和尚さまと澄真
僕はやっとの思いで、黒狐寺へ着いた。
はぁ、はぁ……も、もう、ダメ。苦しい……。僕はすぐさまへたり込んでしまった。
でも良かったぁ。無事に帰りついた。
へたり込んだ僕に、人形に変化したタマが、申し訳なさそうに水を持って来てくれる。
「ご苦労さまだったニャん……」
「あ、ありがと……っ」
ごくごくと、喉を鳴らしながら、僕はその水を一気に飲み干した。
「ぷはぁ、美味しい……! でも、もう一杯、欲しい……っ」
喉はカラカラだ。何杯だって飲めそうだった。ふぅ……と息を付きながら、僕は呟く。
「! ……分かった! 待っててニャん!!」
言うが早いか、タマはすっ飛んでいく。
「うわ、……速っ……」
タマの速さに、僕は目を丸くして笑った。
さすがは猫の妖怪。でも僕だって、負けてはいられない。
今日は色々学ぶことがあった。
《妖力》って言っても、工夫次第で使い勝手は良くなるんだなぁ。僕はぼんやりとそんな事を思う。
さっき教えてれた《外側は人間、けれど中身は妖怪》ってのをタマは自然にやってのけてる。だからあんなに足が速いし、高く跳べたんだ。
それに履物の違い。
その場その場で、使い勝手のいい道具は様々で、使い分けることによって作業は簡単になる。
「……」
僕は自分の足を見て、ふっ……と青白い狐火を吹き掛ける。
するとさっき作った草履は跡形もなく消えて、裸足になる。
「ふふ……」
それを見て、僕は笑う。
山の中は一本下駄。寺の中は裸足がいい。
僕は微笑みながら、寺のお縁にゴロリと横になった。
──ふわり……。
風……気持ちいい……。
お寺の優しい香の匂いを優しく広い、風は柔らかに吹いていく。
「はぁ……幸せ」
ずっとこのままでいたい。
この穏やかな世界で……。
「狐丸? 帰ったのか? やけに騒がしかったが……何かあったのかい……?」
「あ、和尚さま……」
不意に騒がしくなった寺の様子に、和尚さまが不安げな声をあげ、僕の傍へやって来た。
目の見えない和尚さまの手が、僕をさがして伸びて来る。そして人形をとっている僕の頭を、わしゃわしゃと撫で回した。
「……っ! ふふ。和尚さま。くすぐったい……っ」
「おお、済まぬな。人形をとっておるのか……。何処にいるか、確かめたかったのじゃよ。走っておったのか? 汗びっしょりではないか」
手を離し、和尚さまは微笑む。
「……ふふっ。僕たくさん走ったから……」
そんな優しい弦月和尚が、僕は大好きだ。
ホワホワとした気分で、和尚を見た。
「あ、そうだ! 和尚さま……!」
僕はすぐさま、和尚に澄真の到来を告げた。
「おお、澄真か。もう、そんな時期だったかのぉ」
言いながら、和尚さまは出迎えるために腰を上げる。
「知っているの?」
僕は、首を傾げる。
「ん? あぁ、知っているよ。……狐丸は澄真に会ったのは初めてかい?」
「はい……」
少し、変な感じがした。
和尚さまは、あの陰陽師の澄真を知っている。瑠璃姫もタマも知っていた。だったら僕は隠れなくても、良かったんじゃないだろうか?
そんなふ風に思うと、何故、瑠璃姫やタマが《姿を見られるな!》と言ったのか、分からなくなる。
……たしかに陰陽師は、妖怪の敵ではあるけれど。
「……」
ちょうどその時、タマが戻って来た。
「狐丸! お水また、汲んできたニャん!」
ウキウキと水を渡す。
「あ、ありがとう!」
僕は、今度はゆっくり水を飲む。
「ん? なんの話ニャん?」
タマが首を傾げる。
その声に、和尚さまが顔を向ける。
「おぉ、タマか。今、狐丸と澄真の話をしていたところだよ」
言いながら和尚さまは、嬉しそうに微笑んだ。
「タマや、お茶の用意をしておくれ。」
けれど、タマは毛を逆立てる。
「澄真? タマは澄真が嫌いですっ! 澄真が、瑠璃姫さまをあんな目に……っ」
そこまで言ってタマは、ハッとして口を抑えた。
「……」
弦月和尚さまは、そんなタマを見て、困った笑顔で静かに座っている。
……少し、悲しそうだった。
「あ、……あ! お、和尚さま。和尚さまは違います! 和尚さまは……!」
けれど弦月和尚は、静かに首を振った。
「そんなことはない。澄真はただ、瑠璃姫を封じるのに少し手を貸してくれただけ。悪いのは全て、この弦月なのじゃから……」
──瑠璃姫を封じたのは、この儂じゃ……。
「……」
和尚の言葉に、タマはしゅんと頭を垂れた。
──ぽんっ!
軽い音を立てて、タマは猫の姿に戻る。
『あれは、しかたニャかったのニャん』
タマが小さく呟いた。
『瑠璃姫さまも、和尚さまを守りたかったニャん……』
耳を垂れ、項垂れる。
「……あぁ、儂も、瑠璃姫の傍にいたかった……。だから、澄真を呼ぶしかなかったんじゃ。儂の力では遠く及ばなかったからの……」
『……? 呼ぶしかニャかった……?』
タマの言葉に、和尚さまは頷く。
「勘違いしてはならぬ。澄真は、儂と瑠璃姫を助けてくれたのじゃ……」
言って、小さく笑った。
「……」
僕には、話が全く見えなかった。
けれどなんだか、触れてはいけない事のような気がして、黙っていた。
「……」
沈黙が流れる……。
春の優しい風が、全てを包み込む。
寺の境内に、桜の花びらが数枚、ひらひらと舞い降りた。
『和尚さま……』
不意にタマが口を開く。
「ん?」
和尚さまはそんなタマへ、優しく返事をする。
『タマと……。タマと狐丸とで、市中を見てきてもいいですか?』
そう言うタマの小さな耳は、フルフルと震えながら、ペタリと垂れていた。
和尚さまはくすりと笑うと、その頭を優しく撫でる。
「あぁ、構わないよ。夕餉までには、帰って来るんだよ……?」
和尚さまは笑っていたけれど、すごく悲しそうな顔で、僕は心が痛んだ。
幸せそうに見えるお寺。
けれど、みんな悩みを抱えていたんだ……。そう思った。
「はいっ!」
和尚さまの言葉に、僕は明るく返事をする。
悲しみも苦しみも、吹き飛ばしてしまえ! そう思った。
僕は返事をすると、ぴょんっと縁側から飛び降りた。
──ぽんっ!
軽い音が響く。
途端、僕はキツネの姿へと変化する。
「……っふふ。狐丸は、気が早いのぉ?」
和尚さまが笑った。いつもの笑い声だ。
僕の本体であるキツネの姿は、日に日に大きくなっていて、寺の中で戻るには、何かを壊すんじゃないかって思うほど、大きくなった。
その成長は、本当は少し異常で、瑠璃姫さまは、自分の狐火を食べてしまったからだろう……とすまなそうにしていた。けれど、僕は別に困ってなんかいない。
確かに、変化する時には外に出たり、眠る時には人形にならないと寺に入れなかったり不便なことはあるけれど、妖力の調整で時々小さくもなれた。
まだ、思い通りに体の大きさは変えられないけれど、でも、いずれいつの日か、自由に変化出来るようになるに違いない。
そう思うと、訓練の楽しみも増えるってもんだよ!
……だから、そんなに悲しまないで欲しいんだ。
もっといっぱい、みんなには笑顔でいてもらいたい……。
僕はもっともっと練習して、立派な九尾になれるから、それまでみんな一緒に、見護っていて欲しいんだ。
『早く行こうタマ! 置いて行っっちゃうよ!?』
と、僕はタマを急かした。
『本当に、まだまだ子どもニャん』
タマが呆れた声を出す。
和尚さまの笑い声も聞こえた。
タマはぴよんと跳ねると、僕の背中に飛び乗った。
──ふわ……っ。
僕は、タマが飛び乗ったのを確認して、僕は自分の青白い鬼火に飛び乗った。
『和尚さま。それでは行ってまいりますニャん』
タマが言う。
「気をつけて、行くのじゃぞ! 狐丸を頼んだぞ?」
『ひどいなぁ。僕だって、もう大人なのに……』
和尚さまの言葉に、僕が唸る。
その様子に、弦月和尚さまは、声を立てて笑った。
「あははは。それはすまない。しかしまだまだ狐丸は子どもじゃぞ? 都には人もたくさんいるからの、十分気をつけて行っておいで……」
そう言って、優しく微笑んだ。
『はい! 行ってまいります!』
僕はそう言うと、空を蹴る。
──ぶわ……っ!!
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狐丸の跳躍は、かなり頼もしいものだった。
けれどそれは、目の悪い弦月和尚には、見ることが出来ない。
その衝動で起こる風の流動に、和尚は二人が出掛けたことを悟る。
「……行ったか」
和尚はポツリと呟いた。
「それでは澄真を出迎えてやらねばな……」
ふわりと微笑むと、ゆっくり門の方へと足を向けた。
× × × つづく× × ×




