第十五章 …仲直り?
昼食も挟んでずっと私の世界について話をしていたものの。
「…………」
夕刻が近付くにつれ、私の口数はみるみる少なくなっていった。
「アイリ?どうしました?」
アベル様が首を傾げて尋ねる。
「…ハイドに、怒られるんでしょうか、私…」
時間が経つにつれ、自分がやってしまった行動がいかに軽率だったか思い知り、同時にハイドに何て言おうか考えるだけで気分が重くなってしまう。
「どうしてアイリがハイドに怒られるんですか?」
「だって…勝手に怒って勝手にハイドの傍から離れて、結果あんな光景を目の当たりにして…ハイドに行くなと注意されていたのに…」
「アイリは何も悪くありません。どちらかといえば私は、ハイドとジュモーにお説教したいですね。あの二人はいつも周りを気にせずぶつかり合いますから」
困ったものです、と深いため息をつくアベル様。
「まぁ、そういったたいていの諍いはラデューが間に入ることによってお開きになるんですが…今回は傍にストッパーがいなかったせいでこうなってしまいました。そもそも二人ともいい大人なんですから、周囲がどれだけ迷惑しているかそろそろ理解すべきです」
「……………」
私は沈黙した。なぜなら、アベル様がここまで饒舌にまくし立てる事が今までなかったからだ。…いや、口調はいつものように穏やかなんだけど、なぜか顔に出して怒るよりも怖いです。
「アベル様…もしかして、怒ってますか?」
「少しだけね。あぁ、ですがアイリに対しては決して怒っていませんから安心してくださいね。あの二人は最悪テオドール様送りにしなければいけませんね」
「テオドール様…って、この国の王太子様ですよね。確か騎士団の元帥でもあると…」
「その通りです。テオドール様は騎士団の人間全てに命令する権限を持っておいでです。したがって、懲罰などもテオドール様が全て采配なさいます」
「あ、あの…ちなみにハイドたちはどのような懲罰を受けることになるんですか…?」
「まぁ、違反内容によって色々ですね。今回はまだこの世界に慣れていないアイリを放置したという違反でしょうから…テオドール様のお説教、ってとこですか」
「良かった…もっと酷い罰を与えられるのかと思いました」
ほっとする私を見てアベル様は少し意地悪な顔をした。
「アイリさえ望めば、いくらでも重い懲罰が下されますよ?」
にっこり。
「望みません!アベル様、その笑顔がとても怖いです!」
なんか、日頃の鬱憤が噴出しそうで怖いです!
「まぁ冗談はこの辺にしておきましょう。そろそろお迎えの時間ですからね」
「…は、はい」
「アイリ。次からこういう事だけでなく、何か不安な事があれば己の魔力に助けて貰いなさい」
「え…?」
「頭でイメージするのです。例えば道に迷ったとしたら、頭の中で糸を紡ぐようなイメージを持つのです。糸を目的地の景色に繋ぐ事が出来れば、きっと貴方の魔力が正しい方向へ導いてくれますよ。ただそれがどのような形になるかは分かりませんが…」
「そんな事が出来るんですか!?」
魔力って思った以上に便利なものなんだ…
「アイリの魔力だと、恐らく出来ない事の方が少ないはずです。とにかく、何か困ったら…そうですね、頭の中にいる『誰か』に話しかけるイメージで助けを求めてみてはいかがでしょうか」
その時、脳裏にユミル様の姿が浮かんだ。
まさかユミル様が私の脳内にいるとは思えないが、少なくともイメージは持てる。これからはユミル様に話しかけるイメージを持ってみよう!
と、部屋をノックしてエファが顔を覗かせた。
「失礼いたします。ハイド様がお迎えに」
「分かりました。…アイリ」
「は、はい」
…なんで、こんなに緊張するんだろう。昨日と同じ時間に迎えに来てくれただけなのに…
「アイリ、顔が強張っていますよ。…大丈夫、貴方は何も悪くないのですから。何か言われたらひっぱたいてやりなさい」
さらっと笑顔で凄い事を言うアベル様に驚いて、思わず笑みがこぼれる。
「…そうですね!そうします」
私が暗い顔してたら、きっとハイドは話しかけるタイミングを失うだろう。
部屋まで無言は私もちょっと嫌だし、ここは頑張って平常運転だ!
「では、行きましょうか」
「はい!」
私は勢いよく立ち上がり…一瞬視界がぐにゃりと曲がったような気がして、足元が少しふらついた。
「あれ?」
「どうしました?」
先に扉へ向かっていたアベル様がこちらを振り返って尋ねる。
「あ…いえっ、何でもありません!」
もうふらつきは消えている。…立ちくらみかな…?
「何でもないです、ごめんなさい」
そして私とアベル様は連れ立って部屋を出た。
魔道室の入り口まで行くと、傍に置かれていた椅子に気持ち所在なさげな雰囲気で座っているハイドが見えた。
自然と心臓が小さく跳ね上がる。
「ハイド」
アベル様が声を掛けると、弾かれたようにこちらを振り向いた。その顔にはどことなく疲れが滲み出ている。
「アイリ…」
…なんで、そんな情けない顔するの。
「ごめん、アイリ。悪かった…」
駆け寄るなり、ぎゅぅっと力強く抱き締められる。
…ハイドの匂い、温もり。強張っていた心がゆるゆるとほどけていくのが分かって、思わず口の端から笑みがこぼれる。
「ハイド、苦しいよ。それに…恥ずかしい」
言うとようやく私から身体を離したものの、その手はしっかりと私の手を握り締めていた。
「ハイド」
アベル様の声に、肩をびくりと竦ませるハイドの顔は……引きつっていた。
ぎぎぎ、とアベル様の方を向いたハイドは、
「アベル…頼むから勘弁してくれ。今日1日ずっとテオに絞られてもうへろへろなんだよ…」
「私としては全然足りませんけどね。迎えに来られない程鍛えなおして貰っても良いぐらいです」
「え…えっ?」
状況が飲み込めない私に
「実はエファを通してちょっと殿下に報告させて貰ったんですよ。私なりの怒りです」
にっこり告白してくれたけど、その目はやっぱり笑っていなかった。…コワイ。
「アベルの報告は威力半端ないんだって…俺とジュモー、今日集中攻撃だったんだからな」
「良い勉強になったでしょう。筋肉痛には気をつけてくださいね?」
にーーっこり。
「私…アベル様にだけは逆らわないでおこうかと思う」
「それが正解だよアイリ。こいつは怒らせると誰も勝てないからな」
「おや、人聞きの悪い。私はアイリに対しては絶対に怒らないですよ。…さて、今日はお互い色々と疲れたでしょうから、ゆっくりお休みなさい。アイリ、もし辛かったら明日はお休みでも構いません。自分の体調を第一に考えてください」
「はい、ありがとうございます」
「お休みの時は部屋から連絡してくれれば良いですよ。エファが取り次いでくれるはずです。…それでは、お疲れ様でした。ハイド、アイリを頼みますよ、今度こそ」
「……了解」
よほど疲れているのだろう、短く返事をしただけで、私を促して部屋を出た。
「……アイリ」
部屋を出てしばらく手を繋いだまま無言で歩いていたが、不意にハイドが立ち止まってこちらを振り向いた。
「…な、何?どうしたの?」
私はどきまぎしながら返事をする。
「……ごめん」
その手にぎゅっと力がこもる。
「あいつ…ジュモーとはホントに相性悪くてさ。アイリを悪く言われた事に相当腹が立って、思わず応戦してしまった。アイリが怒って行ってしまった後、まずいと思ったよ。慌てて角を曲がった時にはもうどちらに行ったのか分からなくなってしまった」
確かに私が走り去った後ろから、ハイドの焦ったような声が聞こえていた。
「探しに行こうとしたけど、時間が迫っていたから…まさか牢獄の方に行ってしまってたなんて…怖かっただろ?」
「うん…怖かった。麝香薔薇の花びらの中に人が…」
「あの品種、アベルから聞いたのか。あれは危険な花だ。数十分嗅いだだけでも動けなくなる」
「遠くからでも強烈な香りがしたから…私、てっきり外に繋がっているのかと思って」
「そうだな、庭園に繋がっていると勘違いしても仕方ない。…ごめんな、アイリ」
そっと頭を撫でてくれるハイドの手は温かくて安心して、ずっと触れていたい衝動に駆られる。
「大丈夫…だから、もう謝らないで。ね?」
こうして変わらず迎えに来てくれた。変わらず私の頭を撫でてくれた。それだけで十分だった。
ハイドの顔を見上げて、本当に怒ってないよ、という意思表示ににっこり笑う。
「アイリ…」
私の笑顔を見てようやくホッとしたらしいハイドは、私の手をぐいっと引っ張り、
「わわわっ」
バランスを崩した私はハイドの胸の中にぽすっと収まる。
「あぁもう、その笑顔やばいって…今すぐキスしたい。ね、しても良い?」
「は……えっ!?ちょ、何いきなり!」
そんな輝くような笑顔でとんでもない事言わないでいただきたい!
「いーじゃん、ね?1回だけ。仲直りのキスって事で」
ホントに1回で終わるんだろうか…甚だ疑問だったが、仲直りだと言われたら承諾するべきだよね…
「…じゃあ、1回だけだよ?」
私が言い終わるよりも早く、ハイドの唇が私のそれに重なった。
(…あったかい、ハイドの温もり…)
私はそっと目を閉じた。…ハイドと、離れたくないとこの時初めて強く思った。
(私…ハイドの事が…)
ぼんやり考えていると、突然ハイドが私の下唇をぺろり、と舐めた。
「っ!?」
驚きに目を開けると、ばっちりハイドと目が合った。
「んなっ!?ハイド、目っ!」
「ん?あぁ、アイリがあまりにも可愛くて、つい」
「つい、じゃない!」
あぁ、いつもの会話だ。
「もう、ほら、お部屋帰ろう?」
「そうだね。俺ちょっとゆっくり風呂入りたい…」
「…ねぇ、一体今日どんな特訓させられてたの?」
一気にげっそりしたハイドの様子を見て私は尋ねた。
「……聞かない方が良いと思う。聞いたらアベルが悪魔に見えるようになるから」
……ごめんなさい、これ以上は何も聞かないデス…
「ただいまー」
ハイドの部屋に戻って来た瞬間、少し残っていた肩の力が一気に抜けた。
…その瞬間。
「…あ、あれ?」
またしてもぐにゃり、と視界が歪んだ。
しかもさっきみたいに軽いものじゃなくて、脳が揺れるような感覚。
まずい。
咄嗟に何か掴むものを探したが…何もない。
そうこうしているうちに頭が真っ白になっていき…
「アイリ!?」
異変に気付いたハイドが慌ててこちらに駆け寄って来る姿を最後に、私は意識を手放した……




