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第二十四章 仲直りのきっかけ

「それでは、今日は文字の勉強をしましょう」

アベル様はそう言って、私に数枚の羊皮紙を手渡してくれた。

「これは…?」

「先日お約束した文字の一覧表ですよ。後半は挨拶や城内の看板によく書かれている単語など、主要なものが書いてあります」

なかなか渡せませんでしたからね、と微笑むアベル様に、私は素直にお礼を言う。

ちなみに今日の授業には、エファ特製の紅茶とケーキが付いている。いったんは断ったんだけど、「今日は特別です」というアベル様の言葉に甘える形となってしまった。アベル様の前にも同じものが置かれていて、彼は優雅に紅茶を口へと運ぶ。

「今日はこの紙を元に、アイリの世界で使われていた文字と照らし合わせる作業をしましょう」

紙に目を落とすと、几帳面な字体でびっしりと文字が描かれていて、右横には空白がある。ここに私の文字を書き入れろ、という事なのだろう。

文字の作り自体はさほど難しいものではなさそうだった。それに後半の紙を見てみれば、日本のように平仮名・片仮名・漢字と複雑に分岐しているわけでもなさそうなのでホッと安心する。あんな風になってたら、きっと覚えるのに相当苦労していただろう。それに幸いな事に、数字は日本とほぼ同じ感じだった。これならすぐ覚えられそうだ。

「それではまず、この左上の文字から。これは…」

しばらくアベル様の言葉を紙に書き込む作業が続いた。



「……はい、お疲れ様でした。これで全てですね」

アベル様は手元の羊皮紙をとんとんと揃え、微笑む。私も羊皮紙を揃え、ふぅ、と息を吐く。

「あとはこれをアイリが覚えやすいように書き直すもよし、このまま持ち歩くもよし、お好きになさっていただいて結構です。書き直すのなら、新しい紙をお渡ししますよ」

私は少し考える。

「そうですね…新しい紙を頂いても良いですか?」

あいうえお順に並べた方が覚えやすいと思い、アベル様に紙をお願いする。

「分かりました。帰りまでにエファに揃えて貰っておきましょう」

そう言って再び紅茶を口に運ぶアベル様を、私は何の気なしに眺めていた。…寝不足のせいだろうか、頭が上手く回らない。

「……さて」

カップを机に置いたアベル様が、真っ直ぐにこちらを見詰めた。その真剣な表情に、背筋が伸びる。

「…アイリ、そろそろ何があったのか、教えて頂けませんか?」

「…………」

「全てを話せ、とは言いません。考えがまとまっていないのならそれでも構いません。でも、思いを吐き出す事で何か分かるかもしれませんし、私にもお手伝い出来る事があるかもしれませんよ」

「アベル様……」

本当はここで全てを吐き出してしまいたい。泣き喚きたい。…でも、出来ない。私には、ハイドやラデューを責める資格なんて、ない。

だから。

「……私が元の世界に戻るには、魔王の杖を探さないといけない、と聞きました。でもそれはどこにあるかも、実在するかも分からないと。……それが、ショックで」

嘘は言っていない。ショックなのは本当だ。ただそれが寝不足の主たる原因ではない、というだけ。

案の定アベル様は探るような視線をこちらに向けていたけれど、諦めたように首を振った。

「……そうですね、魔王が実在していたという記述はありますが、杖に関しては魔王が持っていた、という情報しかありません。もしレイランドにあれば、発見されていてもおかしくありません」

「…そう、ですよね」

アベル様にまで言われてしまうと、もうこの線は諦めた方が良いのかも知れないとさえ思ってしまう。

「ですが、希望が全くないわけではありませんよ」

「え?」

顔を上げると、何やら思案顔のアベル様と目が合った。

「実はレイランドには、代々の国王陛下しか入れない宝物庫があるのですよ。もしかするとそこに眠っている可能性はありますね。…憶測でしかありませんが」

「宝物庫…」

もしもそこに杖が眠っているとしたら、国王様に杖を探して欲しい、とお願いするしか方法はない。

「もちろん我々は宝物庫には入れません。なので陛下の許可が必要なのですが…この方法は、最終手段にしたいですね。陛下の手を煩わせて何もなかったら申し訳ないですし。それよりも、まずは私達が出来る事から始めましょう」

慰めるように微笑んだアベル様から、私は思わず目を逸らしてしまう。

…一瞬でも、『どうして私が元の世界へ帰る最善策を取ってくれないんだろう』と思ってしまった事が情けなくて。

「アイリ?…どうかしましたか?」

一転心配そうなアベル様に、私は俯いたまま首を振る。…ダメだ、今日は何を聞いても煩わしいと思ってしまう。

私のそんな心理状態を正確に見抜いたアベル様は、ベルを鳴らしてエファを呼んだ。

「お呼びでしょうか、アベル様」

「エファ、これからアイリと少し遠乗りをします。準備をお願いします」

「かしこまりました」

一礼して部屋を出て行くエファを目で追い、次いで席を立ったアベル様を見上げる。…遠乗り?

「アイリ、今日の授業は終わりです。これから私と遠足へ行きましょう」

「遠足…?」

「はい。このまま室内に引きこもっているのは精神衛生上良くありませんからね。少し外の風に当たりに行きましょう」

どこかウキウキと支度を始めるアベル様を、私は状況について行けずぽかんと見つめる。

「さ、アイリ。今頃エファが遠乗りの準備をしてくれているはずです」

私は導かれるまま魔道室を出て、アベル様についていく。

そして裏口らしき場所から外へ出て…

「さぁ、こちらに」

アベル様が示したところには、真っ白な馬がこちらをちらりと見ながらふさふさした尻尾を揺らしている。

「え、え…っ?」

戸惑う私を見ながら、アベル様はひらりと馬に飛び乗る。そして私に手を差し伸べる。

「わ、私も乗って、重くないですか…?」

「平気ですよ。この子は普段重い鎧を着けた屈強な兵士達を乗せて駆ける強い子ですからね。アイリ一人増えたところでどうという事はありません」

その言葉を肯定するように、馬がブルっと鼻を鳴らす。次いで『早く乗れ』と言わんばかりにくいっと顎をしゃくった。

恐る恐る近付くと、馬は私にずいっと鼻面を押し付ける。一瞬びっくりしたけれど、そっと鼻の上を撫でてあげると、気持ち良さそうに細められた澄んだ栗色の瞳と目が合う。その透明な視線に、知らず緊張が解れていく。

「さぁ、思い切って。……ほら、乗れましたよ」

アベル様に引き上げられ、馬の背に乗る。そして前を向いた時…


ひゅうっと、一陣の風が頬をなぶっていった。


今まで経験した事のない高さから見下ろす景色。自分一人では叶わない程一気に視界が開け、その何とも言えない感覚に絶句する。

「馬に乗ると、背筋がしゃんと伸びるような感じがしませんか?私はこの感覚が大好きでしてね。考え事が煮詰まったら、時々こうして馬の力を借りてリフレッシュするのですよ。……さぁ、では行きましょう。しっかり掴まっていて下さいね」

アベル様が馬の横腹を軽く蹴ると、トコトコと歩き出した。思った以上に揺れるので、しっかりと鞍の突起部分に掴まる。……う、それでもちょっとグラグラするな…

「その体勢が辛ければ、少し私にもたれ掛かるようにしてごらんなさい」

アベル様に言われるまま、失礼して少しもたれさせて貰うと、ずいぶん腰が楽になった。

「本当ですね、かなり楽になりました」

「それは良かった。それでは、少し駆けますよ」

アベル様が合図をすると、馬はそれを待っていたように颯爽と駆け始めた。

「わぁ……!」

みるみる遠ざかっていく景色、頬を打つ風。感じた事のない爽やかな感覚に、一瞬で虜になる。

「凄い…!気持ち良い!」

思わず発した言葉に気を良くしたか、馬は更にスピードを上げた。

そして私たちは城門を抜け、森の奥へと突き進んで行った。



「さ、到着しましたよ」

森を奥へ奥へと進んでどれぐらいだろう。馬を止めた私たちの前には、澄んだ水を湛えた湖が視界いっぱいに広がっている。

「さぁ、お手を。足元、お気をつけ下さいね」

アベル様の手を借りて降り、馬に「お疲れ様」と声を掛けたら、嬉しそうにブルッと鳴いた。……可愛い。

「普段は気分屋で、同性はあまり背中に乗せないのに、彼女はアイリをとても気に入ったようですね」

「この子、女の子なんですか?」

「はい。リエルという名前ですよ」

「そっか、リエルね。リエル、ありがとう」

鼻の頭をこりこり掻いてやりながら、周囲を見渡す。

「とても大きな湖ですね。なんだか空気がひんやりしてるような気がします」

森の中だという事もあるだろうけれど、お城にいた時よりも数度気温が低い。少し肌寒く感じるぐらいだけど、疲れた気分には心地好かった。

「ここは国が管理している森でしてね。稀少な動植物が多数棲息しているので、一般の方は許可なく入れないようになっています。定期的に庭師が入る以外は人気もないので、空気が動かずに冷えているのでしょう」

言いながらアベル様は何かを探すようにキョロキョロと足元に視線をさ迷わせている。

「アベル様、何か探してるんですか?」

「あぁ、いえ…実は、湖の周辺にしか生えない珍しい花がありましてね。しかもそうしょっちゅう生える物でもないので、今日はあるかな…と」

「どんな花ですか?」

「ナイトリリーと言いまして、昼間は目立たない地味な緑色の蕾なんですが、夜になると花開いて、甘い芳香と共に光る花粉をふわふわと飛ばすのです。とても幻想的ですよ」

「へぇ…見てみたいな」

私はアベル様と逆方向へ捜索の目を向ける。地味な緑の蕾か…

きょろきょろと地面に視線を這わせるものの、色んな草花が密集しているせいで非常に分かりにくい。これか?と思った物があってもアベル様に「違います」と言われてしまう為、段々夢中になって中腰で辺りをうろうろと探す。

それを小一時間ほど続けただろうか。

ふと、少し先に今まで見た事のない蕾が生えているのが目に入った。近寄ってみると、くすんだ緑色の蕾が、他の草に紛れるような形でたったひとつだけ生えていた。

「アベル様、もしかしてこれですか?」

私の声に、結構離れた場所にいたアベル様がこちらへ歩いて来て、手元を覗き込む。

「あぁ、これですこれです。よく見付けましたね、アイリ」

微笑んだアベル様は、そっと蕾を根元から引き抜き、私に差し出す。

「え、これ…引っこ抜いちゃって良いんですか?」

受け取るのを躊躇う私ににっこりと微笑み、

「普段なら咎められる行動でしょうが…今日は特別です」

そう言って私の手にそっと蕾を乗せる。

「ご存知ですか?ナイトリリーの花言葉は『信頼』と『親愛』なんですよ。有名な花ですから、きっとハイドも知っていますよ」

弾かれたように顔を上げた私に、訳知り顔で頷くアベル様。

「私が出来るのはここまでです。後は、あなた方二人の問題ですからね」

「……どうして、それを」

「これでもアイリやハイドより少し長く生きていますから、勘で詳細までは分からずとも大まかな内容は何となく分かりますよ。ハイドは変なところで頑固なので、自分から歩み寄っては来ないかもしれません。だから、ここはアイリが大人の対応をしてあげて下さいね」

「アベル様…」

茶目っ気たっぷりにウィンクするアベル様を見て、じわりと目の端に涙が浮かぶ。

「私はいつでもアイリの味方でありたいと思っています。ですから、次はちゃんと話してくれると嬉しいですね」

そっと頭を撫でられ、強張っていた心がほどけていく。

「私…ハイドの事、すぐに肯定してあげられなかった…ラデューに、そんな事ないって、言えなかった…」

涙と一緒に、ぽろぽろと口から言葉が零れていく。

「ハイドが…私を元の世界に帰したくない事なんて、離れたくない事なんて、とっくに分かってたのに…」

アベル様は何も言わず、ただそっと頭を撫で続けている。

「ラデューが、私を好きだって言ったのも…ユミル様の影を追ってるからだって…でも、もうどうすれば良いのか分からなくなって……」

我ながら何が言いたいのかさっぱりだ。それなのにアベル様は、少し屈んで私と目線を合わせる。

「……アイリ。アイリは、今回の件でハイドの事が嫌いになりましたか?」

私は即座に首を横に振る。

「ハイドと、これからも一緒にいたいと思いますか?」

今度は首を縦に振る。

「ならばまだ戻れます。こういった事の修復は、早ければ早い程良い。後回しにしてしまうと、そもそもの原因がうやむやになってしまい、こじらせてしまいます。……大丈夫、アイリなら出来ますよ」

「ハイドは……許してくれるでしょうか…?」

「ハイドが貴女を手離すなんて考えられません。その花と、私を信じて」

力強いその言葉に、私もしっかり頷いた。

「さぁ、それではそろそろ戻りましょうか。…あまり気負わずに、いつものアイリでいればきっと上手くいきますよ」


そして再びリエルの背に乗り、お城へと戻った。

手にしっかりと、ナイトリリーの蕾を握って。

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