第三章 名乗り
翌日…。
次の野営地でも昨日と同様のことが行われた。
天幕を張る組と食料の調達の組。
キンタは再び食料の調達に赴いた。
昨日のウツボは皆に好評だった。もう一度食べたいとリクエストする者もいて、キンタは勇み足で先頭を行く。
「王子はご機嫌だな」
「ああ。変に僻まれてもこっちが困るからな」
武人たちがこそこそ内緒話をするのを尻目にどんどん先を急ぐ。
「王子!この辺で調達しましょうや」
「いや、オレはもうちょっと行ってみる。ここはウツボのいそうな地形じゃないから」
「ウツボじゃなくてもいいんですぜ!?」
「オレが食べたいんだ」
キンタの声はどんどん遠く小さくなる。
「やりたいようにやらせときましょう」
「ンだな…」
人を使う身分なだけあって、キンタもなかなかにわがままであった。
違う地形を探すということは、結構な距離を稼がねばならないということだ。ようやっとウツボがいそうな地形に辿り着いた時には、キンタと武人たちの距離はかなり隔たっていた。
岩場の穴を突き、ウツボが出てきたところを、一刀のもとに五匹ほど捕まえたところで野営地に戻ろうと踵を返した。
袋を持参していないのでこれ以上は持てないと判断したのだ。
よっこらしょ、と腰を伸ばすと視線の先に人がいた。
(あれ?…)
なんと昨日出会った海人の少女であった。
少女の方もキンタに気がつき立ち竦む。
「昨日の…」
そういえば、名を聞いていなかった。
「奇遇だね。また会うなんて」
それでもキンタは気軽に声をかける。
「ええ…」
「君の家はあの辺じゃなかったの?同じ方向に進んでいるとしか思えないんだけど」
「…そうね。私も、そう思うわ」
「もしかして、旅の途中?」
彼女も自分と同じく旅の途中で、食料の調達をしていたのかもしれないとキンタは思った。
少女はこくんと頷いて微笑んだ。
(かわいいじゃないか…)
昨日もそう思ったが、笑うと一層魅力的だった。
「あの…」
少女は何かを言おうとする。それももじもじとして。
「昨日は…本当にありがとうございました。命を救っていただいたのに、ろくにそお礼も申し上げず、迷惑ばかりおかけして…」
「お礼、言われたような気がするけど、言われてなかったっけ?」
さっぱりとした気質のキンタはそういうことにあまり頓着しない。てっきり言われたものと思い込んでいた。
「あの…一度しか言っていなかったので。薬を飲ませていただいたことへの感謝の言葉をお伝えし損ねてしまったのですわ」
言いながら、だんだん頬に赤みが増してきた。
「ああ…あのこと…」
気付け薬のことか、とキンタは溜飲を下す。
(でもなんで赤くなってるんだ?)
「私…動転してしまって…本当に失礼しました」
(動転…)
キンタははっとなる。そうか、口移しで飲ませたから恥じらっているのか。
(当たり前のことじゃないか。そんなに恥ずかしがられると却ってこっちが意識しちゃうよ)
「やだなあ。口移しなんて大したことじゃないから。気にしないでよ」
「大したことじゃない…」
少女は小声でキンタの言を繰り返す。その言葉を噛み締めるように。そしてあろうことか、目を潤ませ始めた。大粒の涙が盛り上がり、ポロリと落ちる。
(えっ!?)
少女がなぜ泣くのかキンタには全くわからない。
少女が自分を救ってくれた少年に恋心を抱いたこと、そして知らぬ間に唇を奪われていたことを少年が何とも思っていないと知って、失望の涙を流しているなど、想定外すぎて想像もつかないのだ。
(オレが…泣かせてるのか!?)
(ちょっと待ってくれよ。一体何だって…)
訳がわからず、立ち竦むキンタに少女が言う。
「ではせめて…お名前だけでもお聞かせ願えないでしょうか」
「名前?ああ、そうか。オレはキ…」名乗ろうとしてキンタは一瞬躊躇した。ここで本当の名を言ってもよいものだろうか?「…ロックだ」
キンタの正式名称は、キンタ・ロック。後半だけを名乗った。
「ロック…ロックさま…」
「さまはいらねーよ」頭を書き書きキンタは照れる。「君は…何ていうの?」
「私は…ユ…」少女も躊躇いながら言葉を選ぶ。「…ズ…。ユズと申します」
「ユズ、か。やっぱりオクタリアの人の名前は変わってるね。オレの知ってる人の中には一人もいないや」
「ロックさまはオクタリアの人ではないの?」
(まず…)
わざわざ偽名―と言うわけでもないが―を名乗ったと言うのに、出自を匂わせることを言ってしまうとは。
「…トリトニアから来て、首都のオクタリンに向かってる途中なんだよ」
仕方がない。このくらいは言っても差し支えないだろう。
「君は?ユズ」
「私は…私もオクタリンへ向かうところ…。旅芸人の一座に所属しているの。首都には人がいっぱい集まるから…」
「へえ、旅芸人か。どんな芸をするんだい?」
「私はまだ見習い。舞台に上がった事はないわ。芸は…歌唱よ。そのくらいしかできないの」
「歌唱か。懐かしいな。オレの姉貴も歌が上手かったんだよね。もう死んじゃったけど…」
キンタは少し遠い目をして呟いた。
「お姉さま、お亡くなりになったの?お気の毒に…。ご病気か何かで?」
社交辞令として口にした言葉だったが、キンタはそのことにはあまり触れたくなさそうに見えた。
「…病気っていうか…元々身体が弱かったからね。無理が祟ったんだ。まだ十六だったっていうのに…」
嘘は言っていないが、詳しく話せば姉がどこの誰だか推し量るのは容易いだろう。それほどキンタの姉は有名人だ。
―トリトニアの王女パールティア。青の剣の守人の妻であり、偉大なる癒しの力の主。その力を駆使し、災害に見舞われた人々を癒し尽くして天に召された―
わずか一年前の出来事であり、人々の記憶に新しい。友好条約を結んでいるオクタリアになら知れ渡っていてもおかしくない。
「寂しいわね。私にも姉がおりますからわかります。心中お察しいたしますわ」
心から同情している口ぶりでユズは言った。
柄にもなくしんみりしてしまったと、キンタは虚勢を張る。
「まあ、いないことも多かったから、どうってことないよ。いつまでも寂しいなんて言ってられないし」
キンタが七歳から十歳の頃まで、姉のパールは生死不明だったのだ。幼い頃の記憶はあまりない。
姉が他界したことで国王の嫡子はキンタひとりとなり、成人したこともあって、人々の期待は一心にキンタへと集められているのだ。様々な勉強と経験を積まねばならない日々が続いている。
「…お強いのね…」
ユズは感心しきりである。
「強くねえよ。その姉貴の旦那さんがめちゃめちゃ強いから、オレなんか霞んじゃってさあ」
(やべ。またこんなこと言っちゃった。バレませんように」
「力自慢じゃなくて、お心が強い方が素敵だと思いますわ」
「?」
(素敵?)
そんなことを面と向かって言われたのは初めてで、キンタは戸惑った。
―自分は褒められている!?―
首筋の辺りが何故かむず痒くなり頬の筋肉が緩むのを、キンタは抑えることができなかった。




