逃げ惑う狐丸
僕は、脇目も振らず走った。
走って走って、走り抜いた。
弦月和尚さまのいる古寺へ、早く辿り着かなくっちゃ! って思って、息を切らしながら駆け抜けた。
起伏の激しい森の山道を駆けあがるのは、なかなかつらい。何度も転けそうになって、それでも僕は、頑張った。
「はぁはぁはぁ……」
息が、苦しい。
変化を、解きたい。……解いてしまいたい。
けれど、それを見越したかのように、タマが僕に声を掛ける。
『頑張るニャん。きついだろうけど、変化は解くニャよ……』
僕の考えていることが分かったかのような、絶妙なタイミングで、タマが牽制する。
「……うぐっ」
僕は思わず唸り声をあげる。
体がとても重い。
人の体って、なんて動きづらいんだ……。
僕の体はあっという間に、悲鳴を上げた。
寺へと続く道は、山道ではあるものの、いくぶん平坦で、所々に人の作った階段がある。
だから、とっても歩きやすくなってはいるんだけれど、それは普通にのぼる経路であって、最短距離じゃない。
最短距離を素早く登ろうとすると、道は険しくなる。僕は早く和尚さまの傍へ行きたくて、その最短距離を走った。
その道は、とても足場が悪い。
うねうねと木の根が地面を覆い尽くし、なれない人の姿では、何回も足を絡めとられた。
それにこの道には、小川の流れている。
川は比較的小さいんだけれど、道を寸断され、人の足で駆け抜けようとするのは、かなり無理があった。白狐の姿になれば、こんな道、ひとっ飛びなのに……。
僕はムッとする。
「……というかさ、タマ?」
僕はタマを見る。
「ん? 何なのニャ?」
こてっと可愛らしく首を傾げた。
「…………。いやいや………僕に抱かれて、ゴロゴロ言ってるだけって、それってどうなの……」
木の根っこに、足をとられながら、僕はボヤいた。
そうなの。そうなんだよ! 僕は未だにタマを抱っこしている! 僕がこんなにも、必死こいて走ってるのに、なんでタマはそんなに余裕でいられるの!?
……いや、そりゃ僕が抱っこしているせいかもだけど、もうおりてもいいんじゃない!?
僕はボヤきながら、腕の中のタマを睨む。
『……しょうがニャいだろ、ニャりゆきニャんだから』
ふふんと、笑う。
『狐丸の腕の中は、居心地が良いニャん。あったかくていい匂いで、思わず喉がニャるニャん……』
ゴロゴロ……と気持ちよさそうな音を立てながら、タマは呑気なことを言いう。かなりご機嫌だ。
「はぁ……はぁ、な、なんだよ……それ……っ」
僕は悪態をつく。
「……」
だけど本当は、傍にいてくれて、一番ほっとしているのは自分かも知れない。
《まずは降りろ!》なんて怒鳴りつつも、本当は、近くにタマがいてくれて、良かったって思ってる。一人で逃げるよりも二人でいられる方が、ずっと心強い。
いつもひとりぼっちだったから、小さい仔猫の温もりが、ひどく頼もしく感じた。
「……っ」
ギュっとタマを抱き締めた。
実のところ、とても怖くて不安でたまらない。未だに小刻みに震えが来る。
『……狐丸?』
あの、殺気……!
瑠璃姫さまは、笑い飛ばしていたけれど、僕には笑えない。
明らかに澄真は、僕よりも格上だった。
怯えられる事が常だった僕にとって、怖がらない和尚さまは不思議な存在だったし、恐れるどころか、捕まえて連れて帰ろうとする澄真の存在は、恐怖以外のなにものでもない。
なんであんな《気》が発せるの……?
「……」
人間は、不思議だ……。
弱いかと思えば、めちゃくちゃに強い。
勝てそうでいて、全く歯が立たない。
一緒にいて、嬉しいと思ったり、逃げ出したいほど怖かったり。
なんの力も持たない、小さな存在のハズなのに、僕の心を動かしてやまない。
僕は震えるように息を吐く。
相手が同じ妖怪だと、こんな感情は抱かない。
弱い妖怪なら屈服させ、強い妖怪なら逃げるだけだ。
それなのに《人》は、全く掴みどころがない──。
タマを抱く手が、小刻みに震えた。
早く、和尚さまの傍に行きたい。
あそこなら、きっと救われる……。
『……』
そんな僕の様子を感じて、タマはポツリと呟く。
『……まあ、ぶっちゃけ、人の姿なら消されることはニャいからニャん……』
ぺろぺろと顔を洗う。
「……え?」
僕は聞き返した。
……てことは、逃げなくても平気だった……?
『陰陽師は妖怪を祓うだけだからニャん。人と思われているうちは大丈夫ニャん』
「そ……そうなの? なら……」
と、僕は手を膝にあて、少し休憩する。
後先考えずに、とにかく走ったので、息が苦しい。
肩と胸が激しく上下する。どこかで本当は、休みたかった。
木の影へ行ってへたり込む。
「も、……しんど……っ、」
大きな木にもたれ掛かり、ズルズルと地に滑り落ちながら座る。
ハァハァと、自分の呼吸がうるさい。
けれど、時折吹く風が心地よかった。
どこかで咲いているのだろうか?
菜の花の香りが、風に乗って運ばれてくる。
色々な花の匂いもした。
もう、春だ……。
僕は、クンクンと鼻を鳴らす。
僕の鼻は、人のそれよりも、犬の嗅覚に近い。
けれどそれは、微かな匂いが強く感じる……という訳ではない。
いくつかの小さな匂いを嗅、ぎ分けられる……といった具合だ。
なので、さきほど出会った澄真の香りも、意識付けて嗅ぎ分けようとしなければ、匂いを感じることはない。
あぁ、春の匂い……。いい香り……。
しばしウットリと、春の風を満喫する。
風はまだ、ほんの少し、冬の名残を含ませていて、身も心もシャキッとさせてくれる。胸いっぱいに吸い込んだ新鮮な空気に、僕は体力を回復させた。
次第に呼吸が安定する。
安心しきったところで、タマが悩みに悩んだ様子で、でもね……と続けた。
『……多分。多分さ……お前、気に入られちゃったみたいニャん? 消されはしニャいだろうけど、連れていかれる可能性はあるニャん』
「ぅぐ……!?」
タマの言葉に、僕の喉から変な音が出た。
『弦月和尚さまは、澄真の師匠だから、狐丸のことを守ろうとしてくれるだろうけど、和尚さまより澄真の方が本当は位が高いのニャん。権力にものを言わせたら、さすがの和尚さまにも、手が出せニャくニャるニャん』
困ったニャーん、とタマは他人事のように呟いた。
「……」
それって結局、ダメなやつじゃん……。
冷たい汗が、僕の背中を伝う。
僕はブルッと身震いをした。
「い、いや、……嫌だから!」
言いながら、僕は立ち上がる。
捕まるなど、もってのほかだ!
やっと手に入れた、あたたかな場所を失うわけにはいかなかった。
「……っ」
僕は唇を噛み締める。
自分から好きな場所へ行くのとは、訳が違う。わけも分からない所へ行く気など、僕にはコレっぽっちもなかった。
「……っ、」
悩んでいる暇も、落ち着いて休んでいる暇もない!
僕はスクッ! と立ち上がるとタマを見る。
「タマ! 行くよっ!」
『うニャぅ……っ!』
タマが変な声を出す。
僕はタマをむずん……とひっ掴むと、再び無心で駆け出した。
『ま、まだ、休んでいようニャん……』
「ダメ! ダメだから……! ほらしっかり掴まって!」
重い体に鞭打って、夢中になって駆けた。
× × × つづく× × ×




