黒狐寺の謂れ
澄真は、瑠璃姫と共に、古寺《黒狐寺》にたどり着いた。
黒狐寺は、都からそう離れていない比較的なだらかな山の頂上にある。
東側を山肌にして建つ黒狐寺の夜明けは遅い。
なかなか陽の光にありつけない森のはずなのに、草木は驚くほど生えている。いつ頃から生えているのかと思うほどの大木がゴロゴロとあり、その根っこがうねるように地を這っている。
歩き慣れたものですら、その根っこに足を取られ、転倒することも珍しくない。
それゆえ、拝するのにはやや骨が折れた。
けれど、それほど有名な寺ではなくて、むしろ隠された寺でもある。それ故、参拝する者など、ほとんどいない。
それなのに何故、弦月和尚は、ここにいるのか。
はっきりいって、誰も利用しない寺など、普通ならすぐに廃寺となってもおかしくない。けれどそうならない。
厳密に言うと弦月和尚は、ただの《和尚》ではないからである。
寺を護る番人として、便宜上《和尚》と銘打ってあるが、実のところは隠居した陰陽師である。
──黒狐寺。
その名の通り、黒狐寺は黒狐を封じた事から名付けられた。
瑠璃姫が封じられる前から、黒狐寺はここに建っていて、その名を黒狐寺といっていた。
黒狐である瑠璃姫を封じたから、黒狐寺なのではなく、もともとこの地では、代々《九尾の妖狐》を封じて来た場所なのである。
たまたま最初に封じたのが《黒狐》であったから黒狐寺と名付けられた。歴代の九尾には白狐もいたらしいが……。
「……瑠璃姫。お前は嫌じゃないのか?」
澄真が、ポツリと呟く。
瑠璃姫は遠慮ガチに尋ねる澄真が珍しくて、目を丸くする。
「何がだ?」
瑠璃姫は不思議そうに、澄真を覗き見た。バツが悪そうにそっぽを向く澄真のその横顔が、昔見た幼い頃の澄真を彷彿とさせ、瑠璃姫は少し可笑しくなる。
くすり……と笑う瑠璃姫のその様子に、澄真は渋い表情を浮かべた。
「《封じられてる事》が……だ。平気なのか?」
「……」
平気か……? と聞かれれば、平気である訳がない。
自由を奪われているのである。不自由ではない……などとは、到底言えるべきことではない。
けれど言われて、瑠璃姫はふふふと笑った。今更、何を聞くのかと思えば……。
「人と言うものは、自分の利のために他を封じておきながら、その者の心配をするのだな?」
「……」
澄真は眉をしかめたが、返す言葉もない。
そんな澄真を見て、愉快でたまらぬ。……と言いながら、瑠璃姫は袖を口許にあて、くくくと喉を鳴らす。
「……そう思うのであれば、解放せよ」
冷たく低く、瑠璃姫は言う。
「……」
深い青のその目を澄真に向け、軽く睨んだ。
睨まれてれて、澄真はぐっと息を呑む。
「それは、……出来ない……」
はぁ、と息を吐いて、澄真は言った。
「ならば、聞くな」
答えは分かっていた。今更その願いが叶うとも思っていない。半ば呆れたように、瑠璃姫は返す。
返事など、決まっている。
欲にまみれた人間たちが、九尾を手放すはずがない。
「……しかし、気になったのだ」
言って、澄真は、少し青が含まれるその灰色を帯びた目を伏せた。
「……」
見鬼の才を生まれながらに持ち、人とは違う《色》に悩みながら生きていた澄真は、妙なところで情が深い。
《人が嫌い》と言いながら、相手を立て、妖怪は要らぬと言いながら、こうやって気遣いを見せる。
横目でそんな澄真を見ながら、瑠璃姫は、ふっと息を吐く。
「……人とは、難儀なものだな。弦月といい、お前といい。……お前達は、自分の思いのまま、好きなようには、生きられぬのか?」
瑠璃姫の声は優しい。
瑠璃姫も心のどこかで、そんな不器用な澄真や弦月和尚を、哀れに想っている。
そんな哀れな人間たちが、少し愛おしい。そして、少し……面白い。
「……」
瑠璃姫の言葉に、澄真は押し黙った。
──サラサラサラ……。
桜の花を散らしながら、春の爽やかな風が吹き抜ける。
澄真の着ている狩衣の、青い袖括の紐が、その風に軽く煽られなびいた。
瑠璃姫は、その風に気持ち良さそうに顔を向け、微笑む。
「今、吾はここが好きじゃ。好きだからここにおる。……確かに、吾の自由になるのは九つのうちの、一本のしっぽだけ……。この寺からも出られはせぬ……しかし、こうして自由に歩けるし、風も感じる。妖力も、普通の妖怪程度くらいはまだ使えるのだぞ?」
言って目を細めながら、澄真の方を見た。
「それに、お前にだって、勝とうと思えば勝てるのだからな……」
そう言って、にやりと不敵に笑う。
「……! はっ、何の冗談だか……」
澄真は目を閉じ、ふふっと笑う。
それから呆れたように肩をすくませた。
そう言えば、先ほども同じ事を言い合ったな、と澄真は思う。そうだった、こいつには恨みがあった……。
瑠璃姫のせいで稚児に逃げられたのを思い出して、澄真はムッとする。
「そう言えば、あの稚児はどこだろう? ちゃんと帰って来れたのだろうか?」
澄真たちは、これでも足早に山道を登って来た。けれど、稚児には会わなかった。
そうなるとあの子どもは、よほど慌ててこの道を登ったか、あるいは険しいけもの道の近道を選んだかのどっちかになる。
どちらにせよ、それは自分から逃げるためなのだと思うと、澄真の心は傷んだ。
「……っ、」
澄真は指を噛む。
(子どもの足では、相当キツい山道だろうに……)
眉をしかめた。
けれどどうにも《縁》を切りたくない。
澄真は、ここに来るまでの間、ことある事に狐丸の話題を出していた。
瑠璃姫はそんな澄真の話に生返事で答え、正直疲れてしまった。いい加減、諦めてくれないものだろうか?
そんな瑠璃姫の苦労など気にせず、澄真はぼんやりと思う。
(あの、稚児の名は、なんという名だろうか……)
澄真の頭の中は、狐丸のことでいっぱいだ。
山の麓から、山頂の黒狐寺までの道のりは一本道。迷うはずもないが迷っているのならば、助けに行きたい……。
「……まだ、言っておるのか? 心配ないと言っておるのに……」
瑠璃姫が呆れた声を出した。正直、狐丸の話題には、飽きてしまった。
(他の話は出来ないのか……)
瑠璃姫は唸る。
ふと、瑠璃姫はいい事を思い出した。
「あぁ。そうだ」
いいながら、くくくと笑う。
「面白い事を思い出した。お前はあの稚児の《名》、知りたくはないか……?」
含み笑いを浮かべながら言う瑠璃姫を見て、澄真には嫌な予感しかしない。
「……!?」
けれど体は素直だ。澄真は必要以上に、反応する。
「……」
たしかに稚児の名は知りたいが、妖怪である瑠璃姫の手のひらの中にいるようで、澄真はなんだか、ひどく居心地が悪かった。
唸るように瑠璃姫を睨んだ。
× × × つづく× × ×




