第二十一章 魔王よ、私が何をした!
話を聞き終えた時、私は思わずハイドにすがり付いていた。ハイドも何も言わず、そっと私の頭を撫でてくれている。
「…じゃあ、私が元の世界に戻るには、魔王の杖を見付けなくちゃいけないって事、なのよね…」
「…そうなるね。でも、その杖がどこにあるのか、そもそもこの世に存在するかどうかも微妙だ。ハッキリ言って…雲を掴むような話だね」
私は深いため息を吐く。…何となく分かっていた事だけど、ハイドの口から聞くと重みを増す。
魔王はそもそも数百年前にレイランド国王に仕えていた大魔術師で、ある日突然行方が分からなくなり、数年後に大量の魔物を従えて戻り、その力でレイランドを支配しようとした人物らしい。
大きな漆黒の宝石が付いた杖で人外の魔法を操り、最終的に人の心までも支配した。国は乱れ、たくさんの人が死んだ。
だが死闘の末魔物を全滅させたは良かったが、魔王は杖もろとも忽然と姿を消した。だがそれ以来魔物は現れなくなり、レイランドは再び平穏を取り戻した。その元凶である魔王が漆黒の髪に緑の瞳をした細身の男だった…というのがハイドの語った内容をまとめたものだ。
…数百年前の出来事なんだったら、間違いなく魔王はこの世にいないだろう。だとしたら、探し出すなんて不可能だ。杖にしても、現存しているかなんて誰にも分からないし、もし見付けたとしてもそんな禍々しいもの、何をどうすれば良いのか分からない。
したがって、もし魔王にしか私を帰せないんだとしたら、元の世界に戻れる確率はぐんと下がった、というわけだ。
「…他に方法がないと決まったわけじゃない。アベルなら何か知ってるかもしれない。…そんな顔をするな」
ハイドが私の顔を心配そうに覗き込む。でも、私はなかなかショックから抜け出せなくて、ハイドから目を逸らす。
「アイリは一人じゃない。俺がいるだろ?」
「………うん」
ぎゅっと抱き締められ、目の端が熱くなる。
「何があってもアイリは俺が守るし、出来る事は何だってする。…だから、泣くな」
言われて初めて、目尻から大粒の涙が零れている事に気付いた。
…帰れないんだって思ったら、いくら覚悟していたとはいえ、やっぱり辛い。
ハイドと離れたくない気持ちもあるけれど、これから先の生活が見えない状態で、自分の常識があまり通用しない世界で暮らしていく決意はまだ出来ない。
色んな感情がぐるぐる頭を巡り、涙が止まらない。
「アイリ…」
「ハイド、ごめん。…ちょっとだけ、泣かせて」
やっとの思いで絞り出すと、ハイドは何も言わず、ぎゅっと力強く抱き締めてくれた。さっきより強く、額にハイドの胸が当たる。…その温もりに、心が少しほぐれていく。
「………ありがと」
返事の代わりにハイドは頭を撫でてくれる。その感触を確かめながら、私はしばらく無言で涙を流した。
「落ち着いた?」
私が泣き止んだのを見計らってハイドが声を掛けてくれる。頷くと、額にキスが落ちてきた。
「うん、ごめん…シャツ、涙付いちゃった」
見ると真っ白いシャツに涙の染みが出来ている。拭こうとすると「いいから」と止められる。
「でも、冷たいでしょ?」
「大丈夫。アイリが温かいから」
おどけた口調で、更に私をぎゅっと抱き締める。
「ありがとう…ちょっとスッキリした」
「なら良かった。涙は溜め込むと身体に悪いからね」
頭を撫でながら笑うハイドを見上げ、苦笑する。
「情けないよね、良い年して泣くなんて。心配かけてごめん」
「…………アイリ」
しばしの沈黙の後、ハイドは真面目な顔をして私を見下ろす。
「俺は、アイリのように別世界から飛ばされて来た訳じゃないから、アイリの気持ちを完璧に汲めるとは思わない。でも、俺がアイリの立場なら周りの人間に当り散らすだろうし、帰れないと知ればもしかしたら大泣きするかもしれない。…アイリは、一人で気持ちを抱え込みすぎだ。もっと俺達に頼れば良い。八つ当たりすれば良い。…泣けば、良い」
「ハイド…」
「俺はアイリの支えでありたい。辛い時は傍にいたいし、泣きたい時は抱き締めていたい。…俺は、アイリを愛してる。だから、何があっても俺の手で守りたい。………最後、まで」
終わりの言葉を絞り出すようにして呟いたハイドは、一瞬苦しそうに眉をひそめた。その表情に私の胸がぎゅっと締め付けられる。
「アイリを様々な事から守れるぐらいの甲斐性は持ち合わせてるつもりだ。…ま、アイリの魔力にはもしかしたら守られる時が来るかもしれないけどな」
そう言って私の頭を撫でるハイドはすっかり元の表情に戻っていた。
「だから、アイリはもっと俺を頼る事!いいね?」
「え、あ、う、うん?」
「よし」
ちゅ、と額にキスを落としたハイドは、しばらく無言で私を見つめていたけど、
「えい」
いきなり私をころん、と仰向けにして、覆いかぶさった。
「え、ちょっと!?」
一瞬で涙が完全に引っ込んだ私は何だか妙な笑顔を浮かべたハイドの顔を見た。…すっごい、…やな予感。
「じゃ、話も終わったところで、こっからは俺の時間で良いよな?」
にーっこり。
「俺の時間って何!?」
「ん?あぁ、心配しなくても最後まではしないから」
誰がその心配をしてるんだー!いや大事な事だけど、展開が急過ぎて付いて行けませんけど!
「明日も仕事頑張れるように、充電させて」
最強に魅力的な笑みを浮かべ、あわあわと抵抗する間もなくハイドの唇が落ちてきた。
『…あぁ、それはショックだわ』
ユミル様は花畑で三角座りをしてため息をついた。
『私ならそこら辺のものを投げ飛ばして破って吹っ飛ばすわね』
投げ飛ばすのも吹っ飛ばすのも同じでは、と密かに思う。
『それにしても魔王の杖か…どこかで聞いた事があるのよね、それ…』
「ほんとですか!?」
私はがばっとユミル様に顔を寄せる。
『小さい頃に家庭教師から聞いたような…うーん…ごめんなさい、今はちょっと思い出せないわ…』
「あ、いえ、ごめんなさい。つい…」
『それにしても、ハイドシークもたまには良い事言うのねぇ。もっと俺を頼れなんて』
うふふ、と嬉しそうに微笑むユミル様。
『でも確かにアイリは何でも内に抱え込んでしまい過ぎかもしれないわね。もっとあれこれ言って男達を困らせてやりなさいな。…まぁ、ハイドシークは何でも喜んでやるだろうし、ラデュリスも同じでしょうね。アベルは…うん、間違いなく何を差し置いてもアイリのお願いを優先しそう』
「そ、そんな事申し訳なくて…」
『そこよ』
「え?」
慌てて遠慮しかけた私の頬をユミル様は両側からぶにゅっと挟み込む。…へ、変な顔になる…
『アイリは申し訳ないと思うレベルが低すぎるのよ。何でも一人で背負おうとしても、しんどいだけよ?幸いあなたの周りにいる人達は全員権力も行動力もあるんだから、悪い言い方だけれど利用しないと損よ。特にメイリア様なんて、まだ社交界デビュー前だから普通の人は滅多にお目にかかれないのよ』
「そ、そうなんですか…」
『皆とても良い人よ。きっとアイリのささやかな我が儘なんて笑いながらこなしてくれるわ』
確かに皆良い人ばかりだ。…だからこそ、困らせたくないという気持ちが浮かび上がる。もう既に十分迷惑をかけているのに、これ以上厄介事に巻き込むなんて…
『ほら、また悪いなって顔してる。まずはいっぺん自分で言いにくいなって思ってる事をハイドシークに言ってみなさいな。よっぽどの事がない限りあの子はアイリの願いを叶えてくれるわ。何せ公爵家出身でしかも聖騎士だもの。ある意味最強よ』
「…我が儘だと、思われないでしょうか」
私のささやかな疑問もユミル様は豪快に笑い飛ばした。
『愛する女性の我が儘も聞けない根性なしを弟に持った覚えはないわ。安心なさい、ハイドシーク本人も言ってたようにアイリ一人ぐらいあの子は簡単に守り抜ける。私が太鼓判を押すわ』
そしてそっとわたしの頬から手を離し、にっこり笑う。その太陽のような微笑みに、胸のつかえがスッと取れた気がした。
「…ありがとうございます、ユミル様」
『可愛いアイリの為ならこれぐらい何とも思わないわ。あぁ、現実でアイリの力になれないのが口惜しい!』
「こうやって聞いてくださるだけでも十分過ぎるぐらいです。本当に感謝しています」
実のところユミル様がいてくれる事がどれだけ支えになっているか分からない。もちろんハイド達も信頼しているけど、やっぱり同性にしか話せない事もたくさんある。
『……あら?』
不意にユミル様が空を見上げた。つられて私も上を見る。
『…なんだか様子が変ね。アイリ、今日はもう戻った方が良いわ』
「え?」
何が変なのか、と問う前に意識がぐいっと引っ張られ、私の視界は暗転した。




