第十六章 一歩前へ
『……おーい、大丈夫?』
「…えっ?」
心配そうな声に目を開けると、そこにはまたもや至近距離にユミル様の顔があった。
「うわぁ!」
慌てて飛び起きると、そこは昨夜いた花畑だった。
「あ、あれ?」
『アイリ、あなた急にここに出現したのよ。覚えてる?』
「…いえ、全然」
確かハイドと一緒に部屋に戻って、それから…
「……あっ!!」
思い出した。部屋に戻って気が緩んだ瞬間視界が歪んで…
「私、ハイドの部屋で倒れた…のかも知れません」
『思い出した?』
「ユミル様、見てたんですか?」
『ええ、あなたの目を通してね。ハイドシークの慌てた顔ったら、面白かったわー』
私は頭を抱えた。何てことだ。せっかくハイドと仲直りしたっていうのに…!
『アイリ、あなたが倒れた原因はストレスもあるだろうけど、一番は麝香薔薇の香りを長く吸いすぎたせいね。あれは意識の混濁を引き起こすものだから』
「アベル様も言ってました…確かに結構な時間あそこにいたような気がしますし、遠くからも匂いがしてましたから」
『ほんと趣味の悪いもの作るわよね、この国の処刑人は。薔薇は優雅に香るからこそ美しいのに』
「…あれは貴族用だと聞きました。あまり身体に傷を付けるべきではない人に行う処刑法だと」
『そうね。身分の高い人って色々あるのよ。プライドとか、世間の目とかね。…ま、ああいう事をされている時点で貴族としての身分は剥奪されているわね』
「それは…そうですよね。犯罪を犯しているわけですから」
私は軽く頭を振った。まだ何となくぼんやりしている気がする。
『大丈夫?まだ毒が残っているのね。…そうだわ、ちょっと待っててね』
言うとユミル様はふわーりとどこかに飛び立ってしまった。
私は仕方なく花畑に座ってユミル様の帰りを待つ。ややあって戻って来たユミル様の手には何やらこことは違う色の花を持っていた。
『お待たせ。アイリ、この花を』
差し出された花を受け取る。チューリップみたいだけど、ちょっと違う。よく見ると刻々と微妙に色が変わる不思議な花びらに目が引かれた。
「これは…?」
『麝香薔薇の毒素を取り除く花よ。目には目を、花には花を、ってね。現実世界ではまた別の解毒法を用いるのだけど、この花の方が手っ取り早いのよね。…さ、匂いを嗅いで』
言われるがまま鼻を近づけると、何だか懐かしい匂いがした。
太陽と土の匂い。その奥からシナモンのような香ばしい匂いが立ち上り…
「……あ」
気付けばさっきまでの違和感はきれいサッパリ消え去っていた。
「すごい…すっきりしました」
『良かった。この花は向こうでは咲いていないからちょっと心配だったんだけど、うまくいったみたいね』
「ありがとうございます、ユミル様」
『どういたしまして。これでもういつでも目を覚まして大丈夫ね』
にっこり笑うユミル様に私は質問した。
「あの、ユミル様。…ここでユミル様に会った事、ハイドやラデューに言わない方が良いんですか?」
言ったところで本気にはして貰えないだろうが、目の前で恋人であり義姉であるユミル様を亡くした二人には言っておくべきなのかと悩んでいたのだ。
もちろんユミル様が拒否したら絶対に言わないつもりだったのだが…
『別に言っちゃって構わないわよ?』
ユミル様の返事は実にあっさりしたものだった。
「え、良いんですか?…信じてもらえないかもしれませんけど」
『大丈夫よ。きっと「あぁ、やっぱり…」っていう反応をすると思うわ。だって私とアイリはそっくりなんだもの。どこかで会ってたっておかしくないわ。でしょう?』
「そ、そういうもんなんでしょうか…」
『そういうもんよ、あの二人は。…あぁでも、ラデュリスにはまだ言わない方が良いかもね』
「どうしてですか?婚約者だったのなら」
『だから尚更よ。…ラデュリスはアイリに私を重ねているの』
「……え」
その言葉に私は固まる。ラデューが…私にユミル様を?
『ラデュリスは普段ハイドシーク以外の他人に興味を持たないの。特に女性に対して警戒心が強くて、なかなか心を開かないわ。そんな彼が初対面のアイリを守ろうとするなんて…きっとハイドシークも内心驚いているでしょうね』
そう言えばそんな事をハイドは言っていたような…
『自意識過剰でも何でもなくて、ラデュリスはまだ私を忘れていない。…だから怖いのよ。アイリを私だと思い込んでしまうことが。もしそうなったら、ラデュリスはハイドシークから貴方を奪おうとするでしょうね』
背中がぞくり、とした。
「で、でも…いくら何でもそこまでは」
『…そうね、私もそうならないように祈るわ。ラデュリスは聖騎士だから、それなりに強い精神力を持っている。…きっと、大丈夫よね』
「ユミル様…」
私はユミル様とラデューが生前どれほど仲が良かったか知らない。けれど、このユミル様の様子を見る限り、本当に愛し合っていたんだと胸が痛くなった。
『…そんな顔をしないで、アイリ。貴方は何も恐れず、ハイドシークの傍にいれば良いのよ。私はアイリとハイドシークが幸せになってくれれば嬉しいの。…というより』
そこでなぜかため息をついて私を見つめる。
『アイリが嫌がっても、ハイドシークがアイリを離さないでしょうね。衝撃の溺愛っぷりだもの。…無理やりキスしたみたいだし』
私は頬がかぁっと熱くなるのを抑えられず、両手で頬を押さえる。
「ゆ、ユミル様見てたんですか!?」
なんてこと!…あれ、でも確かあの後始めてユミル様に会ったような気が…
『ちょうど貴方と繋がった瞬間があれだったのよねぇ…見ないふりしようかと思ったんだけど、アイリがあまりにも面白くて』
「あぁぁぁ、あれ見てたんですかー!!」
私は頭を抱えた。後頭部強打を見られてたなんて痛恨の極み…!
『あれはハイドシークが悪いわよ。それにしても私も絶妙のタイミングで繋がっちゃったものよねぇ』
「ほんとですよ…せめてもう少し後で繋がってくれれば…って、ユミル様、もしかしてずっと私を通して見てるんですか?」
だとしたら色々恥ずかしい!
『まさか。普段は繋がっていないわよ。でも…そうね。アイリに繋がる方法を教えておこうかしら』
「そんな方法があるんですか?」
『あるわよ。イメージとして、私はいつもアイリの脳の片隅に待機してるの。もし私のことが必要になったら、召喚してくれれば良いわ』
「しょ、召喚?それってどんなイメージですか…?」
『うーん…そうねぇ…』
しばし考え込んだユミル様は、ややあって
『魚を釣り上げる感じ…?』
「さ、魚!?」
一瞬脳裏にカツオの一本釣りよろしくユミル様を釣り上げてる図が浮かび、慌てて消去する。
『さすがに魚はないわね。…でも、それが一番しっくりくる表現なのよね…』
「あ、あの、遠くにいるユミル様を手招きして呼び寄せるってイメージではだめですか?」
さすがに一本釣りを標準イメージにしてしまうと毎回笑ってしまいそうだ。
『そうね、それが穏やかで良いかもしれないわね!そうしましょう』
ユミル様はどうも豪快かつあっけらかんとした性格のようで、
『さすがはアイリね。私はどうも雑なイメージしか作れないのよね。小さい頃はよく教育係に怒られたわ』
「そ、そうなんですか…?」
『魔法の特訓中に小さな火を作れと言われているのに火柱を上げてしまったり、水面にさざ波を作れと言われたのに水面を真っ二つに割ってしまったり』
「そ、それは…相当豪快ですね…」
『魔力を制御するのが苦手だったのよ。……あら、ハイドシークが呼んでいるわ。ちょっと長居させすぎたかしら』
不意にユミル様が虚空を見上げて呟いた。私も倣って見上げるが、何も聞こえない。
「そうですか…?私には何も聞こえませんが」
『まだ遠くからだから、ここの住人しか聞こえないのかもね。…でも、そろそろ帰らないとね。アイリ、またね』
いつもユミル様との別れは突然だ。私はちゃんと挨拶も出来ないまま、またしても意識を手放した。
「……リ、アイリ」
名前を呼ばれて私は目を開けた。
「アイリ!」
どうやらベッドに寝かされているようで、視界いっぱいにハイドの心配そうな顔が映る。
「ハイド…」
「良かった、気がついた…」
ホッとしたように微笑み、私の頬にキスをする。
「麝香薔薇の匂いを長時間嗅いだ事による中毒症状だな。短時間で目が覚めて良かった」
ふと見ると、ハイドの横にはラデューが立っていた。同じく心配そうに眉をひそめている。
なぜかラデューの顔を見た時、私はどきりとした。…ユミル様の話が尾を引いているのかな。
「あ、あの…ごめんなさい、もう大丈夫です」
私は起き上がろうとしたが、
「無理はするな。麝香薔薇の毒はそう簡単に抜けない。今日1日はゆっくりする事だ」
ラデューはそう言って私の額に手を当てる。
「ラデューの言う通りだ。今日は寝室から出ない事!…って言っても、もう夜だけどな」
「え、うそっ!?」
ハイドの言葉に私は慌てて窓を見る。さいごの記憶は夕方だったのに、今はとっぷり日が暮れている。
「え、今何時!?」
「今か?あと3時間ほどで今日が終わるな」
ラデューが時計を見ながら教えてくれた。
「まずはゆっくり身体を起こして、大丈夫そうならハイドに手伝って貰って立ち上がってみるんだ。とにかく絶対に無理はしない事。…分かったか?」
ラデューが私の顔を覗き込んで確認する。私が頷くと、
「ならよし。…じゃあ俺は部屋に戻る」
最後にぽんぽん、と私の頭を優しく叩き、ラデューは部屋を出て行った。
「…無事でよかった」
しばらく無言だったが、ハイドが私の手を取って呟いた。
「…ごめんね、心配かけて」
素直に謝る。
「アイリが倒れたのは麝香薔薇のせいだと分かった時は背筋が冷えた。あの香りを嗅ぎ続けると、最悪の場合死に至る。…アイリを失うんじゃないかと思うと心臓が張り裂けそうだった」
普段の私なら、「そんな大げさな」って言ってたと思う。だけど今回ばかりは茶化すわけにもいかなかった。
あの脳みそが揺れる感じ。視界がぐにゃぐにゃと回り、吐き気すら覚えた。もうあんな気分を味わうのはごめんだ。
真剣な顔で呟くハイド。私の手を握る力は強く、わずかに震えているようにも感じた。…ユミル様の事を思い出しているんだろうか。
「ハイド…大丈夫。私、ちゃんと生きてるよ」
きゅっとハイドの手を握り返す。ごつごつしてて少し冷たい手。温めるようにもう片方の手で包み込む。
「ね?ハイドの手よりあったかいでしょ?…だから、もう大丈夫」
ちゃんとハイドの目を見て、にっこり笑う。ハイドが安心出来るように。
「アイリ…」
ようやく安心したらしいハイドは息をひとつ吐き、笑い返してくれた。
…今なら、言えるだろうか。素直に。勇気を出して。
「…ありがとう、ハイド。…大好き」
私の言葉にハイドは大きく目を見開き、
「…アイリ、本当に?」
「…うん、本当。大好き」
確認するように尋ねてきたハイドの目を見てもう一度繰り返す。
するとハイドは泣き笑いのような顔をして、私の頬にそっと触れた。
「……アイリ、キスしても良い?」
「……うん」
私はそっと目を閉じた。
最初にぬくもりを感じたのは、頬。それからすぐに唇。
ふわり、とハイドの匂いがした。
私は目を閉じたまま、心の中で思う。
ハイド、大好き。だから…私を離さないでね。




