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氷壺《月のキツネ》  作者: YUQARI
第二章 灰青の陰陽師
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狐丸と小狐丸

 

 ──あの、稚児の《名》、知りたくはないか……?



 瑠璃姫のその言葉に、澄真(すみざね)が、ぴくりと反応する。

(あの者の、名……)

 澄真(すみざね)は、唇を噛む。


 ちょうど、その事を考えていたところだった。しかし、気持ちを読まれたようで、気分が悪い。

「……」

 無言でギロリと、澄真(すみざね)は瑠璃姫を睨んだ。


「ふふふ。……なんだ? 聞きたくはないのか?」

「……っ」

 意地悪を言いながら、瑠璃姫は澄真(すみざね)の顔色を窺う。


(思った通り、泣きそうな顔をしておるわ……)

 愉しげに瑠璃姫は目を細める。

 そんな澄真(すみざね)の様子に機嫌を良くし、瑠璃姫は続けた。


「まあ、聞け。あの稚児の名は、弦月(げんげつ)が付けたらしいのだが、なかなか面白い名を付けたのだぞ? きっとお前も気に入るであろうな?」

 くくくと忍び笑いを漏らす。


 澄真(すみざね)は、その言葉に、眉を寄せた。

「和尚が? ……親戚か何かなのか?」

 (いぶか)しがりながら、言葉を返す。

(名を付けられるほどの、間柄……? そのような者が和尚にいただろうか? 俗世とは、綺麗に縁を切ったと思っていたが……)

 澄真(すみざね)は、唇を噛む。


(いや、あれ程の稚児だ。俗世が惜しくなったのかも知れない……)

 思考がだんだん斜め上を飛び始め、澄真(すみざね)はギリと指を噛む。

(やはり、この古寺に置いておく訳にはいかない……)

 澄真(すみざね)は、静かに決心する。



「……」

 澄真(すみざね)の顔色が厳しくなったのを見て、瑠璃姫は笑みを消す。

「……ちょっと待て。お前、まさか変なことを考えてはおるまいか?」

「変なこと……?」

 ムッとして瑠璃姫を見れば、瑠璃姫は呆れた声を上げた。

「……やはり、妙な勘ぐりをしておるだろう。和尚はお前とは違う。一緒にするでない!」

「……」

 その言いようにカチンときて、澄真(すみざね)は反論する。

「《名》を簡単につけるなど、ただの関係であるはずはない。血縁か、あるいは──」

 そこから先は真っ青になって、言えないでいる。


 瑠璃姫は大きく溜め息をつく。

「……」

 けれど説明するのも面倒臭い。まぁいいや、……と軽く考え、瑠璃姫はそのまま言葉を続けた。

「ふふふふ。まあ、そのようなものだ」

 にやりと笑い、瑠璃姫は適当な相づちを打った。


「……っ」


 ものすごい勢いで澄真(すみざね)から鋭く睨まれ、瑠璃姫はたじろぐ。

(……っ、これは相当だな)

 あまりにも可哀想になったので、瑠璃姫はコホン……と一つ咳払いをして本当のことを教えた。

「あ。うん……いや、そのなんだ。……あやつには、名がなくてな」

「《名がない》……?」

 少し遊んだのが悪かったのか、澄真(すみざね)は疑いの目で瑠璃姫を見る。

 瑠璃姫は更に咳払いを重ね、言葉を続けた。


「何もおかしい事はなかろ? 平民などそのようなものだ。……ついでに言うと、あれには親がおらぬ」

「……親が、いない……」

 澄真(すみざね)の表情が少し柔らかくなり、瑠璃姫はホッとする。どうやら信じてくれそうだ。


「そうだ。親はおらぬ。なれば名がない道理が立とう……?」

「……しかし、それが何故、和尚が……」

「たまたまじゃ。たまたま、あやつがこの黒狐寺(こくこじ)に流れ着いただけの事。弦月(げんげつ)はそれを哀れに思うて、名を授け、住む場所としてここを提供したに過ぎぬ。……安心したか?」

「な……っ! わ、私は別に……」

 《別に》……などと言いつつ、澄真(すみざね)の顔は真っ赤だ。《まだ子どもだの》……と瑠璃姫は密かに鼻で笑った。


「で、その《名》であるが──」


 瑠璃姫は名前を教えたくて、仕方がない。さっさと話を進めるぞ! と言わんばかりに先を進めた。

 澄真(すみざね)はまだ真っ赤だ。


 瑠璃姫は着物の袖で口許を隠し笑いながら、そんな真っ赤な澄真(すみざね)の耳に、そっと囁く。

()()の名はな、……」




 ──狐丸と言うのだ……。




 澄真(すみざね)の目が丸くなる。

「……」

 瑠璃姫は嬉しそうに、澄真(すみざね)を覗き見た。


「どうだ? 嬉しいであろ? お前とお揃いだな」

 そう言いながら、あははははと高らかに笑った。


「……っ」

 澄真(すみざね)は先程と打って代わり、青くなってさらに眉を寄せた。

「狐丸……」


「そうじゃ。……そう、お前の幼名は確か……《小狐丸(こぎつねまる)》であったかの? 帝が作らせた護り刀の名にあやかって付けられた名前なのだとか? 狐と小狐……ふふ。お前の方が、よほど愛らしい名であったな? 澄真(すみざね)

 くくくと瑠璃姫は愉しげに笑う。



 瑠璃姫が言うように、澄真(すみざね)の幼い頃の名は、従六位(じゅろくい)橘宗近(たちばなのむねちか)が帝の命で打った、護り刀の銘と同じである。

 護り刀同様、帝のお役に立てるようにとの、願いが籠っているのだそうだ。



 ──銘刀小狐丸。



 護り刀の銘の由来は、制作途中の出来事が関係している。


 帝の命を受け、護り刀を打ち始めたのはいいが、なかなか思うようなものが打てない。

 困り果てた橘宗近(たちばなのむねちか)は、氏神であった稲荷明神へ詣でた。その時、一人の子どもに出会う。


 その子どもは、刀を打つ手伝いをすると言って掻き消えた。


 宗近(むねちか)は不思議に思いながらも、刀を打ち始めると、今度は稲荷明神が現れ手伝ってくれたのだという。


 そして出来上がったその刀の出来映えたるや、言葉に絶するほどの素晴らしいものであった。宮中のみならず市中にも、その銘が知れ渡った。



 この逸話を知らぬものはいないが、澄真(すみざね)はこの名が嫌いだった。

「……」

 澄真(すみざね)は、苦々しげに顔を歪める。


 それもそのはず、この名のお陰で澄真(すみざね)は、余計な(なじ)りを幼い頃から受けたのだ。

 澄真(すみざね)は思い出したように、ポツリと言う。

「……幼い頃、私は自分の力を自覚していなかったからな。普通に妖怪どもと遊んでいたこともあって、その名でずいぶんと苛められた」

 言いながら、眉間に皺を寄せる。


「キツネ付きだの、お前の兄弟はキツネで、いつも一緒に人を化かして遊んでいるのだろうなどと……」

 思い出しながら、澄真(すみざね)は歯噛みする。そもそも澄真(すみざね)には兄弟姉妹がいない。この時代にしては珍しい一人っ子だ。

 そのお陰で、またいらぬ(そし)りを受けた、


 お陰ですっかり、人嫌いである。


 しかし、瑠璃姫の取り方は違う。

「……」

 今でこそ、憎たらしい言葉を使うようになった澄真(すみざね)だが、瑠璃姫は幼い頃の彼を知っていた。


 人には珍しい、濃い灰青色の瞳と髪色を持った澄真(すみざね)見鬼(けんき)の才に恵まれ、それと知らずに、よく妖怪と遊んでいた。

 周りの人間は、澄真(すみざね)もの()と遊ぶが故に、近づくことが出来ない。


 近づくことが出来ないが、珍しい色を持つ澄真(すみざね)は愛くるしく、人を惹き付ける魅力的なその容姿に、人々は苛々(いらいら)を募らせた。



 ──ほら、()()はきっと、()()()()()



 近づくことが出来ない腹立たしさと、その美貌を羨むがゆえに、人々はそう(はや)し立てることで、自分の気持ちを紛らわした。

 そうやって離れたところから、澄真(すみざね)との関わりを、少しでも作くろうとしたのである。


 あわよくば、(もの)()から離れ、こちらに来るのでは……とでも、思ったのだろう。


(人とは、本当に面倒臭い……)

 瑠璃姫は思う。


(お前の傍にいたい。しかし、(もの)()は怖いと素直に言えばよいであろうに……)

 呆れて、肩をすくめる。


(……しかし『キツネの兄弟と一緒に遊ぶ』とは)

 瑠璃姫は、ふふふと笑う。


(……幼い澄真(すみざね)と狐丸が、一緒に遊んでいる感じなのだろうか?)

 想像して、思わず笑みが(こぼ)れた。


 まるで女の子のように可愛らしかった澄真(すみざね)が、白くてふわふわの狐丸と遊んでいる姿など……!

 是非一度お目にかかりたいものだ。……瑠璃姫は微笑む。


「あぁ、それは……また、可愛らしい絵面(えづら)だの……!」

 見てみたくて堪らない……と言ったように頬赤らめ、口許を両手でかくす瑠璃姫。


「…………おい。何を想像している……?」

 悶える瑠璃姫を横目に見て、澄真(すみざね)が唸った。


 キツネに、キツネ付きと言われた人間の気持ちなど、分かるわけはない。どっと疲れを感じた。


 どうやら、愚痴る相手を間違えたようだ。

 とにかく、と言って澄真(すみざね)は瑠璃姫を見る。

「狐丸など、そのような名で、あの稚児が悲しまぬようにしろよ。……しかしなんだってそのような名を……」

 ただでさえ、ここは《黒狐寺》なのに……と唸りながら、澄真(すみざね)はいいことを思いついた。


「……そうだ、やはり私が()()を引き取ろう……」

 ぽん! と手を打って、澄真(すみざね)は満面の笑顔を見せる。


「……本当にお前は、しつこいな」

 瑠璃姫は再び、呆れた声を出す。

「幼名が小狐丸だった陰陽師のお前のところに、狐丸の名の者が来れば、見鬼の才がなくとも(いじ)られるわ!」


 最も、狐丸は妖怪だがな……と、心の中で瑠璃姫は呟く。

(そこは、口が裂けても言わぬがな……)

 ふいっと、澄真(すみざね)から目をそらす。


「だから、狐丸がお前のところに行くなどということは、一切起こらぬ」

 ふふんと瑠璃姫が鼻を鳴らした。

「……」

 瑠璃姫の言葉は至極当然で、澄真(すみざね)はぐうの音も出ない。


 これでは、諦めるより他はない。


 しかし、諦めがどうしてもつかない。

 澄真(すみざね)はまた、大きな溜め息をつき、どうにかならないものかと、再び頭を抱える。


「……」

 一旦は諦めても心の奥底で、何かが悶え苦しみ、何故だかとても泣きたくなって、澄真(すみざね)ではどうしようもなくなってしまうのだった。





 × × × つづく× × ×


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