第二十章 大事な取っ掛かり?
「今度こそお疲れ様、アイリ」
部屋に辿り着いた瞬間、糸が切れたようにぐったりとソファーに倒れこんだ私を見てハイドは苦笑する。でも私はそれに反応出来ないぐらい疲労困憊していた。
だ、ダメだ…この世界の人たちってホント凄い。こんなドレス着て平然と立って、優雅に振舞って…尚且つ、あの量の軽食をぺろっと平らげてしまうなんて!私なら絶対途中で力尽きる!
「大丈夫?」
無反応の私をさすがに心配してか、ハイドが私の背中をそっとさする。
「ハイド…もう、今日は何もないのよね?これで終わりよね?」
ハイドを振り仰いで確認すると、ハイドはしっかりと頷いた。
「ああ、これで終わりだ。しばらくは公の場に呼ばれる事も無いだろうから、安心して」
その言葉を聞いた途端、私の中で張り詰めていた何かが緩み、思わず涙目で叫んだ。
「ハイドお願い、今すぐ着替えさせてー!!」
「はぁぁ…生き返る…」
私は浴槽の中で大きく伸びをする。
あれからハイドは侍女さんを呼び、お湯の準備をしてくれた。侍女さんはソファーにへたり込んでいる私の状態を正確に見抜いてくれて、お湯の準備が出来て私がよろよろと脱衣所に入った瞬間一気にドレスを脱がしにかかってくれたのだ。その時のスッキリ感ったらもう!成人式の日に振袖を勢い良く脱いだ時以上の開放感に思わず侍女さんの手を取って感謝したぐらいだ。
お湯の中には赤く光る球が浮かんでいて、触れるとほんのり温かい。侍女さんは保温機能のある球だっていってたけど、これも魔法の一種だろうか。
意味も無くつんつんとつつきながら、私はぼんやりと今日の出来事を反芻する。
国王陛下とそのご家族はとても良い方ばかりだった。特にメイリア様の可愛らしさは今思い出しても胸がキュンキュンする。お茶会に誘ってくださった事も嬉しかった。
でも、反面不吉な事も聞いた。…テオドール様とラデューが恋敵だった、ということだ。ユミル様が亡くなってしまってから騒動は収まったらしいけど、何だか色々引っかかる事がある。
テオドール様の行動や言動が、私にユミル様を重ねているんだとしたら?
ラデューがここ何度か不穏な事を言ってくるのはどうして?
ハイドが必要以上に私から男性を遠ざけようとするのはなぜ?
……いや、ハイドはただ単に束縛体質なだけなのかもしれないけど、それにしても、私なんかに一目惚れしたという言葉を信じていいものなのか。本当はハイドもユミル様の影を重ねてるんだとしたら…?
「……やめよう、悲しくなってきた」
ハイドが私の事を好きだと言ってくれた事は、どうあっても信じたい。なぜなら、私もハイドが好きだから。だから首を振って悲しい考えを振り払う。
ハイドもラデューもテオドール様も、きっと考えあっての事なんだ。それより今日は全く勉強が出来なかった。明日頑張って遅れを取り戻さないと!
(……だって、まだ誰の役にも立ててない)
『異端者』らしい事は何一つしていない。皆の庇護の下でぬくぬくと過ごしているだけなんて、それはさすがに居たたまれない。ケータイ小説の主人公ならこの立場に甘んじるかもしれないけど、私は、無理!
それに私は元の世界に帰るための方法も探らなくてはならない。私をレイランドに飛ばしたあの男を見付けられれば良いんだけど、きっと不可能だろう。そんな気がする。そもそも、あの男は私をここに送って何をさせたかったのかもサッパリ分からない。
『君が君でいられない世界に---』
「…………」
眉を顰めて保温の球をデコピンする。ふよふよと浴槽の端っこに追いやられる球を見ながら、いいようのない不安に駆られる。
レイランドでは崇められるべき存在である異端者だと言われている時点で、確かに私は元の世界にいた私じゃなくなっているのかもしれないが、それにしても分からない事だらけでモヤモヤする。
「…そうだ、アベル様なら」
あれだけの蔵書を管理している人だ。もしかしたら何か知っているかもしれない!
よっし、ちょっと元気出た!
「さて、そろそろ上がらないと…」
時計がないからどれくらい浸かっているのか分からないけど、恐らく結構な時間が経っている事だろう。早く上がらないと、ハイドが待っているかもしれない。
身体を洗うべく浴槽から出た途端、ぐらりと視界が回った。
「え?」
足元がぐらぐらと揺れている。脳に一気に血液が巡ったような錯覚に陥り、思考がぼやける。
のぼせた、と気付いた時には遅かった。
足の力が抜け、その場にどさりと崩れ落ちる。心臓が壊れそうな程脈打ち、呼吸さえままならない。
(誰か…!)
無意識に伸ばした手が燭台に引っかかり、がしゃんと大きな音を立てる。
(ハイド…!)
その音に驚いたのか、ハイドが浴室に駆け込んできた。
「アイリ!どうしたんだ!?」
「ハイド…ごめん、のぼせた、かも」
その言葉にハイドは即座に脱衣所に取って返し、コップになみなみと水を注いで戻ってくる。
「ほら、飲める?」
口元までコップを寄せ、少し傾けてくれる。冷たい感触を感じ、私は必死で首を動かしてそれを飲み干した。
「………大丈夫?」
「うん、ごめん…だいぶ楽になった」
冷たいものが体内に入ったからか、靄がかかったようになっていた思考もいくぶんスッキリする。
「……ごめんね、ハイド」
私は俯いて謝る。…なんか、ハイドに迷惑かけっぱなしだ。情けなくて涙が滲む。
「迷惑ばっかりかけてごめん…」
あぁ、涙が零れそう。でも上向いたらハイドと目が合うし…
「迷惑?そう?俺はむしろ役得だと思ってるけど?」
それなのに、妙に明るい声が降ってきて、私は思わず顔を上げる。…ハイド、笑ってる。
「で、でも…」
尚も言い募ろうとした私の頬に、ハイドの唇が落ちてきた。
「だって、アイリのこんな貴重なシーンが見られるんだもん、役得と言わずして何と言う?」
ハイドの視線を追った私は、ようやく事態を飲み込めた。
私は床に倒れこんでいる。そしてここは浴室。…したがって、私は現在一糸纏わぬ全裸。隠すものは、周りに、何もない……!
全てを理解した直後、私は今までで一番素っ頓狂な悲鳴を上げたのだった。
「おーい、アイリ?まだ伸びてんの?」
寝室のドアを開けた音と背後から笑いを含んだハイドの声が聞こえるけど、私はあえて無視する。ついでに深く毛布をかぶり直す。
「ほんと可愛いなぁアイリは。そんなショックだった?」
ショックに決まってるでしょうが!貧相な身体をあんな形で見られるなんて!
自分の身体を貧相と評するのは物凄く悲しいけど、でも昼間のご婦人方が標準体型なんだとしたら、私はとんでもない幼児体型だ。あんな豊かな胸とくびれた腰、身体のなだらかな曲線なんていくら贔屓目に見ても私には皆無だもの!
「うぅ、どうせ私は幼児体型だもん…ここの人達みたいにグラマーにはなれないわよ…」
「アイリ?何言ってんの?」
私の言葉にハイドの声が低くなる。けど私はそれを聞き逃してしまう。
「だってレイランドの女性って皆グラマラスな体型なんだもん…私なんて胸もお尻もぺったんこだし、ハイドを喜ばせるような女性らしい曲線なんて望むべくも無いもん…」
毛布を被っているせいでハイドの表情は伺えない。
…この時、正面向いて喋ってれば、ハイドの顔を見てすぐさま口を噤んで全力で謝ったに違いない。
「……本気で言ってる?」
不意にハイドの声が近くなり、私はぎくりと身を竦ませる。次いでぎし、とベッドの片側が沈む。
「俺がアイリを愛していると言った事を信じていないのか…?」
うわぁ、と私は心の中で慄いた。どうしよう、ハイドの声が氷点下の冷たさを帯びてるー!
ここにきてようやく私は何か色々と間違った事に気付く。でも、きっともう遅い…ような。
「……アイリ?どうなんだ?」
更に声が近くなる。もぞりとハイドとは反対方向に逃れようと試みるも、
「逃げない」
がし、と腕をホールドされてしまった。ついでに被っていた毛布をひっぺがされる。
「!!」
私はうつ伏せのままであわあわと慌てる。か、被るものがないと冷たい視線とか黒いオーラとか背中にビシバシ刺さって痛い!
「…………答えないなら」
耳元で囁かれて、ぞわりと背筋が粟立つ。
「身体に聞くよ?」
ふぅ、と息を吹きかけられて私の腰はあっさり砕け、そのまま両手を上げて枕に突っ伏し、あえなく降参した。
「……馬鹿だなぁアイリは。そんな事悩んでたのか」
ハイドが私の頭を撫でながら笑う。私はといえば、恐縮のあまり小さくなっていた……ハイドの足の間で。
降参した後心を全部吐露した私を、ハイドは笑いながら抱き締めてくれた。そして
『そんな下らない事でアイリを比較するなんて絶対にしないよ。俺、そんな浮わついた気持ちでアイリの事を好きって言ったんじゃないから』
私の目を見てキッパリ言い切った。その顔を見て、私はようやく自分を恥じてハイドに謝った。すると『じゃあ仲直りのしるし』として、私は現在ハイドに後ろから抱きすくめられている。……ハイドの顔が見えないのが救いだ。じゃないと顔の赤みがバレる。
「だって…自分にはないもの。あんな」
豊かな胸、と言おうとした私の唇を、ハイドの長い指がむにっと摘む。
「んむ」
「はいそこまで。自分を卑下するような事言うの禁止。分かった?」
こくこくと頷く私を見て、満足そうに指を離す。…完全にハイドのペースだ。
「で?のぼせて倒れるまで何を考え込んでたんだ?」
私の顔を背後から覗き込んで尋ねられ、一瞬言葉に詰まる。…言ったら何されるか分かんないんですけど…
「ん?どうしたの?…俺に言えない事でも考えてた?」
「ううん……元の世界に帰る方法、考えてた」
他にも考えてた事あるけど、一応、嘘じゃない。
「この世界に飛ばした人と会えたら一番良いんだけど、でも多分無理なんだろうなぁって。アベル様なら何か知ってるかな……」
「…………」
「ハイド?」
振り仰ぐと、ハイドは何とも言えない微妙な顔をして私を見下ろしている。
「どうしたの?」
「いや……」
ぎゅ、と私を抱き締める腕に力がこもる。後頭部にハイドの額が当たる。
「…………いつか、アイリは元の世界に帰るんだな」
「あ……」
「分かってるんだ。アイリがずっとレイランドにいる訳じゃない事ぐらい。‥ただ、アイリの口から聞くと、ちょっとな」
「…………ハイド」
「悪い、忘れてくれ。アイリにとっては大事な事だもんな。俺も出来る限り協力するから安心しろ」
「……う、ん」
私は曖昧に頷いておく。……そうか。元の世界に帰ったら、二度とハイドには会えないかもしれないんだ。
改めてハイドを見上げる。お風呂上がりのせいもあるのか、とろけるように艶やかな蜂蜜色の髪、ルビーが埋め込まれてるんじゃないかと思うほど、深く鮮やかな深紅の瞳。
日本ではまずお目にかかる事はない美形が、真っ直ぐに私を見つめている。
異世界に飛ばされて、王様から歓迎されて、しかもこんな、何の取り柄もない私の事を好きだとか言ってくれたり、夢のようだとつくづく思う。
……でも、夢なら醒めないで欲しいと思っている自分がいるのも事実で。
これからの事を考える度に二つの気持ちに挟まれ、葛藤する。
私は…どうしたいんだろう。
「アイリ?どうした?」
ハイドが私の顔を覗き込む。その瞳から目を逸らせずにいると、私の額に唇を落とし、微笑む。
「そんな顔するなよ。今日明日帰ってしまう訳じゃないんだし。…いつか来るその時まで、盛大にアイリを愛するとしようか」
再び落ちてくる唇を、私は目を閉じて受けた。
「…で、アイリをここに連れて来た奴ってどんな外見?」
「うーん…」
私は『奴』の顔を思い出す。
「真っ黒い髪に、緑色の瞳をした男性だった。でも顎とか凄くほっそりしてて、肌も陶器みたいに綺麗だったし…」
今思えば女性として負けてるような気もするが、そんな事はどうでもいい。
「黒髪に、緑の瞳?うーん…」
ハイドは何かを考え込むような仕草をして、すぐに「…まさかな」と首を振った。
「どうしたの?何か心当たりでもあるの?」
「いや…そういう外見の男に一人だけ心当たりがあるんだが、」
「ほんと!?誰なの!?」
ハイドの言葉にかぶせて身を乗り出すと、なだめるように頭を撫でられた。
「落ち着けアイリ。そいつは恐らく実在しない。伝承の中に出てくる人物なんだよ」
「え…」
「この国の歴史書に出てくるんだ。『魔王』として」
「魔王!?」
私は仰天した。ファンタジー用語がまたひとつ出てきた…
「魔王といっても人間だけどな。…いや、細かい事を言えば人間じゃないのかもしれないが」
うーん、と首を捻るハイド。何だろう、凄く嫌な予感。
「本当はこういう事はアベルが一番詳しいから、明日聞いてみるのが一番だと思うんだけど…」
「明日アベル様にも聞いてみるから、今はハイドが知ってる事を教えて欲しいな…」
せっかく取っ掛かりが目の前にぶら下げられてるのに、掴まない手は無い。
すがるように見つめると、ハイドは小さく息を吐いて、私ごとベッドに転がる。
「ひゃっ」
ハイドの上に乗っかる形で転がった私は大慌てするものの、がっちりホールドされて身動きが取れない。じたばたしていると、ころん、とハイドの横に転がされてぎゅっと抱き締められる。大きく開いたシャツの胸元に額が触れ、頬が熱くなる。
ハイドはそんな私を愛おしそうに見下ろし、頭のてっぺんにキスを落とす。
「じゃ、寝物語といきますか。長くなるし、眠くなったら寝ればいいから」




