狐丸と小狐丸
──あの、稚児の《名》、知りたくはないか……?
瑠璃姫のその言葉に、澄真が、ぴくりと反応する。
(あの者の、名……)
澄真は、唇を噛む。
ちょうど、その事を考えていたところだった。しかし、気持ちを読まれたようで、気分が悪い。
「……」
無言でギロリと、澄真は瑠璃姫を睨んだ。
「ふふふ。……なんだ? 聞きたくはないのか?」
「……っ」
意地悪を言いながら、瑠璃姫は澄真の顔色を窺う。
(思った通り、泣きそうな顔をしておるわ……)
愉しげに瑠璃姫は目を細める。
そんな澄真の様子に機嫌を良くし、瑠璃姫は続けた。
「まあ、聞け。あの稚児の名は、弦月が付けたらしいのだが、なかなか面白い名を付けたのだぞ? きっとお前も気に入るであろうな?」
くくくと忍び笑いを漏らす。
澄真は、その言葉に、眉を寄せた。
「和尚が? ……親戚か何かなのか?」
訝しがりながら、言葉を返す。
(名を付けられるほどの、間柄……? そのような者が和尚にいただろうか? 俗世とは、綺麗に縁を切ったと思っていたが……)
澄真は、唇を噛む。
(いや、あれ程の稚児だ。俗世が惜しくなったのかも知れない……)
思考がだんだん斜め上を飛び始め、澄真はギリと指を噛む。
(やはり、この古寺に置いておく訳にはいかない……)
澄真は、静かに決心する。
「……」
澄真の顔色が厳しくなったのを見て、瑠璃姫は笑みを消す。
「……ちょっと待て。お前、まさか変なことを考えてはおるまいか?」
「変なこと……?」
ムッとして瑠璃姫を見れば、瑠璃姫は呆れた声を上げた。
「……やはり、妙な勘ぐりをしておるだろう。和尚はお前とは違う。一緒にするでない!」
「……」
その言いようにカチンときて、澄真は反論する。
「《名》を簡単につけるなど、ただの関係であるはずはない。血縁か、あるいは──」
そこから先は真っ青になって、言えないでいる。
瑠璃姫は大きく溜め息をつく。
「……」
けれど説明するのも面倒臭い。まぁいいや、……と軽く考え、瑠璃姫はそのまま言葉を続けた。
「ふふふふ。まあ、そのようなものだ」
にやりと笑い、瑠璃姫は適当な相づちを打った。
「……っ」
ものすごい勢いで澄真から鋭く睨まれ、瑠璃姫はたじろぐ。
(……っ、これは相当だな)
あまりにも可哀想になったので、瑠璃姫はコホン……と一つ咳払いをして本当のことを教えた。
「あ。うん……いや、そのなんだ。……あやつには、名がなくてな」
「《名がない》……?」
少し遊んだのが悪かったのか、澄真は疑いの目で瑠璃姫を見る。
瑠璃姫は更に咳払いを重ね、言葉を続けた。
「何もおかしい事はなかろ? 平民などそのようなものだ。……ついでに言うと、あれには親がおらぬ」
「……親が、いない……」
澄真の表情が少し柔らかくなり、瑠璃姫はホッとする。どうやら信じてくれそうだ。
「そうだ。親はおらぬ。なれば名がない道理が立とう……?」
「……しかし、それが何故、和尚が……」
「たまたまじゃ。たまたま、あやつがこの黒狐寺に流れ着いただけの事。弦月はそれを哀れに思うて、名を授け、住む場所としてここを提供したに過ぎぬ。……安心したか?」
「な……っ! わ、私は別に……」
《別に》……などと言いつつ、澄真の顔は真っ赤だ。《まだ子どもだの》……と瑠璃姫は密かに鼻で笑った。
「で、その《名》であるが──」
瑠璃姫は名前を教えたくて、仕方がない。さっさと話を進めるぞ! と言わんばかりに先を進めた。
澄真はまだ真っ赤だ。
瑠璃姫は着物の袖で口許を隠し笑いながら、そんな真っ赤な澄真の耳に、そっと囁く。
「あれの名はな、……」
──狐丸と言うのだ……。
澄真の目が丸くなる。
「……」
瑠璃姫は嬉しそうに、澄真を覗き見た。
「どうだ? 嬉しいであろ? お前とお揃いだな」
そう言いながら、あははははと高らかに笑った。
「……っ」
澄真は先程と打って代わり、青くなってさらに眉を寄せた。
「狐丸……」
「そうじゃ。……そう、お前の幼名は確か……《小狐丸》であったかの? 帝が作らせた護り刀の名にあやかって付けられた名前なのだとか? 狐と小狐……ふふ。お前の方が、よほど愛らしい名であったな? 澄真」
くくくと瑠璃姫は愉しげに笑う。
瑠璃姫が言うように、澄真の幼い頃の名は、従六位の橘宗近が帝の命で打った、護り刀の銘と同じである。
護り刀同様、帝のお役に立てるようにとの、願いが籠っているのだそうだ。
──銘刀小狐丸。
護り刀の銘の由来は、制作途中の出来事が関係している。
帝の命を受け、護り刀を打ち始めたのはいいが、なかなか思うようなものが打てない。
困り果てた橘宗近は、氏神であった稲荷明神へ詣でた。その時、一人の子どもに出会う。
その子どもは、刀を打つ手伝いをすると言って掻き消えた。
宗近は不思議に思いながらも、刀を打ち始めると、今度は稲荷明神が現れ手伝ってくれたのだという。
そして出来上がったその刀の出来映えたるや、言葉に絶するほどの素晴らしいものであった。宮中のみならず市中にも、その銘が知れ渡った。
この逸話を知らぬものはいないが、澄真はこの名が嫌いだった。
「……」
澄真は、苦々しげに顔を歪める。
それもそのはず、この名のお陰で澄真は、余計な詰りを幼い頃から受けたのだ。
澄真は思い出したように、ポツリと言う。
「……幼い頃、私は自分の力を自覚していなかったからな。普通に妖怪どもと遊んでいたこともあって、その名でずいぶんと苛められた」
言いながら、眉間に皺を寄せる。
「キツネ付きだの、お前の兄弟はキツネで、いつも一緒に人を化かして遊んでいるのだろうなどと……」
思い出しながら、澄真は歯噛みする。そもそも澄真には兄弟姉妹がいない。この時代にしては珍しい一人っ子だ。
そのお陰で、またいらぬ謗りを受けた、
お陰ですっかり、人嫌いである。
しかし、瑠璃姫の取り方は違う。
「……」
今でこそ、憎たらしい言葉を使うようになった澄真だが、瑠璃姫は幼い頃の彼を知っていた。
人には珍しい、濃い灰青色の瞳と髪色を持った澄真は見鬼の才に恵まれ、それと知らずに、よく妖怪と遊んでいた。
周りの人間は、澄真が物の怪と遊ぶが故に、近づくことが出来ない。
近づくことが出来ないが、珍しい色を持つ澄真は愛くるしく、人を惹き付ける魅力的なその容姿に、人々は苛々を募らせた。
──ほら、アレはきっと、キツネ付き。
近づくことが出来ない腹立たしさと、その美貌を羨むがゆえに、人々はそう囃し立てることで、自分の気持ちを紛らわした。
そうやって離れたところから、澄真との関わりを、少しでも作くろうとしたのである。
あわよくば、物の怪から離れ、こちらに来るのでは……とでも、思ったのだろう。
(人とは、本当に面倒臭い……)
瑠璃姫は思う。
(お前の傍にいたい。しかし、物の怪は怖いと素直に言えばよいであろうに……)
呆れて、肩をすくめる。
(……しかし『キツネの兄弟と一緒に遊ぶ』とは)
瑠璃姫は、ふふふと笑う。
(……幼い澄真と狐丸が、一緒に遊んでいる感じなのだろうか?)
想像して、思わず笑みが溢れた。
まるで女の子のように可愛らしかった澄真が、白くてふわふわの狐丸と遊んでいる姿など……!
是非一度お目にかかりたいものだ。……瑠璃姫は微笑む。
「あぁ、それは……また、可愛らしい絵面だの……!」
見てみたくて堪らない……と言ったように頬赤らめ、口許を両手でかくす瑠璃姫。
「…………おい。何を想像している……?」
悶える瑠璃姫を横目に見て、澄真が唸った。
キツネに、キツネ付きと言われた人間の気持ちなど、分かるわけはない。どっと疲れを感じた。
どうやら、愚痴る相手を間違えたようだ。
とにかく、と言って澄真は瑠璃姫を見る。
「狐丸など、そのような名で、あの稚児が悲しまぬようにしろよ。……しかしなんだってそのような名を……」
ただでさえ、ここは《黒狐寺》なのに……と唸りながら、澄真はいいことを思いついた。
「……そうだ、やはり私があれを引き取ろう……」
ぽん! と手を打って、澄真は満面の笑顔を見せる。
「……本当にお前は、しつこいな」
瑠璃姫は再び、呆れた声を出す。
「幼名が小狐丸だった陰陽師のお前のところに、狐丸の名の者が来れば、見鬼の才がなくとも弄られるわ!」
最も、狐丸は妖怪だがな……と、心の中で瑠璃姫は呟く。
(そこは、口が裂けても言わぬがな……)
ふいっと、澄真から目をそらす。
「だから、狐丸がお前のところに行くなどということは、一切起こらぬ」
ふふんと瑠璃姫が鼻を鳴らした。
「……」
瑠璃姫の言葉は至極当然で、澄真はぐうの音も出ない。
これでは、諦めるより他はない。
しかし、諦めがどうしてもつかない。
澄真はまた、大きな溜め息をつき、どうにかならないものかと、再び頭を抱える。
「……」
一旦は諦めても心の奥底で、何かが悶え苦しみ、何故だかとても泣きたくなって、澄真ではどうしようもなくなってしまうのだった。
× × × つづく× × ×




