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氷壺《月のキツネ》  作者: YUQARI
第二章 灰青の陰陽師
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逃げ惑う狐丸

 僕は、脇目も振らず走った。

 走って走って、走り抜いた。


 弦月(げんげつ)和尚さまのいる古寺へ、早く辿り着かなくっちゃ! って思って、息を切らしながら駆け抜けた。

 起伏の激しい森の山道を駆けあがるのは、なかなかつらい。何度も転けそうになって、それでも僕は、頑張った。


「はぁはぁはぁ……」


 息が、苦しい。

 変化(へんげ)を、解きたい。……解いてしまいたい。

 けれど、それを見越したかのように、タマが僕に声を掛ける。


『頑張るニャん。きついだろうけど、変化(へんげ)は解くニャよ……』

 僕の考えていることが分かったかのような、絶妙なタイミングで、タマが牽制する。


「……うぐっ」

 僕は思わず唸り声をあげる。


 体がとても重い。

 人の体って、なんて動きづらいんだ……。

 僕の体はあっという間に、悲鳴を上げた。


 寺へと続く道は、山道ではあるものの、いくぶん平坦(へいたん)で、所々に人の作った階段がある。

 だから、とっても歩きやすくなってはいるんだけれど、それは()()()()()()経路であって、最短距離じゃない。

 最短距離を素早く登ろうとすると、道は険しくなる。僕は早く和尚さまの傍へ行きたくて、その最短距離を走った。


 その道は、とても足場が悪い。

 うねうねと木の根が地面を覆い尽くし、なれない人の姿では、何回も足を絡めとられた。


 それにこの道には、小川の流れている。

 川は比較的小さいんだけれど、道を寸断され、人の足で駆け抜けようとするのは、かなり無理があった。白狐の姿になれば、こんな道、ひとっ飛びなのに……。

 僕はムッとする。


「……というかさ、タマ?」

 僕はタマを見る。

「ん? 何なのニャ?」

 こてっと可愛らしく首を傾げた。

「…………。いやいや………僕に抱かれて、ゴロゴロ言ってるだけって、それってどうなの……」

 木の根っこに、足をとられながら、僕はボヤいた。


 そうなの。そうなんだよ! 僕は未だにタマを()()()()()()()! 僕がこんなにも、必死こいて走ってるのに、なんでタマはそんなに余裕でいられるの!?


 ……いや、そりゃ僕が抱っこしているせいかもだけど、もうおりてもいいんじゃない!?

 僕はボヤきながら、腕の中のタマを睨む。


『……しょうがニャいだろ、ニャりゆきニャんだから』

 ふふんと、笑う。

『狐丸の腕の中は、居心地が良いニャん。あったかくていい匂いで、思わず喉がニャるニャん……』

 ゴロゴロ……と気持ちよさそうな音を立てながら、タマは呑気なことを言いう。かなりご機嫌だ。


「はぁ……はぁ、な、なんだよ……それ……っ」

 僕は悪態をつく。


「……」

 だけど本当は、傍にいてくれて、一番ほっとしているのは自分かも知れない。

 《まずは降りろ!》なんて怒鳴りつつも、本当は、近くにタマがいてくれて、良かったって思ってる。一人で逃げるよりも二人でいられる方が、ずっと心強い。


 いつもひとりぼっちだったから、小さい仔猫の温もりが、ひどく頼もしく感じた。

「……っ」

 ギュっとタマを抱き締めた。


 実のところ、とても怖くて不安でたまらない。未だに小刻みに震えが来る。

『……狐丸?』

 あの、殺気……!


 瑠璃姫さまは、笑い飛ばしていたけれど、僕には笑えない。

 明らかに澄真(すみざね)は、僕よりも格上だった。


 怯えられる事が常だった僕にとって、怖がらない和尚さまは不思議な存在だったし、(おそ)れるどころか、捕まえて連れて帰ろうとする澄真(すみざね)の存在は、恐怖以外のなにものでもない。

 なんであんな《気》が発せるの……?

「……」

 人間は、不思議だ……。

 弱いかと思えば、めちゃくちゃに強い。

 勝てそうでいて、全く歯が立たない。


 一緒にいて、嬉しいと思ったり、逃げ出したいほど怖かったり。

 なんの力も持たない、小さな存在のハズなのに、僕の心を動かしてやまない。


 僕は震えるように息を吐く。

 相手が同じ妖怪だと、こんな感情は抱かない。


 弱い妖怪なら屈服させ、強い妖怪なら逃げるだけだ。

 それなのに《人》は、全く掴みどころがない──。


 タマを抱く手が、小刻みに震えた。

 早く、和尚さまの傍に行きたい。

 あそこなら、きっと救われる……。

『……』

 そんな僕の様子を感じて、タマはポツリと呟く。

『……まあ、ぶっちゃけ、人の姿なら消されることはニャいからニャん……』

 ぺろぺろと顔を洗う。


「……え?」

 僕は聞き返した。

 ……てことは、逃げなくても平気だった……?


『陰陽師は妖怪を祓うだけだからニャん。人と思われているうちは大丈夫ニャん』

「そ……そうなの? なら……」

 と、僕は手を膝にあて、少し休憩する。


 後先考えずに、とにかく走ったので、息が苦しい。

 肩と胸が激しく上下する。どこかで本当は、休みたかった。


 木の影へ行ってへたり込む。

「も、……しんど……っ、」

 大きな木にもたれ掛かり、ズルズルと地に滑り落ちながら座る。

 ハァハァと、自分の呼吸がうるさい。

 けれど、時折吹く風が心地よかった。


 どこかで咲いているのだろうか?

 菜の花の香りが、風に乗って運ばれてくる。

 色々な花の匂いもした。


 もう、春だ……。


 僕は、クンクンと鼻を鳴らす。

 僕の鼻は、人の()()よりも、犬の嗅覚に近い。


 けれどそれは、微かな匂いが強く感じる……という訳ではない。

 いくつかの小さな匂いを嗅、ぎ分けられる……といった具合だ。


 なので、さきほど出会った澄真(すみざね)の香りも、意識付けて嗅ぎ分けようとしなければ、匂いを感じることはない。



 あぁ、春の匂い……。いい香り……。

 しばしウットリと、春の風を満喫する。


 風はまだ、ほんの少し、冬の名残を含ませていて、身も心もシャキッとさせてくれる。胸いっぱいに吸い込んだ新鮮な空気に、僕は体力を回復させた。


 次第に呼吸が安定する。

 安心しきったところで、タマが悩みに悩んだ様子で、でもね……と続けた。


『……多分。多分さ……お前、気に入られちゃったみたいニャん? 消されはしニャいだろうけど、連れていかれる可能性はあるニャん』


「ぅぐ……!?」

 タマの言葉に、僕の喉から変な音が出た。


弦月(げんげつ)和尚さまは、澄真(すみざね)の師匠だから、狐丸のことを守ろうとしてくれるだろうけど、和尚さまより澄真(すみざね)の方が本当は位が高いのニャん。権力にものを言わせたら、さすがの和尚さまにも、手が出せニャくニャるニャん』

 困ったニャーん、とタマは他人事のように呟いた。


「……」

 それって結局、ダメなやつじゃん……。

 冷たい汗が、僕の背中を伝う。

 僕はブルッと身震いをした。


「い、いや、……嫌だから!」

 言いながら、僕は立ち上がる。


 捕まるなど、もってのほかだ!

 やっと手に入れた、あたたかな場所を失うわけにはいかなかった。

「……っ」

 僕は唇を噛み締める。


 自分から好きな場所へ行くのとは、訳が違う。わけも分からない所へ行く気など、僕にはコレっぽっちもなかった。





「……っ、」

 悩んでいる暇も、落ち着いて休んでいる暇もない!

 僕はスクッ! と立ち上がるとタマを見る。

「タマ! 行くよっ!」

『うニャぅ……っ!』

 タマが変な声を出す。

 僕はタマをむずん……とひっ掴むと、再び無心で駆け出した。


『ま、まだ、休んでいようニャん……』

「ダメ! ダメだから……! ほらしっかり掴まって!」

 重い体に鞭打って、夢中になって駆けた。




 × × × つづく× × ×


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