第二章 出会い
食料の調達組はずいぶん前に野営地を発っている。キンタは追いつこうと焦るのをやめ、独自に好きなものを獲ることにした。
キンタの一家は、蛸好きである。
蛸のねぐらを見つけ、中に潜む獲物を引き出すため、蛸が好物とする甲殻類を探す。カニを捕まえると岩場を覗きながら探った。
隠れる場所が多いため、岩場は生き物たちのパラダイスだった。
キンタの獲ったカニは元より、海老もイカも魚も、無数の種類が動き回っている。
蛸は主に夜捕食するのでそろそろ活動を開始するはずだ。それも狙いだった。
岩場は大小様々な穴があったり海藻が生えていたりして見通しが悪い。唐突に大きな海獣類が現れて肝を冷やすこともある。キンタは一応細心の注意を払って蛸の巣を探した。
と、いきなり甲高い悲叫び声が聞こえた。
声のした方を振り向くと人が倒れていた。
目の前には獰猛な顔つきをした細長い生き物が、蛇が鎌首を持ち上げるが如くの体勢で威嚇していた。
ウツボだった。
体の大きさは海人にとって脅威となるほどではない。が、何分にも一度喰らいついたら死んでも離さないと定評のある危険な生き物である。そのウツボが今にも食らいつかんばかりにして、海人の頭部を狙い定めている。
(やばい…)
キンタは腰の手斧に手を掛け、ウツボに向かって投げつけた。地を蹴り水を掻いてウツボの元に泳ぎ寄るよりもその方が早いと、一瞬のうちに判断したのだ。
手斧はくるくると回りながらウツボの体へ向かう。鎌首をさらに前へ伸ばして噛みつこうとしたところで胴体を真っ二つにされ、海中を漂った。
一足跳びにウツボの元へと移動して手斧を拾い上げると、狙われていた海人をその目に捉えた。
海人は尻餅をつき、恐怖におののいて目を瞠いて震えていた。
「あ…あ…あ…」
まともに喋る時はできなさそうだ。
さもあろう。ウツボの標的になっていた海人はまだうら若きか弱そうな女性であった。
自分よりは年下だろうとキンタは思った。こんな時間にこんな所で一体何をしていたのだろうか。しかもたったひとりで。どうしてウツボに狙われなければならなかったのか。
見れば、身なりはよい。きちんとしているし、素材も上等そうだ。トリトニアの常識から言えばいいところのお嬢様だろう。オクタリアでどうかは知らないが。
女性は居住まいを正すこともできない。仕方なし、キンタは声をかける。
「腰が抜けちゃった?立てる?」
女性は―いや、まだ少女といってもいい―地べたに両手をつき、身体を持ち上げようと試みたが、全くと言っていいほど彼女の身体は動かなかった。
「あ…無理…です…全然力が…」
「だろうね。無理しないほうがいいよ。そのうち元に戻るからさ」
キンタは気休めを言って少女の目の前に座り込んだ。
少女をまじまじと見る。
かわいい子だった。驚愕に瞠かれていた目が今は本来の大きさに戻り、安堵の光を浮かべている。それでも、普通一般の人より少女の目は大きかった。黒目がちな瞳がパチパチと瞬きをしているので、落ち着きを取り戻そうとしているのだとわかる。
大きな目に比して口元は小さい。消極的な性格らしい。
そして頭頂で括って丸めた髪は薄い色をして光っていた。
プラチナブロンドだ。トリトニアではあまり見かけない。乱れた後れ毛が緩やかなカーブを描いて少女の頬や首筋の周りにまとわりついている。
「あの…」
「ん?」
「…ありがとう…ございました…」
「ああ…」
蚊の泣くような小さな声で、少女はお礼の言葉を口にした。
「なんてことないよ、ウツボくらい」
自分の身に危険が及ばなければ、自身より大きい生き物に攻撃を仕掛ける生き物ではない。
「ウツボの巣でもつついちゃったの?」
そんなことでもなければ襲われたりはしないだろう。
「そんなこと…してません。…いくら私でも…」
どこか自分を卑下したような口調だ。
「躓いて転んだ拍子にウツボを踏んでしまったみたいなのです」
「そりゃ…災難だったね」
ならば仕方がないかとキンタは同情する。そして疑問を口にする。
「君は… 一人?誰かと一緒じゃないの?」
少女は目を瞠き、ええ、とだけ答える。
「じゃあ、送って行ってあげるよ。家はどこ?」
「え、そんな…大丈夫です…」
遠慮しているのか、慌てて首を振って辞退の意を表している。
「見たとこ身を守るものも所持していないみたいだし、もうじき日が暮れるよ!?」
「……」
「オレはさ、夕メシ調達に来たんだけど、蛸獲ろうと思ってたけど、もうこいつでいいからさぁ…」
キンタはそう言って、先ほど両断したウツボの死体を掲げて見せる。
「きゃ…」
少女が身を引いた。死んでいるのにまだ怖いのかと、キンタは呆れる。
「そ…それを…食べるのですか?」
当たり前だ。高級食材である。なかなかうまいのだ。
「そうだけど!?…え?…いや、ちょっと!!」
キンタは大慌てで卒倒する少女に手を伸ばす。背後はゴツゴツとした岩場だ。そのまま倒れては怪我をする。
何とか事なきを得て、少女の身体はキンタの腕に収まったが、少女は気絶している。自分を襲ってきたウツボを食べることなど想像したこともないのだろう。
「どんだけ、お嬢様なんだよ…」
心底呆れ返ったキンタであったが、この後が問題だった。
こちらの事情などお構いなしに、日はどんどん暮れてくる。キンタは野営地に戻らなければならない。かと言って、気を失っているか弱い少女を一人この場に置いていくことはできない。
戻らなければみんな心配するだろう。そしてまずいことにキンタは王子なのだ。行方知れずになどなっていては同行者に迷惑がかかる。
この子を送り届けようにも家がわからない。
失神と言うのはどれほど時間が経ったら目覚めるのだろう。
姉のパールは子どもの頃よく人事不省になったが、十分やそこらで目覚めることはまずなかった。とすれば、何としてでもこの子を起こさねばならない。
キンタは少女の頬を手でピチピチ叩いてみた。反応がないので肩を揺すってみた。上体を起こして座らせてみたが徒労に終わった。
(うーん…)
再び座り込み、腕組みをして思案するキンタの目にあるものが止まった。海藻である。薬草でもある。確か気付け薬にもなるものだ。
なぜキンタがそんなことを知っているかと言うと、以前姉を手伝って薬草採りに精を出したことがあるからだ。その時教えてもらった草だった。
(…いいもんめっけ!)
身を乗り出して、薬草をむしり取る。ちぎって口の中に入れた。咀嚼して細かくし、横たわる少女に飲ませる。
意識のない者に薬を飲ませるのは、地上でも海でも口移しだ。海ではその割合が五倍も高い。ごく当たり前のやり方だったのでキンタに躊躇はない。薬を入れたら口から溢れ出ないようにしばらく塞いでいなければならない。面倒くさがり屋のキンタは、それをそのまま己が唇で行った。端から見れば完璧に恋人同士のキスの有り様を呈していた。
首筋を触って嚥下したのがわかると唇を離した。数分して少女が目覚める。
「やっと起きてくれた」
「私…!?」
「うまいんだぜ。ウツボ。あんなことくらいで気絶しちゃうなんて、どこの深窓のお姫さまなんだよ」
「……」
「オレ、仲間のとこに戻んなきゃいけないからさ。そこにある海藻飲ませたから。気付け薬に。何か障りがあったら医者にかかって」
あくまで自分は医術には素人であるのでそう断った。
「気付け薬…」
呟く少女の顔が次第に赤く染まっていく。
「?」
しまいには両手で顔を覆ってしまった。
「どうしたのさ…」
「……」
とても恥ずかしくて口には出せない。そういう素振りで首を横に振っている。
薬を飲ませたとは口移しで、ということで、口移しということは、唇同士が合わさったということで、それは即ち口づけしたことと同じで…。
そう考えて、身の置き場をなくしているのがキンタにはわからない。
「悪いけど…オレ、もう行かないと。…気をつけてな」
手斧とウツボを手に、ひょいひょいと岩場を飛び越え、キンタは野営地に戻って行った。
少女はそれを呆然と、なすすべもなく見送った。




