第二十五章 運命のいたずら
「…お帰りなさいませ、アベル様、アイリ様」
魔道室へと再び戻った私達を、エファが出迎えてくれた。でもその動きはどこかぎこちなく、私は違和感を覚える。
「エファ?何かあったのですか?」
それはアベル様も同じだったようで、すぐさま尋ねた。
「それが、その…」
言いにくそうに私たちから視線を逸らしたエファだったが、意を決したように私を見た。
「…ハイドシーク様は、本日お戻りになられないそうです」
がん、と頭を殴られたような錯覚を覚え、一歩よろめく。
「どういう事ですか?」
アベル様の問いに、エファは声のトーンを落として報告する。
「先ほど連絡が入りまして、北方の村が山賊の集団に襲われたそうです。数人死者が出ているとギルドから通報があったらしく、事態を重く見た殿下が、ハイドシーク様率いる緋軍を遠征させると」
「そうですか…」
「完全な鎮圧には少なくとも1週間は掛かるのではないかと予想されていて、既に出立されたとの事です」
エファの報告も、ろくに頭に入ってこない。視界が揺れて、気分が悪い。
「……アイリ」
アベル様がそっと私の頭に手を乗せる。見上げると、何ともいえない複雑な表情を浮かべていた。
「…賊もタイミングが悪いですね。こんな時に村を襲うなんて」
「…私…付いて行かなくても良かったんでしょうか」
名目だけとはいえ、一応ハイドの専属侍女。主を守る義務がある。そう思って言ったのだけど、アベル様は即座に首を強く横に振った。
「なりません。アイリ、貴女の世界では戦が日常的ではないのでしょう?そんな貴女が戦場に赴いたところで、深い心の傷が増えるだけです。戦は…恐らくアイリが思っているよりも遥かに残酷です」
優しい口調だけどきっぱりと言い切られ、私はそれ以上何も言えずに黙り込む。
「私も大神官になる以前、術士として戦に駆り出されましたが、あそこは血と憎悪にまみれた恐ろしい世界です。いつ死神がこちらに向かって微笑むか分からない。そんなぎりぎりの精神状態で死神を弾き飛ばすのですから…生半可な気持ちで行っては、すぐに命の炎が消し飛びます」
その言葉に怖気付き、思わず一歩後ろに下がる。
「アベル様、アイリ様が怖がっています。その辺に」
エファがそっとストップをかける。
「アイリ様、お一人でお部屋までお戻りになる自信がなければ、私がお供いたしますので申しつけ下さいませね」
「あ、うん…ありがとう」
エファの声がひどく遠く聞こえ、私はこめかみを押さえる。…あたま、いたい。
「アイリ?どうかしましたか?」
「いえ…少し、頭が痛くて」
「それはいけません。恐らく過度のストレスがかかったせいでしょう。エファ、お茶の準備をしてくれますか?」
「かしこまりました、すぐにご用意いたします」
足早に駆けて行くエファを横目で見ながら、私はぐらぐらと揺れる足元を見つめた。
…せっかく、仲直り出来ると思ったのに。
ナイトリリーだって、見付けられたのに。
なんで、このタイミングでどっか行っちゃうの…?
「アイリ…」
アベル様の困ったような声が聞こえてきて、初めて自分が大粒の涙を流している事に気付いた。
「…せっかく、ナイトリリーを見付けられたのに。…ハイドが戻ってくる頃には枯れてしまいますね」
ぽつりと呟き、手元の蕾を見つめる。よくよく見ると、先の方が開いてきている。この様子だと、今夜か明日には花が咲きそうだ。
「ごめんなさい、アベル様。せっかく一緒に探して下さったのに。…私一人で、眺める事にします」
「……アイリ」
「……ごめんなさい、今日はもう部屋に戻ります。少し…休みたいので」
言うだけ言って、アベル様の顔を見る事無く横を通り過ぎる。
扉を開ける時に、お茶を持って来てくれたエファと鉢合わせしたけれど、何か言われるより早く脇をすり抜け、半ば駆け足で魔道室を飛び出した。
体当たりする勢いで部屋の扉を開け、中に駆け込んだ。
そして勢い良く閉め、扉にもたれかかったままずるずるとその場に座り込む。
無理やり吐き出した息と共に、目尻から涙が零れた。
「……バカだ、私」
こんな事になるなら、あんな言い方して出て来なきゃ良かった。ナイトリリーを渡して、きちんとごめんなさいを言おうと決意したのに。
(ハイド…怒ってるかな)
我ながら憎たらしいセリフを吐いたと思う。苛立ったまま戦場に行っちゃったんだとしたら、冷静な判断が出来なくなるかも…
「……どうしたら良いの…」
呟くも当然誰からの返事もない。
無性にハイドが恋しくなり、涙が次々溢れてくる。
私は床にへたり込んだまま、罪悪感と寂しさにしばらく声を殺して泣いた。
泣いたってハイドが帰って来るわけでも、ましてや今朝の行動と言動を許してくれるわけでもない。
後悔先に立たず。そんなの誰だって知ってることなのに…
「……ハイド……」
囁いた声は涙と一緒に誰もいない部屋へ流れ落ちていく。
私はしばらくその場から動かず、感情のままに泣いた。
どれぐらいそうしていただろう。ようやく感情が落ち着いてきて、顔を上げた。
涙も枯れたのか、しゃくり上げはするけれど涙はもう出て来ない。
立ち上がろうとしたら、長時間同じ体勢でいたせいか足と腰が固まってしまっていて少しよろけた。それでものろのろと移動して窓から外を眺めると、太陽が今まさに町並みの向こうへ沈もうとしているところだった。
昼と夜が入れ替わる直前の何とも言えない空の色を見るともなしに見る。
「………お腹、空いたな」
そう言えば朝から何も食べていない。そう気付くと空腹感は一気に増した。
…どうしようかな。いつもならハイドが侍女さんに食事の用意をお願いするんだけど、今は私だけ。一応専属侍女の名目でハイドの傍にいる以上、仕事仲間である彼女達に食事の用意を頼むのは図々しいかな…
などと悩んでいてもお腹は減る一方。もちろん冷蔵庫の類いなんてないから、食事にありつこうとすると侍女さんにお願いするしかないな…
と、コンコンと扉をノックする音が聞こえ、そちらを振り向いた。
「開いています」
私が声をかけると、「失礼します」の声と同時にいつも食事を運んでくれている、赤い髪をみつあみにした侍女さんが顔を覗かせた。
「アイリ様、お食事をお持ちいたしました」
「え…?」
見ると銀色のワゴンには食事のお皿がほかほかと湯気を立てて並んでいる。きびきびとテーブルセッティングを始める侍女さんに話しかけると、
「ハイドシーク様より食事の準備を仰せつかっております。日中は魔道室へお運び致しますのでご安心くださいませね」
にっこり微笑み、「では、ごゆっくりお召し上がりくださいませ」と一礼して侍女さんは部屋を出て行った。
テーブルに近付くと、そこには暖かな食事が綺麗に並べられていた。ほわんっと漂う良い香りに、くぅっとお腹が鳴る。
すとんと椅子に座り、いただきますをしてスープにそっと口を付ける。すっきりしたコンソメの味に、思わずほうっと溜め息を吐く。
しばらく無心で食事をし、ふと前を見る。いつもなら私が何かを食べていると必ず微笑みながら眺めているハイドの姿がない。それだけで寂しさが襲う。
カトラリーを置きかけたけど、せっかく作ってくれた食事が冷めちゃうのは申し訳ないのでとりあえず完食する。そして食器をワゴンに戻し、テーブルを綺麗にしてから再び窓際のソファーへ移動する。
既に太陽は完全に姿を消し、夜空には一面の星が瞬いていた。
…ハイドも、この空を見上げているだろうか。それとも賊の討伐でそれどころじゃないかな…
会いに行きたくてもどこにいるのか全く分からないし、足手まといは確定なので思いは募る一方。
…少なくとも一週間は戻って来ないなら、それまでに謝罪の言葉を考えておこう。ここでうだうだしてても何も始まらない。
「……よし」
私は立ち上がり、浴槽にお湯を張るべく浴室へ向かった。




