↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/27

第二十三章 すれ違う

窓の外が明るくなってしばらくした時。

かちゃりと応接室で物音が聞こえ、私は身体を起こしてベッドから起き上がり、窓から外を見た。

昨日と同じく、すっきりとした空の下、早くも庭師さん達が一生懸命庭の手入れをしている。……一睡も出来なかった目には、その全てが眩しく映った。

しばらく景色を眺めた後、のろのろと応接室に向かう。

「おはよう、アイリ。早いね」

私を見て、ハイドは無理矢理笑顔を作る。朝なのに疲れた顔をしているのは、彼もきっと寝ていないせいだろう。

「……おはよう」

私はそんなハイドから目を逸らし、ぽつりと挨拶を返した。今彼の顔を見たら、泣いてしまいそうだったから。

「まだ朝食までかなり時間があるから、湯浴みをして来たらどうだい?」

なるべくいつも通りに振る舞おうとしているハイドは、努めて明るい口調で提案してくれたけど、私は無言のまま首を振った。今は、そんな優雅に入浴する気分じゃない。

「……そう」

ハイドはそれ以外何も言わず、くるりと私に背を向けた。

……いつもなら、何かと理由を付けて私に触れて来るのに、今日は一定の距離を保ったまま、近付こうとしない。

手を伸ばしても届かない、その距離がもどかしくて、心がささくれ立つ。

……あの背中に抱き付きたいのに、出来ない。ハイドの周りの空気が、近寄る事を拒んでる気がして、情けなさに涙が溢れる。

ぐす、と鼻をすすった音にハイドがこちらを振り向いた。

「アイリ……」

驚いたように目を見開いたハイドが次の言葉を口にする前に

「……朝食までまだ時間あるんだよね?ごめん、もう一回寝てくる」

ハイドの返事を待たずに身体を翻し、寝室に飛び込んだ。今度は扉を閉めて。

そして扉に背を預け、ずるずるとへたり込んだ。

「もう…何やってるんだろ…」

両手で顔を覆って、涙を拭う。泣くつもりなんてなかったのに。寝不足だと感情がどうしても不安定になってしまう。

しばらく目をこすって涙を止め、何をするでもなくぼーっと座り込む。

応接室の気配を探っても、ハイドが何かをしている様子はない。

…こんな時、普段のハイドなら何をしてでもこちらに来ようとするのに。すぐに様子を見に来てくれるのに。

……どうして、来てくれないんだろう。

そう思った次の瞬間、私は首を振った。

…来てくれる訳、ないじゃない。ゆうべ私はハイドを否定するような態度を取ったんだもの。そんな私に失望したのかもしれない。こんな最高の待遇まで用意したのにって、もしかしたら怒ってるのかもしれない。そう思うと途端にこの空間にいる事が申し訳なく思えてきた。

(…着替えて、散歩でも行こうかな)

ハイドが連れて行ってくれた、あの綺麗に整備された庭。あそこに行けば、少しは気が晴れるかも。

立ち上がり、恐る恐る応接室へ顔を覗かせる。でも、そこにハイドの姿はなかった。代わりに浴室から水の音がする。きっとシャワーでも浴びてるんだろう。

(困ったな…着替えは脱衣所にあるのに)

でも、今ならこっそり取りに行けるかもしれない。意を決して脱衣所に忍び込み、素早く着替えを取り出してそっと扉を閉める。…良かった、気付かれずに済んだ。

手早く侍女服に着替え、寝間着はきちんと畳んでベッドサイドに置きに行く。こうしておけば洗濯物を取りに来た人が持ち帰りやすいだろう。

…本当は、私がやらなくちゃいけない仕事なのに。そう思うと心がちくりと痛んだ。でもそんな感情を振り切るように首を振り、応接室に戻る。そして入り口の扉を開けようとして…止まった。

「どうしよう…私、置き手紙って出来ないんだった…」

言葉は不自由ないけれど、私はこの世界の文字が読み書き出来ない。したがってハイドに置き手紙を残して部屋を出る事も出来ない。

黙って出ようかとも思ったけれど、さすがにそれはしちゃいけないだろう。

どうするべきか扉の前で迷っていると、

「……どこか、行くの?」

突然後ろからハイドの声がして、驚いて振り返る。考えに没頭していていつの間にか浴室から出て来ているのに全く気付かなかった。

「…うん、庭に散歩でも行こうかと思って」

「……そう」

さっきと全く同じ言葉を呟き、又しても私に背を向けた。途端、言い様のない苛立ちが急激に沸き上がってきた。

「私はもう直接アベル様の所へ行きますので、朝ご飯は要りません。……ここにいても、迷惑なだけでしょうから」

自分でもこんなに冷たい声が出せるんだと心の片隅で考えながら、扉を開ける。

ハイドは一言も発しない。それが悲しくて腹立たしくて……こんな言い方しか出来ない自分が情けなかった。

「……それでは、失礼します」

様々な感情を振り切り、ハイドの方を一切振り向く事無く手荒に扉を閉めた。

庭に向かいながら、目尻に悔し涙が浮かぶ。

…この程度のものだったんだろうか、私とハイドの仲は。

違うと言いたい。でも言えない。こうなってしまった原因は、私にある。ハイドを責める事はお門違いだ。そんな事、分かってる。

でも、この情けなさを、もどかしさを、どう発散すれば良いのか分からなくて、ただひたすらに歩を進める。

そして庭へと続く扉を体当たりするように押し開け、真っ直ぐに噴水へ向かう。縁に腰掛け、ようやく堪えていた涙腺を緩めた。

…もう、どうしたら良いのか、分からない。ラデューの言う事は、やっぱり正しかったんだろうか。自分の言い分もあるだろうに、一切口を開かないハイドを、これから先も信じて良いんだろうか…

ほろほろと大粒の涙が溢れる。異端者である事も、今の境遇も、全てを投げ出してしまいたい。でも、まだ文字すらろくに読めない私が一人でお城を出たところで、何か出来る訳がない。元の世界にだって、もちろん帰れない。

…私の頭では、これ以上の選択肢が浮かばない。つまり、私はここにいないと生きていけない…

(………苦しいよ……)

助けを求めても、真っ先にきてくれるかもしれない人は、ここにいない。

私はしばらく、声を押し殺して涙を流し続けた。



「…今、何時だろ…」

結構長い時間泣いていたような気がする。私はようやく顔を上げた。ふと上を見上げると、上りきった太陽が周囲を暖かく照らしていた。

「…アベル様の所に、行かなくちゃ」

のろのろと立ち上がり、重い足取りで庭を出る。廊下を歩いている途中に大きな姿見を見付け、覗き込む。

(…うわ、酷い顔)

寝不足の上に泣いたせいで、目は赤く腫れぼったいしおまけに隈まで出来ている。髪も雑にまとめたせいでボサボサだ。こんな顔でアベル様の所に行ったら、きっと物凄く心配されてしまうに違いない。

(…逃げ出したい)

でも、逃げたところで私には行くあてがない。諦めてとぼとぼ魔道室へと向かった。



「おはようございます、アイリ様……あら」

出迎えてくれたエファは、私の顔を一目見た瞬間、声のトーンを落とした。

「…おはようございます」

私は何も言わず、ただ挨拶だけを返す。

「アベル様、もう来ていらっしゃいますか?」

「……はい、先ほど。ご案内致します」

エファは何かを言いたそうに間を空けたけれど、私に何も言う意思がないと判断すると先に立って歩き出した。

「失礼致します。アベル様、アイリ様が」

「アイリ?どうしたのですか、今日は早いですね…」

本から顔を上げ、私の顔を見たアベル様はその場に本を放り投げそうな勢いでこちらへ駆け寄った。そして両手で私の頬を包み込む。

「アイリ、その憔悴ぶりは…いったい何があったのですか?」

その優しい口調に、又しても涙が滲みそうになったけれど、ぐっと飲み込んだ。

「おはようございます。アベル様。…ごめんなさい、ちょっと寝不足で。でも、大丈夫です」

「大丈夫という顔じゃありません。…また、ハイドが何かしたのですか?」

深い緑の瞳に見つめられ、気まずさを覚えて目を逸らす。けれど「逸らさないで」と厳しい声で制され、びくりと視線を元に戻す。

「私はアイリの教師でもあり、後見人の一人でもあります。あなたのそんな顔を見て、素直にはいそうですか、なんて絶対に言えません。…話してください、何があったのか」

…全部吐き出してしまえたら、どんなに楽だろう。でも…

「…ごめんなさい、今はまだ、言えません」

心の中が整理されていない状態でアベル様に話したところで、きっと何も解決しない。迷いが増えるだけだろう。

「……………」

頑なに口を閉ざす私をアベル様は物問いたげにじっと見つめていたけれど、

「…分かりました。貴女がそう仰るなら今は何も聞きません。…けれど、話せる時が来たら、聞かせて下さいね」

「…分かりました」

「もしハイドが原因ならば、今度こそ容赦なく懲罰を下しますからね」

そう言ったアベル様は、いつもと変わらない優しい笑みを浮かべていて、心がホッと落ち着いた。

「さて、では授業を始めましょう。…出来ますか?」

「はい。よろしくお願いします」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。