しっかりした声が胸元から聞こえる。
(うれしい?嬉しいって…言ったのか?)
「私も、…私もロックが好き。自分でも信じられないくらい、あなたに会いたくてたまらなかった…」
「ほんと?」
思わずユズの身体を揺さぶる。顔を上げたユズがこくんと頷く。
「やった!やったぜ、オレ!」
キンタは自画自賛である。
「ああ…ユズ…好きだ。好きだ好きだ好きだあっ!!」
恥ずかしげもなく好きだを連発し、雄叫びを上げる。
(ロックったら…)
―子どもみたい…―
ユズがくすりと笑った。その微笑みはキンタの箍を外した。
ユズは動かない。
いや、動けないのだ。キンタが何をしようとしているのか察したから動くことができなかった。
なぜなら、ユズも望んでいたから。
キンタの唇が近づいてくる。
ふたつが合わさった時、キンタは知った。姉がどうしてあんなに毎日義兄にキスをねだっていたのかを。
二人は三日後に会う約束をして別れた。
同じこの場所でだ。
キンタたちは翌朝オクタリアの首都オクタリンに入る。王城を訪問し、二日間の滞在で武道会のノウハウを伝授する段取りとなっていた。
そして三日後の朝には帰途に着く。夜には再びこの辺で野営をすることになるのだ。
ほぼキンタ側の一方的な都合であったが、ユズはそれでいいと言った。その時ユズの両親に会わせて欲しいとキンタは言った。
旅芸人だと言うからには国中のあちこちを渡り歩いているはずだ。一旦別れてしまえばそう簡単に会うことはできなくなる。どこにいるかもわからないのだ。
それだったら約束を取り付けておきたい、とキンタは思った。自分の境遇はこの先どうなるかわからない。第一王位継承権者ではあるが、順当に王位に就けるかどうかはわからない。トリトニアの王は赤の剣の守人としてトリトン神に認められなければならない。赤の剣に触れ、抜刀を許されなければ、いかに国王の嫡子と言えど王位に就く事は叶わぬのだ。守人の交代の宣旨が降りた時、一番最初にその資格を試されるのがキンタだった。
その性格上、王には向かないとキンタは自分で思っていた。何しろ、その父は第六王位継承権者だったのにもかかわらず、五人を飛び越えて赤の剣の守人と認知された英傑であり、身近にその為人を見てきたキンタには到底自分は及ばないと諦め心地で過ごしてきたのだ。自分が国王になった姿など夢のまた夢で、ありえないと思っている。
万が一、守人となれたとしたって、その伴侶には同等の責任が付随してくる。それなりの準備、精進をして、その時に備えなければならないのだ。しかも、守人選定の宣旨は唐突に降りる。いつその時が訪れるのかは誰にもわからない。
そんな状況にユズを巻き込むのはキンタは嫌だった。
守人云々が取り沙汰される前にさっさと結婚してしまったほうが得策だとキンタは考えた。どうせ自分は赤の剣の守人にはなれないのだ。
まだまだ若輩だけれど、必ず近いうちに迎えに行く。そのことをご両親に承知しておいてもらいたい、とキンタはユズに伝えた。はい、とユズは言った。
瞳を恨ませ、キンタの顔を切なげに見つめた。
微笑んではいたが、悲しそうにも見えた。
心底嬉しいと思ってはいても、ユズはある事情から手放しでは喜べなかったのだ。でも、それをキンタに告げることはできない。
「心より、お待ちしております。私の心は、あなたさまおひとりのものです。それだけはどうぞお信じくださいませ」
「オレも…オレもユズだけを思うよ。周りを説得して、ちゃんと迎えに行くから待っていて」
ユズが心持ち辛そうな口調であることに、浮かれたキンタは気づかない。泣き笑いの表情で頷くユズに今一度口づけて、キンタは野営地に戻った。




