青い鬼火と一本下駄
少しでも走りやすそうな場所を選び、僕は木々の間を駆け抜ける。けれどこの山は、老木が多い。
根っこが脆く、踏むと崩れてしまう所がある。その上ビッシリと苔がついていて、滑りやすい。
気をつけないと、足を捻りそうだ。
うねうねとした根っ子が地を這い、ときおり僕の足をさらった。
「うわっ……!」
根っ子につまづき、思わず地面に両手をつく。
「……っ痛」
木の切っ先で引っ掻き傷をつくってしまい、赤い血液が傷口に沿って、ぷっくりと盛り上がる。
僕は、その血をペロリと舐めとった。
『だ、大丈夫かニャ……?』
腕の中のタマが、僕の左胸に前足をちょこんと置き、心配したように顔を覗き込んできた。
「……」
こうしてるとすごく可愛いんだよね、タマって。
見つめられて僕は、赤くなる。
「だ、大丈夫……」
木の根っ子に腰を下ろし、僕はもといた場所を見下ろした。
瑠璃姫さまと澄真がいる場所は、もうずいぶん遠い。ここで、少しくらい休んだって、平気だろう。
「はぁ……」
……も、ダメ……疲れた。
正直、体力の限界だ。
僕は荒い息を吐く。
「少し……少し、休む……」
唸りながら、僕は空を仰ぐ。
こんなにも必死に逃げているのに、きっとあの天は知りもしない。
いつもと変わらない、ゆっくりとした、優しい時間。
僕は、震えるように目を閉じた。穏やかな風、爽やかな香り。ポカポカとあたたかい日差し。
何をとっても平和で安らかで……。
でも僕の心の中は、ひどく乱れている。
ひどく怖くて、体がガクガクと震えた。
《人》であれば祓われない? そんな保証、何処にもないだろ? 第一、僕は妖狐なんだから……!
『……』
僕の震えは、抱かれているタマにも伝わっていると思う。
タマは慰めてくれるように、僕のほっぺたを舐めてくれた。
優しい風が吹く。
さらさらと桜の花びらが散った。
僕の髪の毛を、春の薫風が優しく撫でる。
『……履き物を《一本下駄》にするといいニャん……』
ふと、タマが言った。
「一本下駄?」
僕は、震えながら訊ねる。
『そうニャん。下駄は歯が二本あるニャん? それを一本だけにするニャ。……下駄の真ん中あたりに……』
言われて、僕は履き物を見る。
今は草履を履いている。
草履は藁で出来ていて、地面から飛び出ている木の根っこなどを踏むと、滑ったりもする。
けれど下駄なら、草履より接地面が狭い。
確かにその分、滑りにくいかも知れない。
「……下駄、かぁ……」
呟くと、タマは微笑む。
『山伏は一本下駄を履くものが多いニャ。足場の悪い山道では重宝するからニャん』
「そっか……」
僕は、履いている草履にふうっと息を吹き掛け、狐火を吐きつけた。草履は一瞬、ボッと青く燃えたかと思うと、下駄に姿を変える。
「こんな、かな……?」
タマに見せる。
『そうニャん。そうニャん。これだと、地面にくっつく面が狭くニャるから、細い場所でもふらつかニャい。ただ、使うのに、コツがいるけどニャん』
ふふふと笑った。
僕は、もうひとつの履き物も、鬼火で形を変える。それからゆっくり立ってみた。
なるほど、言われた通り、草履よりも普通の下駄よりもふらつく。けれど慣れてくると、確かに起伏の激しい山道にはいいみたい。
『それと、体全部を人に変える必要はニャいニャんよ? 内側……筋肉の部分は使いやすいキツネのものにするのニャ。見た目は人間でも、中身は今まで通りだから、動きやすくニャるニャん』
なるほど、と僕は体に意識を向ける。
でも、出来るかな?
言うのは簡単だけど、実際やるのはどうなんだろう?キツネと人が混在する体……。
外と内で造りが違う僕?
上手くいくのだろうか……?
僕は少し不安だったけれど、体内の様子を探ると、意外にも簡単に出来そうだ。
早速試してみる。
──ふわっ……!
「!」
一瞬で、体が軽くなった。僕は目を見張る。
あ、コレいける……!
体の軽さだけじゃない! 妖怪としての《目》が働き出し、辺りを見廻した。
「すごい……!」
視界も良好だ。
何もかもが見通せた。
辛かった体も楽になる。
「タマ……」
おいでと、両手を伸ばすと、タマはぴょんと僕の腕に跳び乗った。
腕の中に入ったのを確認すると、僕は地を蹴った。
──カッ……!
びゅぉっ……と、僕の耳のそばを風が、飛んでいく!
「う……わぁ……!」
体がものすごく軽い。
近くにあった岩に片足で乗り、再び上空へ向かって蹴り上げると、体にまるで羽が生えたかのように、空高く跳び上がる!
──ぶわっ……!
「……っ!」
すごい! 狐火なしで、こんなに高く飛び上がれた!
あっという間に大きな楠の、てっぺんまで届いた。
キツネの姿の時と同じ見晴らしが、そこにはあった。
遠くで畑を耕している人たちが見える。
牛がそれを手伝っていた。
大きな屋敷では、小さな子どもたちが、手毬で遊んでいる。
「凄っ……!」
ただのひと蹴りで、ずいぶん高く跳んだ。
もしかすると、視界が高い分、キツネの時よりも効率が良いかも知れない。
枝に跳び移ると、下駄がカッと音を立てた。
──ふわり……っ。
「あ……っ」
瑠璃姫さまに渡された薄衣が、弾みでふわりと風に舞い、山の麓へ落ちていく。
「……あぁ、しまった……」
慌てて手を伸ばすが、届かない。
仕方ない。取りに行こう……!
そう思い、飛び上がる為に膝を折る。
『狐丸……! だめニャん!!』
「!?」
取りに行こうと身構えた僕を、タマが止めた。
『行ったら、今度こそ捕まるニャん!』
「うぐっ……!」
捕まるのだけは、絶対に嫌だった。
僕は慌てて、近くの幹に爪を立てる。
──ガリガリ……!
「……くっ、」
嫌な音がして、僕の爪が木に食い込んだ。
止まったのを確認して、タマがホッと溜め息を吐く。
『もともとあれは瑠璃姫さまの鬼火ニャん。いくらでも作れる。今は逃げるのが先ニャん!』
「わ、かった……っ」
返事をしながら方向転換する。
古寺はもう、すぐそこだ。
木々の間から、寺の屋根が見えた。
僕はくるりと体を向けると、古寺に向かって強く跳んだ。
体が軽く、とても気分が良かった。
× × × つづく× × ×




