第一章 招聘
この作品は「トリトニアの伝説」の外伝です。
パールがこの世を去っておよそ二年後の物語です。
物語の背景
海人の園ポセイドニアを形成する国のひとつトリトニアの王子キンタは十五歳。
成人して一年、結婚適齢期だが、女性不信のきらいがある。
今は亡き実姉のパールの言動を目の当たりにして女性に対する憧れを打ち砕かれたせいである。
開けっぴろげで義兄への恋心を隠そうともしないくせに、その実幼稚で男心を斟酌しないので、結婚前の義兄の一平は姉に振り回されっぱなしだった。
それを見せつけられていたキンタは、女は面倒だと心底呆れていたのだ。
王族として生まれ、血統を繋いでいかなければならない王子として、これは些か弊害のあることだった。
王族には赤の剣の守人候補者を一人でも多く残す義務があるのである。
トリトニア王家は世襲制ではなく、守護神トリトンによる試儀に受からなければ赤の剣の守人、つまり国王にはなれない。
現国王オスカー三世の嫡子であるキンタは王族としての務めを果たすべく赤科での修行にいやいや励んでいた。
と言うのも、父のオスカーは上位の五人を飛び越えて赤の剣の守人に就任した英傑であり、いかにキンタが励んだとしても、父を超えるのはおろか、比較されることからは逃れられないからだ。
だがキンタはそのことを自分一人の胸の内に秘めている。
当然のように父に命ぜられ、キンタは他国への使節団に身を置くことになっていた。
海人の園ポセイドニアは大西洋にあった。
大海原の彼方、人知の及ばない海の底深くで、人々は海に適応して暮らしていた。
磁場の影響か、四次元ポケットがあるのか、その一帯では船も飛行機も消息を絶つ。不思議としか言いようのない未知の力で、その国々は守られていた。
十国からなるポセイドニアは深い海藻の森に取り巻かれているので潜水艦も避けて通るが、海人たちはこの限りではない。森には彼らが妖物と呼ぶ様々な生き物が生息しているが、これらの嫌う匂いのものを所持していれば妖物避けになるし、一瞬にして空間(といっても海の中なので空気はないが)を飛び越えるポイントがあることを心得ている者は、点繋道と呼ばれるそのポイントを自由に使いこなして予定した場所へ短時間で移動することができるのだ。
点繋道はその国の者だけが使えるものと十国全てが共通して使える公のものとがある。距離もポセイドニアの中と外という長距離あり、国内での利便性の高い短距離ありで、未だ発見されず実用化に至っていないものも多いと言われている。
森自体も至るところにある。だが、深いものは人の出入りが少なくなるため、それが自然と国境にとって変わることになりがちだ。
その国境を今しも越えようとしている一団があった。
ポセイドニアの中でもほぼ中央に位置するトリトニアの住人で、国王の一子であるキンタ王子を中心とするメンバーだった。
同行者は、義兄でありトリトニアの青の剣の守人である一平、その腹心でジーの出身であるナシアス他麾下の武人、識人たち十二名である。
向かうは東にあるオクタリア。女性上位の国でここ数年急激に国交が繁くなりつつある国だ。今回は招待があっての訪問だった。
この度初めて武術大会が開かれることになり、その歴史が長いトリトニアに開催のノウハウと技術指導のために招聘されたのだ。オクタリアでは数ある武器の中でも手斧が最も盛んで、トリトニアではキンタ王子が手斧の第一人者であることから招待を受けたのであった。
とは言え王子は王子、武術大会の開催には関わっておらぬ。
今では立場上武道会に選手として参加することは叶わなくなったが、かつては一大会で三部門を制覇した実績があり、現在では主催者の側に立つ青の剣の守人が指南役に選ばれた。腹心のナシアスは細剣の達人、その他の同行者もそれぞれの部門の入賞者が雁首を揃えている。
トリトニアの武術大会は武道会と呼ばれている。
種目は大きく剣技と体技に分かれており、剣技は代表的な武器の種類が十部門、体技は総合格闘技なので細かくは分かれていない。トリトニアで一般的なのは中剣、女性なら細剣であり、手斧はどちらかと言えばマイナーな競技である。
トリトニアで武の頂点に立つ青の剣の守人に立候補する際の資格のひとつに中剣が扱えること、という項目がある。軍人となるにはあらゆる武器の知識とともに、戦いの実技も一応修めねばならないが、それでもあまり一般的でないのがこの手斧という武具であった。
キンタ王子はなぜか幼い頃からこの手斧が好きで、ジャグリングの要領で放り上げたりキャッチしたりとおもちゃがわりにして育ってきたのである。一国の王子としては珍しく、常識に囚われない、身分に縛られない破天荒な性格と行動力を持った少年であった。
齢十五。
海人たちは地上の人間たちよりは短命、四十歳にもなれば棺桶に片足を突っ込んでいる感覚だ。従って成人するのも早い。成人したら早々に伴侶を得て次代を担う子どもをたくさん産み育てるのが当たり前であり、義務でもあった。
トリトニアでは男子は十四、女子は十三で成人だ。キンタの父である現国王オスカー三世は十四で即位、十五の時には、第一子を得ている。要するに、キンタ王子は結婚適齢期であり、お年頃なのだ。
だが、浮いた話は皆無である。
女嫌いとまでは言わないが、この年に似合わず、女の子にあまり興味を示さない。それどころか、女性と懇ろになることに憂慮を覚えるのだ。
原因は誰あろう実の姉のパールにあった。
ごく幼いうちはキンタとてそんなふうには感じていなかったのだが、彼が思春期に差し掛かろうかという頃の姉の言動が、キンタの女性に対する憧れを打ち砕いたのだ。
姉のパールは身体が弱かった。九歳から三年間行方知れずになっていた。帰還した時には十二歳だったが、姉とは思えないほどに幼稚だった。素直すぎるのか、自分の気持ちを包み隠すことが苦手であり、周りの者はそれに振り回される。その最大の被害者が後に夫となる一平であった。
当の一平には被害者だという認識はなく、むしろそれが幸せだと考えている節があった。要するに、ベタ惚れだったわけである。
相思相愛でありながら、その立場ゆえに、二年もの間二人は結婚することは叶わなかった。
その間キンタは、二人のイチャイチャを見せつけられて過ごしていたのだ。
一平は誰が見ても惚れ惚れするような立派な男だった。トリトン神に守人と認定される要素を完璧に備えていた。そしてそれを奢らない謙虚さも。あんなふうになりたいと、キンタは密かに思っている。
その一平に対し、姉のパールはわがままばかりを要求する。
早く帰ってきて。どこへも行かないで。そばにいて。
そればかりか人目を憚らずに抱きついてはキスをねだるのだ。
―めんどくせえ―
もし自分が一平の立場だったら到底我慢できないと、キンタは思ったのだった。
女は嫌だ。
こんなに束縛されるんだったら、結婚なんかうんざりだ、と。
トリトニアの首都トリリトンを発つこと七日、一行は隣接する国を超えてオクタリア国内に足を踏み入れていた。
行程は残り三日ほど。国境にあるソラルートの森を抜けたところで日暮れとなり、野営の準備に取り掛かっていた。
一行のメンバーは武人ばかり。野営には慣れている。天幕を張る者と食料調達のための漁に出る者とに分かれ、それぞれの作業に精を出していた。
一行の最高責任者は現青の剣の守人の一平だ。相談役の中将のナシアスとユリアンと共に割り振りを図り、采配を振るっている。
武人たちがそれぞれの指示に基づいて四方へと散って行く。
それを眺めながら、一人残されたキンタは一平を仰ぎ見た。
「オレは?」
キンタは王子である。王族だ。かしづかれる側の人間だったが、そうされるのは居心地が悪かった。生来のやんちゃ気質はキンタをひと所に留めておこうとしない。
「お疲れではありませんか?ただいま天幕を準備中です。出来上がり次第お休みになられませ」
ユリアンが気を利かせて申し出たが、キンタは不服そうに眉を顰めた。
「オレは足手纏いだって言うのかよ」
「いえ、そのような…」
難色を示され、ユリアンは口ごもる。一般的な王族への対応をしたつもりだったが、逆効果だったようだ。
「ユリアン中将、少々打ち合わせておきたいことがある。あちらで相談に乗ってもらいたいのだが」
空気を読み、ナシアスがしゃしゃり出た。この場合、義兄である一平に任せた方がよいと判断し、やたらと饒舌に話しかけながら、ユリアンをキンタの前から連れ出して行った。
「なんだよ。お子様扱いしやがって」
ひとりごちるキンタに優しい眼差しを向け、一平は言った。
「どんな仕事がしたい?」
「えっ!?」
「といっても、天幕の設営か食料の調達の二つに一つだが」
仕事をさせてもらえるのか、とキンタの顔が輝く。
一行の中では最年少。身分は一番上だが、経験は一番浅い。にもかかわらず、何かと持ち上げられ、腫れ物のように扱われるのは心身ともに疲弊する。初めての外遊で緊張もあり、前日までは何とかおとなしくしていたのだが、手持ち無沙汰は性に合わない。
そう思っているのが一平には言わなくてもわかるようだ。
パールがそうだったのだ。彼女が王女だと知った時、思わず遜ってしまった一平に、態度を変えるなと本気で食らいついた。自分の王女と言う身分が一平との間柄の障壁となることを何より嫌った。医療に携わる時も率先して必要な仕事をし、心を砕いて人々に接していた。
キンタは言った。
「じゃあ、食料を調達してくるよ」
晴れ晴れとした顔でそう返すキンタの背中に向かって、一平は一応念を押す。
「気をつけろよ。もう日が落ちる。おまえなら大丈夫だろうが、大事な役目が控えていることを忘れるな」
「わかったー」
子どものように無邪気な返答を返しつつ、振り返りもせずにキンタは森の中に消えた。




